第五十九話「レテ・アンソロピノン」
――封印
戦場は、静まり返っていた。
誰もが理解している。
これは、勝つための戦いではない。
終わらせるための段階だと。
九条が前に立ち、
早乙女が魔法陣の最終固定を行い、
カノンの結界が外界を完全に遮断する。
零と天音は、並んで立っていた。
互いに視線を交わさない。
確認も、合図も、必要なかった。
――もう、分かっている。
零が、詠唱を始める。
静かで、正確な声。
感情を削ぎ落とした、演算の延長線にある言葉。
天音も、同時に口を開く。
低く、芯の通った声。
剣を握る時と同じ、覚悟を含んだ響き。
二つの詠唱は、完全に重なった。
競合も、遅れもない。
それはまるで、一つの存在が二つの口で喋っているかのようだった。
足元に、巨大な魔法陣が展開される。
刻まれているのは、ただ一つの名。
――レテ・アンソロピノン。
意味は、まだ誰にも分からない。
アゴンは、その中心に立っていた。
巨大な白銀の剣を地に突き立て、
逃げる素振りも、防ぐ素振りも見せない。
「来い」
低く、淡々とした声。
「封印を選んだ者たちよ」
詠唱が、最終段階に入る。
その瞬間、
魔法陣の文字列が――反転した。
向きが変わる。
零が気づく。
(……内向き)
だが、止めない。
天音も、理解している。
――この魔法の、
名前の向く先を。
選ばれるのは、
魔法そのものではなく――詠唱者の在り方。
だが、もう引き返せない。
詠唱は、完成している。
「―― レテ・アンソロピノン」
二人の声が、重なった瞬間。
光が、爆ぜるのではなく――収束した。
光は鎖となり、
空間の奥から無数に伸びて、アゴンの身体に絡みつく。
腕に。
脚に。
胴に。
そして、剣を握るその手に。
白銀の剣が、音もなく砕け散った。
アゴンは、倒れない。
膝をつくことすらない。
ただ、その場に立ったまま――
完全に拘束された。
光の鎖は、肉体だけでなく、
行動・魔力・存在干渉のすべてを縛り上げている。
残されたのは、言葉だけ。
アゴンは、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
初めて、感情の滲んだ声。
「この封印は、完全だ」
視線が、零と天音に向く。
「倒すのではなく、閉じる」
「正しい選択だ」
光の鎖が、さらに締まる。
アゴンの存在が、
この世界から“切り離されていく”。
それでも、声は届いた。
「覚えておけ」
「この封印は――」
一拍、間が空く。
「お前たち自身へと、返ってくる」
最後の言葉と同時に、
光が静かに沈み込み、アゴンの姿は固定されたまま目を閉じた。
戦場に残ったのは、
巨大な魔法陣の痕跡と、重い沈黙。
誰も、すぐには動けなかった。
封印は、成功した。
しかしーーー
物語は終わらない。
封印は、副産物に過ぎない。
終わりません




