第七十八話「一歩」
ーーその後の天音と零
そこは、石造りの部屋だった。おそらくテニカの鍛冶屋の一室だろう。
天井は低く、壁には細かな魔術刻印と金属製の補強板が埋め込まれている。炉の残り火のような橙色の光が、室内を静かに照らしていた。
天音は、ゆっくりと瞼を開いた。
視界が、ぼやけている。
数秒遅れて、身体中に鈍い痛みが走った。
「……っ……」
指先を動かすだけで、神経が軋む。肋骨の奥が重く、呼吸をするたびに肺が焼けるようだった。
天井を見上げたまま、乾いた笑いが漏れる。
「……結局、意識失ってたのか」
声はかすれていた。
その言葉に反応するように、隣のベッドがわずかに軋む。
「……みたいだね」
零が、ゆっくりと起き上がった。
額に手を当て、小さく息を吐く。演算の癖なのか、意識が戻った瞬間から周囲の情報を整理しているようだった。
「身体、どう?」
天音が視線だけ向ける。
「最悪。そっちは」
「似たようなもの」
短いやり取りのあと、二人は顔を見合わせ、小さく苦笑した。
生きている――それだけで十分だと、どちらも理解していた。
ゆっくりと身体を起こし、壁に手をついて立ち上がる。足取りはまだ重いが、動けないほどではない。
扉を開けると、工房があった。
鍛冶屋の作業場は、相変わらず異質だった。近未来的な加工装置と、古典的な鍛造台が同じ空間に並び立っている。
その中央で、テニカは立っていた。
彼女は、透明な多層封印式に包まれた箱――アピロゾイオスを封じたアーティファクトを、じっと見つめていた。
二人の気配に気づき、振り返る。
「あ、起きた?」
その声と同時に、空間に簡易転移式が展開される。二脚の椅子が滑るように現れ、テニカの向かいに配置された。
「ほら、座りなよ。まだ万全じゃないでしょ」
二人は素直に従い、腰を下ろす。
テニカは、もう一度箱に視線を落とした。
「アピロゾイオスの身柄を確保できたのは大きい」
その言葉は、淡々としていたが、重みがあった。
「ガイア側にとっても、かなり痛手のはずだよ」
零が、静かに頷く。
天音は、少しだけ肩をすくめた。
「……実感はあんまりないけどな」
「まあ、そうだろうね」
テニカは軽く笑う。
「でも成果は成果。プロメテウス様も鬼じゃないから、暫くは休息だと思っていいよ」
その言葉に、二人は同時に息を吐いた。
安堵、というより――張り詰めていた糸が、ようやく少しだけ緩んだ感覚だった。
沈黙が、数秒流れる。
そのあと、テニカは懐に手を入れた。
「それとね」
取り出されたのは、二つのアーティファクトだった。
セリオンのコア。そしてアクラトス。
それらが、静かに二人の前へ置かれる。
「これは君たちが持ってるといいよ」
テニカは、あっさりと言った。
「きっと役に立つし、今後はもっと使いこなせるようになる」
天音と零は、言葉を返せなかった。
そこには、使命も含まれている。
二人はゆっくりと手を伸ばし、それぞれのアーティファクトを掴む。
懐に収めた瞬間、不思議な安心感が胸に落ちた。
零が、ふと思い出したように口を開く。
「……そういえば」
テニカを見る。
「街はどうするの?」
「ああ、そのことね」
テニカは肩をすくめる。
「それなら外を見た方が早いよ」
二人は顔を見合わせ、立ち上がった。
鍛冶屋の扉を押し開ける。
外へ出た瞬間――
二人は、言葉を失った。
街は、動いていた。
空を走る輸送ライン。自律飛行ドローン。光学表示を纏った歩行者。高層建造物の外壁には、演算式が流れるように表示されている。
何もなかったかのように。
戦場だったとは、到底思えないほどに。
天音が、呆然と呟く。
「……嘘だろ」
零も、息を呑んだまま周囲を見渡していた。
あれほど崩壊した街並みが、完全に修復されている。
その背後から、足音が近づく。
テニカが、扉にもたれながら言った。
「私の、あるアーティファクトを使ってね」
さらりとした声音。
だが、その一言で十分だった。
二人は、ゆっくり振り返る。
改めて理解する。
この女性は――使徒なのだと。
戦えないと言いながら。
世界を再構築する力を、平然と扱う存在。
同じ「使徒」と呼ばれる側にいるのだと理解した瞬間、天音と零の表情がわずかに引き攣る。
テニカは、その反応に気づきながらも、ただ楽しそうに笑った。
「なにその顔」
炉の火が、静かに揺れる。
その光の中で、三人は並んで街を見ていた。
戦いの痕跡が、どこにも残らない世界を。




