第五十七話「相反する者」
――自分
闇だった。
上下も、前後もない。
沈んでいるのか、浮いているのかも分からない。
それでも――
意識だけは、はっきりしていた。
「……ここは」
声にした瞬間、理解する。
これは夢じゃない。
そして、戦場でもない。
自分の内側だ。
「気づいたか」
正面に、誰かが立っていた。
見慣れた顔。
異世界に来る前と変わらない、自分。
血も、傷もない。
迷いをそのまま残した、人間としての天音。
「ここは、逃げ場だ」
穏やかな声だった。
「戦場から、アゴンから」
「これ以上、失わなくて済む場所」
そしてその背後に、もう一人。
同じ顔。
だが、どこかが決定的に違う。
感情が削れ、
ためらいが削れ、
選択の余地すら削ぎ落とされた存在。
それは――
戦うたびに、何かを失ってきた自分。
「違う」
低く、静かな声。
「ここは逃げ場じゃない」
「ここは、選択の場所だ」
天音は気づく。
自分は、二人と向かい合っていない。
少し離れた位置から、二人を見ている。
それが、今の自分。
考え、決めるためだけに残された意識。
人間の天音が、手を差し出す。
「戻ろう」
「傷ついてもいい」
「怖くてもいい」
「それでも、人間のまま戦える」
失っていった自分も、手を差し出す。
「進め」
「迷いは、もう足枷だ」
「躊躇は、誰かを殺す」
二つの手。
どちらも、自分。
どちらも、嘘じゃない。
天音の意識は、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……俺は」
声は、震えていなかった。
「失うことでしか、何かを手に入れることができない」
人間の天音が、息を呑む。
「それは……悲しい答えだ」
「分かってる」
天音は言う。
「優しくもないし、正しくもない」
一歩、前に出る。
「でも」
「今までずっと、そうだった」
日常を失って、生き延びた。
迷いを捨てて、仲間を守った。
人間らしさを削って、前に進んだ。
「だから――」
天音は、
失っていった自分の手を取った。
瞬間、世界が砕ける。
人間の天音は、何も言わず、微笑った。
責めるでもなく、引き留めるでもなく。
ただ――
「行って」
その一言だけを残して。
闇が、裏返る。
遠くから、声が聞こえた。
「天音!」
零の声。
必死に、必死に呼んでいる。
意識が、引き上げられていく。
最後に聞こえたのは、
失っていった自分の、静かな声。
「――まだ、何を失うかは分からない」
「だが、もう戻る場所はない」
天音は、目を開いた。
戦場の空気が、肺を満たす。
そして――
封印への道が、現実として動き出す。




