ふざけんな劣情
第2章 ふざけんな劣情
さて、
「じゃ、じゃあ、俺達は廊下に出ようぜ!」
次の授業が体育の時の、最早通例になってしまった時間がやって来た。
「皆大げさだよな……」
俺が、服を脱ぎ始めると、そそくさとクラスメートは、全員が廊下に出て着替えをする。俺がなんと言おうと、誰も教室内に戻ってこないのだ。前に試しに、着替えが終わっていない状態で、
「着替え終わったぞ、もう入って来い!」
と声をかけたところ、そろりそろりと入って来たクラスメートが、俺を見て、鼻血を噴いて倒れたという事があった。それからというもの、誰も俺が出て行くまで、教室に入ってくる事は無くなったのだった。
「ふぅ……さて、行くか」
着替えを終えて、俺は教室を後にすると、着替え終わった和真が待っていた。
「お前も外で着替えるようになったのな」
「……いや、この前の事がってからはなぁ……理屈では分かってんだけど、視覚的にお前の裸はアウトなんだよ」
「ふむ……率直な意見はうれしいが、ちょっと男として凹むよな」
「すまん……」
「気にすんな」
この前の『銭湯事件』があってから、和真も教室外で着替える連中の仲間になった。どうもあの夜の俺がちらついてしまうらしい。和真がもし俺のような容姿をしていたとして、同じ状況に俺がなったら、やっぱり気まずいので、仕方ないと思う。いや、理屈は納得しているが……やっぱり、なんと言うか、寂しいというかなんと言うか……
「今日の体育は何だっけ?」
「前回と一緒で柔道だろ……」
「そっか……」
「………」
俺が興味なさげに答えると、和真が何か言いたげな感じがしたので、そちらに視線を送った。
「なんだよ?」
「いいや、そんなほっそい身体の何処に、あんな力が隠れてるんだろうなってさ」
「ああ、柔道は力じゃないんだよ。姉ちゃんの受け売りだけど、タイミングなんだ」
「そういうもんかなぁ?」
「そういうもんだろ」
和真が言いたい事は何となく分かる。ここ数回体育は柔道の授業だが、俺は通算戦績24勝0敗0分け。つまり全勝である。こんな体躯の小さな俺だから、圧倒的に不利な筈なのに、この連勝記録。和真みたいに体つき良いくせに運動が若干苦手な奴には、信じられない現実なのだろう。気持ちは分からないでも、想像は付く。
「武術、武道は、そもそも弱者が強者に勝つための物だからな。理屈から行けば、俺のあり方は間違ってはいないんだと思うぞ?」
「うーん……」
やっぱり、和真は納得出来ないといった顔をしていた。
授業の後になって知った事だが、どうも俺の強さの秘密は確かにあったらしい。以下は和真に話したクラスメートの発言である。
「いやぁ……鈴原はさ、こう、なんていうか、こっちが『男だ』って意識して覚悟決めても、まず、組み合いのときの苦悶の表情は……その、なんていうかさ……思わず前屈みになっちまうだろ? その隙を突かれると、もう、背負われるしかないだろ? いや、背負われるだろ? そういう事さ……まぁ、純粋に鈴原はとんでもなく強いけどさ」
だそうだ。前屈みって……同じ男だから、分かるけど、正直気持ち悪い。俺に対して、いや、俺の顔に対して劣情を催している訳なのだ。少なからず、背筋に薄ら寒さを感じつつ、やっぱり、感想としては、『気持ち悪い』これに尽きる話だ。
はぁ……本当に、呪わしい自分の見た目が憎い。
「らっしゃいませ!!」
「うわぁっ!?」
今日の鈴原ちゃんはずいぶんと荒れていた。今も一見さんにどすの効いた声で応対していた。多分、この後のやり取りも決まっている。いつも通りのパターンだろう。パターンAかな?
「ちょっとちょっと、君さぁ、可愛いんだから、もう少し女の子らしく振るまいなよ」
しかも、今日のお客さんは少しおせっかいだった様だ。この次の鈴原ちゃんのリアクションは、もう、決まっていた。これはパターンBの方だったか。
「うっせ! 俺は男だぁ!!!」
掴みかからんばかりに怒鳴って、お客さんの胸倉をを掴みそうになるのを、『店員とお客様だから』と何とか踏みとどまった鈴原ちゃんに拍手。よく我慢したよ、偉いよ鈴原ちゃん。
あ、でも、一応説明が必要かも知れない。
私は栞。音梨 栞。この近くの私立白金台女学園に通っている、高校2年生。そして、ここは『珈琲喫茶ミルク』という喫茶店。私はこの店で、去年から働いている。そして、今お客さんと揉めているのが、家の看板娘の鈴原 ケイトちゃんだ。本当に、同性の私でも目を奪われる様な、可愛らしい容姿。彼女を目当てで来るお客さんも少なくない。最近バイトを始めたばかりの彼女に、もうファンクラブがあることを知っても私は別に驚かなかった。だって、可愛いもん。むしろ当然だもん。
しかし、その可愛い容姿を、彼女自身は良く思っていないらしい。私も専門的な事は良く分からないけど、体は女の子だが、どうも心は男の子なのだという。えっと、確か『性ドイツ製障害』だったかな?あ、違った。『性同一性障害』だ。精神疾患だそうだが、とてもつらいのだと思う。
そして、彼女がこうして荒れている時は、たいていの場合、そっち系統のトラブルがあった時だ。だから、私は彼女の事を『鈴原ちゃん』と呼んではいるが、極力男性を扱う時のように接するよう心がけている。
「鈴原ちゃん、どーどー……落ち着いて、落ち着いて。ほら、深呼吸だよ」
「あ、ああ。ごめん栞。また迷惑かけた?」
「ううん、全然。どしたの? 今日はまた荒れてるけど……?」
「ああ、……ああっ! もう! 思い出しただけでも怖気が走る!」
鈴原ちゃんは、自分を抱きかかえるようにして、身震いすると、ウンザリした顔でこう続けた。
「あんまり詳しくは思い出したくないから、掻い摘んで説明するね」
「うん」
「体育の授業で、柔道だったんだけど、今まで俺負けなかったわけ」
「わ、すごい! 鈴原ちゃん強いんだねっ!」
お世辞じゃなく感心した。彼女の通う学校は彼女の病気に理解があり、体育等は『男子と一緒に』受けているそうなのだ。その男子相手の柔道の試合で、負け無しというのは本当に凄い事である。
「ああ、うん、そうだったらどれだけ良かったか……」
「違うの?」
「ああ、うん。和真が俺の対戦相手に後で話を聞きにいったら、『俺の苦悶の表情に欲情して集中できなかったからだ』って言われたらしい……そんな理由で勝ってたのに喜んでた俺も気持ち悪いし、何より俺に欲情する男共が心底気持ち悪くてさ……」
「そっか、それはいろんな意味で辛いね」
そうか、そうだよな。病気があるとは言っても、年頃の男の子にとって、鈴原ちゃんは魅力的な女の子だ。それを相手にくんずほぐれつなんて、確かに劣情を催しても仕方ない気がする。だって、正直、私も鈴原ちゃんとくんずほぐれつしたら、どうなってしまうか分からない。だからまず、相手の男子生徒にも辛い状況だ。
そして、鈴原ちゃんにとっては二重に辛かったのだろう。男として扱われないだけではなく、あまつさえ欲情までされて、しかも、それを理由に自分が勝利していた現実。それこそダブルパンチだ。生理的嫌悪と悔しさとをダブルで感じている訳だから、ことさらに辛いかも知れない。
ギュウゥッ!
「のわぁっ!?」
「………偉いね、鈴原ちゃんは……」
「ふえぇっ!?」
思わず、鈴原ちゃんが愛しくて、可愛くて、抱きしめてしまった。本当はきっと、怖かったんだろう。でもそれを、怖いといえないのだ。彼女は『男の子』だから。お父さんが言っていた。『男ってのは、意地っ張りな生き物でな。強がる事しか出来ないんだ』その言葉を思い出して、気が付いたら私は鈴原ちゃんを抱きしめていた。
「し、栞!?」
「よしよし……お姉さんが、慰めてあげよう」
「ふわぁっ!? 何!? 何なんだ!?」
そう言って、私の腕の中でもがく鈴原ちゃんは、なんと言うか、『可愛い弟』のような、それと『可愛い妹』のような、そんな存在に、私の中ではなっていたのであった。
ああん、もう! 可愛いなぁ!! 連れて帰りたいくらいだ。
「撫でるな! うわぁ!? 変なところ触るな!!」
「あははは……かーわーいーいーっ!!」
「ぬわぁあああああっ!?」
面白い声を上げている鈴原ちゃんを抱きしめながら、私は時計を確認する。そろそろ彼の来る時間だ。鈴原ちゃんを抱えたまま、私は控え室で身嗜みを確認して、彼女におかしなところがないか聞いてみたら、『べ、別にへんな所はないよ、か、かかかか可愛いよ!』だって。ちょっとそっぽ向きながら言うところを見ると、少しからかい過ぎたかも知れない。でも、彼女をからかうのはもの凄く楽しいし、その時の彼女はもの凄く可愛いのだ。
まぁ、とにかく、結論から言うとだ、とてもじゃないが、彼女を弄繰り回すことを止められそうにないって事だ。
そんなこんなで、私のバイトの時間は、今日も楽しく賑やかに過ぎていくのだった。