第三十一話「未来の話」
―― 零
――静かすぎた。
音がない。
風も、鼓動も、重力すら感じない。
零は、ゆっくりと目を開けた。
「……ここは……」
足元は、何もない白。
上下の感覚も曖昧で、空間そのものが“未定義”のようだった。
(……違う)
(ノクターンの時とは、まるで……)
あのときは、“夢”に入り込んだ感覚があった。
感情の匂いがあって、歪んでいて、作られた世界だった。
だが、ここは――
「……初めて、来た場所だ」
そう呟いた瞬間、背後から声がした。
「正解だよ」
振り向くと、そこにいたのは――自分自身。
だが、どこか違う。
表情がなく、まるで感情という概念を削ぎ落としたような“零”。
「ここは夢じゃない」
「誰かに見せられている世界でもない」
「君自身の“思考の最奥”なんだよ」
零は息を呑んだ。
「……僕の?」
「そう」
もう一人の自分は、淡々と続ける。
「ノクターンの夢は“他人の心”だった」
「でも、ここは違う」
「君が今まで見ないようにしてきた場所」
「演算の、そのさらに奥だよ」
周囲の空間が歪む。
無数の“可能性”が、映像のように浮かび上がる。
成功する未来。
失敗する未来。
誰かが死ぬ未来。
自分が選ばなかった未来。
「……っ」
零は思わず目を伏せた。
「僕は……」
「止めてきた」
「判断を、感情を、覚悟を……全部」
「間違えたくなかったから」
影が、静かに頷く。
「だから君は“止める力”を得た」
「時間を、動きを、可能性を」
「でもね――」
影は一歩、近づく。
「それは“逃げ”でもあった」
「止めていれば、選ばなくて済む」
「選ばなければ、責任を負わなくて済む」
「そんな願望があったから、手に入れた」
零の拳が、震えた。
「……違う」
「僕は……守りたかっただけだ」
「間違えて、誰かが死ぬのが怖かった」
「だから……」
「だから自分を止めた!」
叫ぶと同時に、世界が揺れる。
だが影は、崩れない。
「なら、聞くよ」
「今、この瞬間も誰かが死にかけている」
「それでも君は、止め続けるのか?」
倒れている仲間たち。
歪む戦場。
迫るパウゼの力。
――止めるだけじゃ、なんにもならない。
零は、ゆっくりと顔を上げた。
「……そうだ」
「止めるんじゃないだ」
「“先に行く”んだ」
影が、初めて目を見開く。
「計算して」
「予測して」
「それでも足りないなら――」
「足りるまで続けるよ」
空間が、音を立てて崩れ始める。
零の足元から、冷たい光が走る。
だがそれは、凍結ではない。
“未来を固定するための座標”。
「これが……僕の答えだよ」
影が、微かに笑った。
「ようやく来たね」
「停止を超えた、“演算者”の領域へ」
次の瞬間――
世界が反転した。
⸻
ーー現実
零は、息を荒くして目を開く。
身体は重い。
だが、頭は異様なほど澄んでいた。
視界に映るのは、崩れた戦場と――
暴れるパウゼ。
「……見える」
呟いた瞬間、すべてが理解できた。
次の攻撃。
その軌道。
回避の最短経路。
仲間が倒れる未来。
助かる未来。
「……行ける」
零は、一歩踏み出す。
時間は止まらない。
だが――
自分だけが、その先にいる。




