第六十一話「まだ完全じゃない」
ーー使徒
戦場は、静かだった。
アゴンを拘束する光の鎖が、遠くで微かに鳴っている。
その前で――
天音と零は並んで立っていた。
瞳には何も宿っていない。
感情も、迷いも、存在しない。
ただ。
役割だけがある。
ノグティスは、二人を見据えながら、小さく息を吐いた。
右手に収まるのは――短剣。
装飾のない、黒い刃。
「……完全に使徒だね」
次の瞬間。
零が動いた。
踏み込みは最小。
しかしその一歩で、空間が再計算される。
地面に走る魔法式が、幾重にも重なる。
「――最適解、確定」
世界の確率が収束する。
逃げ場のない未来が選別される。
そして。
天音が消えた。
否。
最短の勝利座標へ移動した。
「――天之」
銀の軌跡が空を裂く。
《アルギュロス=シルヴァリス》
視認不可能な速度で放たれる銀の矢。
ノグティスは、避けない。
一歩だけ、前へ。
身体が揺らぐ。
次の瞬間――
短剣が、銀線に触れた。
衝突音は鳴らない。
刃と刃が擦れた瞬間、
軌道そのものが、ねじ曲げられる。
銀の斬撃が、ノグティスの背後へ逸れる。
「……速いな」
天音は止まらない。
着地と同時に、連撃。
「天之」
「天之」
銀の光が重なり、
空間に格子状の斬撃が走る。
通常なら回避不能。
だがノグティスは滑る。
地面を蹴らない。
重力を踏み台にせず、
空間の“間”を縫うように動く。
短剣が、閃く。
最小の動作で、
すべての致命線を弾き落としていく。
零が、即座に補助を入れる。
「予測補正――三重収束」
未来の枝が折られる。
ノグティスの回避可能性が削られる。
天音が、その隙間を突く。
「――天之」
至近距離。
銀の矢が、ノグティスの喉元へ届く。
だが。
短剣が、わずかに角度を変える。
刃先が銀線に触れた瞬間、
力の流れが分散される。
それでも――
血が、飛んだ。
頬が浅く裂ける。
ノグティスは後退する。
だが、その口元は笑っていた。
「いい連携だよ!」
天音が、さらに踏み込む。
零が、運命を固定する。
「成功率――確定」
天音の速度が、限界を越える。
銀の軌跡が乱舞する。
だが。
ノグティスは前へ出た。
逃げない。
むしろ、距離を詰める。
短剣が閃く。
一瞬で、天音の懐に潜り込む。
刃が、喉元へ伸び――
止まる。
零の演算が割り込んでいた。
確率改変。
短剣の到達未来が、わずかに逸れる。
その隙を、天音が反撃に変える。
「――天之」
銀の光が、ノグティスの肩を裂いた。
赤が舞う。
三人が、同時に距離を取る。
静寂が落ちた。
「……やっぱり強いなー、使徒は」
二人は反応しない。
ただ、構える。
ノグティスは静かに続けた。
「完全に神になったわけじゃない」
「お前らの戦い方は――」
「まだ、“二人で戦う人間”のままだ」
零の瞳が、ほんのわずかに揺れた。
ノグティスは短剣を逆手に持ち替える。
「安心しろ」
「最初から、無効化なんて使う気はない」
「そんな方法で消せるなら――」
「お前らはここまで来てない」
天音が、静かに問いを落とす。
「……なぜ、戦う」
ノグティスは笑った。
一歩、踏み出す。
「決まってる」
短剣が、低く構えられる。
「目、覚まさせてやるためだよ」
空気が震える。
それは殺意ではない。
「次は――」
「もっと深くまで斬り込む」
視線が、二人を射抜く。
「君らが“戻る”って言葉を――」
「思い出すまでな」
戦場が、再び静まり返った。




