第六十四話「一つしかない選択」
――現実
ノグティスの短剣が、静かに構えられている。
その切っ先は、天音と零へ向けられていた。
だが。
振り下ろされることはない。
二人は、動かない。
光の粒子が、使徒の紋様のように身体の表面を流れている。
九条が、唇を噛みしめた。
「……まだ、戻らないのかよ」
拳が震えている。
早乙女は、必死に魔力を練り続けていた。
結界の陣が、何重にも重ねられている。
「魂の干渉は続いてる……でも……!」
カノンは、祈るように両手を組んでいた。
「……お願い……戻ってきて……」
沈黙が落ちる。
その時。
天音の指先が――微かに動いた。
九条が、息を呑む。
「……今、動いたよな?」
零の肩が、わずかに震える。
ゆっくりと。
二人のまぶたが、開いた。
変色していた瞳が、まだ淡く光を残している。
だが、その奥に――
揺れがあった。
天音が、焦点を合わせるように視線を動かす。
「……ここは……」
零が、小さく息を吐く。
「……戦場……」
その声は、無機質ではなかった。
九条が、堪えきれず叫ぶ。
「おい!!」
「戻ったのか!?」
天音が、その声に反応する。
ゆっくりと、九条を見る。
ほんの一瞬。
表情が歪んだ。
「……悪い」
それだけだった。
だが。
それだけで、十分だった。
九条の喉が詰まる。
「……っ……バカ……」
早乙女が、その場に崩れ落ちる。
「よかった……」
カノンの頬を、涙が伝った。
「……本当に……」
ノグティスは、静かに短剣を下ろす。
「……間に合ったー」
その声には、微かな安堵が滲んでいた。
天音が、ゆっくりと立ち上がる。
身体はまだ重い。
使徒の残滓が、神経に絡みついている。
零が、隣で体勢を整える。
「精神領域の同期率……回復中」
だが、その言葉の後に、小さく付け足す。
「……戻った、と思う」
天音が、小さく笑った。
「珍しく曖昧だな」
零が、肩を竦める。
「……確定できない要素が多すぎる」
九条が歩み寄ろうとした、その時。
空気が――凍った。
音が、消える。
光が、歪む。
空間そのものが、折れ曲がるように沈み込んだ。
ノグティスの表情が、曇る。
「……来た」
空の色が、反転する。
世界の輪郭が、ノイズのように揺らぐ。
そして。
裂け目が、開いた。
そこから現れたのは――
静かに宙に立つ、一つの影。
白いローブ。
顔は、もう円堂のものではなかった。
顔は判然としない。
存在そのものが、法則であるかのように感じられた。
全員が、本能で理解した。
――管理者。
エンドゥー。
九条が、歯を食いしばる。
エンドゥーは、ゆっくりと周囲を見渡した。
封印されたアゴン。
崩壊しかけた世界。
立ち尽くす少年少女。
そして。
天音と零に、視線を止めた。
「――誤算だ」
そして、ノグティスを見る。
「何処に行ったかと思えば、ずっとこの世界に居たとは」
その声は、感情を持たない。
今までの口調とは明らかに違う。
ただ、事実を告げるだけの響き。
早乙女が叫ぶ。
「誰だよ……!」
エンドゥーは答えない。
ただ、二人へ向けて手を差し出す。
「選択の時だ」
「我に従えば――この世界は壊さない」
九条の目が見開かれる。
カノンが、息を呑む。
ノグティスが、静かに舌打ちした。
「……最悪のタイミングだな」
エンドゥーの声が、淡々と続く。
「お前たちは、資格を得た」
「我の使徒となれ」
「自我は残してやる」
その言葉に。
空気が、凍り付く。
天音と零は、沈黙する。
その沈黙の中で。
九条が叫んだ。
「やめろ!!」
「そんなの、受ける必要ねぇ!!」
早乙女も叫ぶ。
「別の方法を探せる!!」
カノンが、涙をこぼしながら首を振る。
「お願い……行かないで……」
ノグティスは、何も言わない。
ただ、二人を見ている。
試すように。
見守るように。
世界が、軋む。
崩壊の亀裂が、空に走る。
エンドゥーが、最後に言う。
「時間は多くない」
「選べ」
沈黙。
その中心で。
天音が、ゆっくりと息を吐いた。
零が、目を閉じる。
二人は――
答えない。
ただ。
同時に、一歩、前へ出た。
それが答えだった。
第一章お疲れ様でした!
ここまで読んでくださった方が居ましたら、感想を書いてくれるととても嬉しいです!
では、第二章でお会いしましょう〜




