第七十五話「完成」
ーー鍛冶屋にて
轟音は、鍛冶屋の地下にも微かに届いていた。
テニカは、静かに目を閉じていた。
彼女の前には、床一面に展開された円環式の魔導演算陣がある。幾層にも重なった光の輪が、歯車のように回転し、中央に浮かぶ結晶体へと情報を流し込んでいた。
その結晶は、まだ形を持たない。
ただ、純粋な可能性として、そこに存在している。
「……始まったね」
小さく呟いた瞬間。
空間に、膨大な数式が流れ込んだ。
零の演算情報だった。
植物の成長速度。再生周期。生命密度の分布。アピロゾイオスを中心とした生命圏の拡張モデル。空間内のエネルギー循環。生命反応の階層構造。
それらすべてが、圧縮された思考の奔流となってテニカへ届く。
「……完璧」
彼女は、わずかに息を呑んだ。
「ここまで戦場を数式化できる人間……初めて見た」
テニカは片手をかざす。
演算陣が一層展開し、流入した情報を分解し始める。数式が枝分かれし、仮説が生成され、不要な可能性が次々と削除されていく。
「対象能力――生命圏侵食型拡張存在」
彼女は淡々と口にする。
「個体強化じゃない。環境そのものを“生命”へ書き換えている」
解析陣が、さらに深層へ潜る。
その時。
別の情報が流れ込んだ。
天之の斬撃データ。
切断時の概念断裂量。空間歪曲係数。再生阻害率。熱量転換効率。
テニカの瞳が細くなる。
「……そういうこと」
彼女は両手を広げた。
背後に浮遊していた素材群が、一斉に震える。
透明金属。星核結晶。概念鉱石。時間結晶。生命反応を記録した記憶素材。
すべてが、粒子へと分解される。
「必要なのは殲滅装置じゃない」
粒子が再構築される。
「生命圏そのものを、外部へ“隔離”する構造体」
中央の結晶が、ゆっくりと形を持ち始める。
骨格が生成される。
内部に、多層空間が折り畳まれていく。外側と内側の因果が反転し、存在を収容するための空白が生まれる。
演算陣が高速回転を始める。
零から送られてくる情報が、構造へ正確に組み込まれていく。
「生命密度変換式――補正」
「再生ループ――逆位相干渉」
「環境侵食――独立空間分離」
テニカの声が、一定のリズムで響く。
素材が融合するたび、構造体は完成へ近づいていった。
揺らぎはない。
誤差もない。
すべての数式が、完璧に噛み合っていく。
「……やっぱり」
テニカは、静かに微笑む。
「二人が前線にいるから、ここまで到達できる」
結晶が、最後の収束段階へ入る。
内部空間が完全固定される。
表層に、無数の幾何紋様が刻まれる。それは装飾ではない。生命圏の定義を書き換えるための法則刻印だった。
素材の最後の粒子が、中央へ吸い込まれる。
そして。
静寂が訪れる。
回転していた演算陣が、ゆっくりと停止する。
中央に浮かんでいた構造体が――
完全な形を持って、そこに存在した。
それは、箱だった。
だが、その内部には、独立した空間が折り畳まれている。
生命圏そのものを隔離し、存在領域を再定義する、絶対収容構造体。
テニカは、静かに口を開いた。
「完成」
彼女は手を伸ばし、箱を掴む。
瞬間。
箱が淡い光を放つ。
それは共鳴だった。
天之の概念断裂。零の演算支配。その双方の理論を完全統合した構造が、使用者の存在を感知した証だった。
「対生命圏封鎖型アーティファクト」
テニカは、静かに宣言する。
「――《バシレイア・アポクリュフォス》」
その名が告げられた瞬間。
箱の表面に刻まれた紋様が、黄金に輝いた。
生命圏を“王権の外”へ追放するための絶対装置。
それは、未完成でも代替品でもない。
理論上、そして構造上――
アピロゾイオスという存在に対し、完全に対抗するために生まれた、唯一の解だった。
テニカは、ゆっくりと立ち上がる。
戦場の方向を見る。
「……待たせたね」
箱を抱えた瞬間、空間がわずかに軋む。
内部に折り畳まれた空間が、外界と共鳴している証だった。
彼女は、小さく笑った。
「さあ」
足元に、転移陣が展開される。
「ここからが、“技術”の出番だ」
光が、彼女を包み込む。




