その1
ミシェル・コートの朝は早い。人よりも早い。騎士団を束ねる者としては当然のことだ。
部屋を出て、真っ先に向かうのは飛鳥の小屋。飼育員に一声かけて中に入ると、声をかけた。
「アディ!」
きょきょきょー! 奇妙な声と羽音が上がる。それにミシェルは笑みを浮かべて厩舎を歩く。
派手なカラーリングの飛鳥が多い中、それは一羽だけオーソドックスな茶色の姿をしていた。ミシェル専用の飛鳥。あえて毛染めはしない。彼はアディに駆け寄っていくと、その頭をなで首を抱えた。
「アディ! 元気だったか!? 会いたかった! いい子にしてたかい?」
ひとしきり頭を擦り付けて(ぱくりと噛まれていたとも言う。綺麗な金髪頭と整った面立ちはひどく唾液だらけだが、青い目の騎士団長様は気にした素振りも無い)ミシェルは身を放すと、まずは古いわらを片付けて床を磨き、新しいわらに敷き替えた。
餌を足して、水を替えて。一通りの世話を済ませて愛鳥の食事を見守ると、彼はアディの背中に乗る。あえて口輪と鞍はつけない。繊細な彼女は嫌がるのだ。ラフで薄汚れた格好で鳥にまたがる姿はとてもじゃないが、普段の騎士団長とは結びつかないだろう。
だがいいのだ。どうせ夜明け前の暗い空に飛び立ってしまえば、誰にも分かりはしない。これは自己満足の密かな習慣でしかない。
ミシェルはぽんぽん、といつものように鳥の首を叩くと、
「行くぞ、アディ! 愛してる!!」
と声をかけた。
鳥は歩いて厩舎を出るや否や、ばさばさと羽音を立てて飛び上がった。
夜明け前の空は静かでしんと冷えている。町の様子を上空から見ながら、ミシェルは静かに微笑んだ。今日も城下町に異常は無い。風を受けて、金髪が耳元でさらさらと音を立てる。
やがて東の空が少しずつ白み始め、空が焼け始める。黒から深い青へ、それがやがて少しずつ色を変えて朝がやってくる瞬間。彼の一番好きなその瞬間に。
油断をした、というわけでは決してなかった。
ひゅぅ、と気流が変わり、風が逆巻く。一体何が、と思うまもなく、鳥のツバサが風を捕らえ損ねた。その際に筋を痛めたらしい、飛鳥が悲鳴を一声上げた。
あれよあれよと言う間にバランスが崩れ、高度が下がる。まずい、このままでは街のど真ん中の広場の噴水にまっ逆さまだ!
背中を必至でトントン叩いて、飛鳥に励ましの声をかけるが、体勢を崩した鳥の落下は止まらない。
ああ、これまでか……いとしのエリー(婚約者)、すまない。今日は君に昨日買ったばかりの真珠のネックレスを届けようと、思っていたのに。
ぎゅっと目を閉じて衝撃に備えた――ところで。
ふわり、と。重力に逆らう感覚。
気がつけば飛鳥と自分を魔力の光の膜が包み、体勢を立て直される。ゆっくりゆっくりと地面が近づいて、着地した瞬間にその光は霧散した。
一体何が、と思っていると、目の前には大層申し訳なさそうな顔をした若者が一人。
「えと、その、すみませんごめんなさい」
しかも顔を見るなりペコリンと頭を下げられた。とりあえず笑って顔の前で手を振って見せる。
「ああええと、気にしてないよ、大丈夫問題ない」
若者が顔を上げる。少しだけホッとしたような表情だ。それににこやかにうなずき返して、改めて問う。
「で、私は何で君に謝られてるのかな?」
確か初対面のはずだ。仕事柄、人の顔を覚えるのが得意なので間違いない。初対面ということは、彼には何もされていない――はずだ、が?
それともあれか、この間部屋の前に仕掛けられていた飛鳥の糞はこの若者が!?
「いえそれは僕じゃないです」
というか分かってないままに許したのかこの人。とか何とか呟いたのは当然ミシェルの耳には入っていない。
「では一体何故?」
「先ほどのつむじ風」
ああ、そういえばアディ! 羽を傷めたのではなかったか!?
思わず傍に立っていた飛鳥に駆け寄って、そーっと頭を撫でてから羽を広げる。やはり筋を痛めていたらしく、顔を顰めて彼女が鳴いた。これは今すぐにでも城に戻って手当をすべきだろう。
「あのつむじ風、実は僕の部下が通り過ぎ様に引き起こしてしまったみたいで――」
本当にごめんなさい! 後でキツく叱っておきますから!! 彼が再び頭を下げて来る。
お詫びに、と彼が一歩こちらへ。殺気がまるで無いのでついうっかりと、接近を許してしまった。その手がアディの羽を取ったのを見て、ようやく我にかえる。
光がふわりと広がって、アディが一声鳴いた。
「はな――」
離せ、と叫ぶその前に、手が引っ込む。
慌てて再び羽を見る。痛々しく腫れ上がっていた筋がキレイに治っていた。驚いて顔をまじまじと見つめると、照れたように若者は言った。
「あ、申し遅れました。僕ケイオスといいます」
一応『魔王』やってます。どうぞよろしく。