第六十七話「嵐の前」
ーー平和
二人は並んで歩き出す。
道路は柔らかな素材でできているらしく、足音がほとんど響かない。だが、踏み出すたびに微かな振動が返ってきて、地面が歩行者の体重を自動調整していることが分かった。
巨大な立体広告が空中に浮かび、触れると別の映像へと切り替わる。子どもがそれを追いかけて笑っていた。
――平和だ。
それが、二人の胸に妙な重さを残した。
しばらく歩いた後、天音が口を開いた。
「……なぁ」
「うん」
「正直さ」
天音は、街を見渡したまま言う。
「やっていけると思うか?」
零は、すぐには答えなかった。
プロメテウスから渡された情報――
他の管理者。
その使徒。
ーーすでに世界を幾つも消してきた存在たち。
脳裏に、その断片が浮かぶ。
「……分からない」
零は正直に言った。
「相手は、アゴンより格上の可能性が高い」
「だよな」
天音は苦笑する。
「俺、アゴンでだいぶ限界だったんだけど」
「知ってる」
「冷たくね?」
「事実だよ」
軽口だった。
けれど、すぐに沈黙が戻る。
人の流れに紛れながら、零が続けた。
「でも」
「?」
「逃げるって選択肢は、もうないんだと思う」
天音は、少しだけ視線を伏せる。
「……だな」
あの時の選択。
九条たちの表情。
「待ってるから」という声。
全部が、胸の奥に残っている。
「怖くないわけじゃない」
零が言う。
「むしろ、かなり怖い」
「珍しく弱音」
「うっせ」
天音は、少しだけ笑った。
その時だった。
ふと、甘い匂いが漂ってくる。
「……腹減った」
唐突だった。
零が呆れたように息を吐く。
「緊張感がないね」
「いや、あるけど。あるけどさ」
天音は匂いの方向を指差す。
「戦うにもエネルギー必要だろ」
「……まあ、そうだね」
二人は、その匂いを辿って路地を曲がる。
そこには、半透明の屋台のような店が並んでいた。調理器具は浮遊しており、球体状の容器の中で食材が回転している。
店員――おそらくアンドロイドが、滑らかな動きで声をかけてきた。
「本日の推奨メニューを表示しますか?」
空中にメニューが展開される。
見たこともない料理名が並んでいたが、同時に成分や栄養効率、味覚予測まで表示されている。
「……未来すぎる」
天音が呟く。
「この“星屑スープ”っての、評価高いね」
「名前がもう信用ならねぇ」
「……あ、お金持ってないよね?」
「あ、……」
すると、目の前の店員が答えてくれた。
「ご安心を。”お金”という概念は、三千年前になくなってます。」
「え…?」
「金が、いらないだと……!」
そして、初めての感覚を味わいながら、二人は無難そうなセットを選んだ。
数秒後、テーブルに料理が現れる。皿は存在せず、淡い光の膜が食材を支えている。
スープは透明に近いが、中で小さな光粒が漂っていた。
天音が恐る恐る口に運ぶ。
「……っ」
「どう?」
「……うま」
間抜けな感想だったが、本音だった。
「なんだこれ。味、変わるぞ」
零も一口飲む。
確かに、飲み込む瞬間に味が変化する。最初はあっさりしているのに、後味が深く残る。
「摂取者の状態に合わせて調整してるのかも」
「便利すぎるだろ」
しばらく、無言で食べる。
その静けさは、不思議と落ち着いた。
やがて、天音がぽつりと呟く。
「……さ」
「うん」
「俺たち、生きて帰れるかな」
零は、スプーンを止めた。
少し考えてから、答える。
「分からない」
正直だった。
「でも」
零は続ける。
「帰る理由は、ちゃんとある」
天音は、ゆっくり頷いた。
「……だな」
窓の外では、光の輸送カプセルが空を走っていた。
平和な街。
守る価値があると、思える世界。
だからこそ――
二人はまだ知らない戦いの中へ、足を踏み入れていく。




