第十一話「夜想曲」
長いので何回かに分けます
ーー絵画
街に足を踏み入れた瞬間から、違和感はあった。
人の気配がない。
なのに、生活の痕跡だけが残っている。
干された洗濯物。
開いたままの店の扉。
冷めきった食事。
「……おかしい」
零が呟いた。
そのとき、天音が足を止める。
「……これ」
壁に、絵が掛かっていた。
額縁に収められた一枚の絵。
そこには夜想曲夜想曲人がいた。
「……動いてる」
近づくと、絵の中の人物が微かに瞬きをする。
「……助け……」
かすれた声。
カノンが口元を押さえる。
「これ……生きてる……?」
周囲を見回すと、街中の壁という壁に、同じような絵が並んでいた。
子供、老人、兵士、商人。
どれも表情が穏やかで、眠っているようで――
「……夢、見てる」
カノンが震える声で言った。
「これ、みんな……夢を見させられてる……」
その瞬間。
――パチン。
乾いた音が、街に響いた。
空気が一気に冷える。
噴水の縁に、いつの間にか“誰か”が立っていた。
黒い服を纏った女。
表情は穏やかで、どこか芝居がかった佇まい。
手には、一本の絵筆。
「ようこそ」
「私の、静かな美術館へ」
九条が一歩前に出る。
「……セクステットだな」
女は、ゆっくりと頷いた。
「ええ。私は――」
「セクステット第5位、夜想曲ノクターン、カリ・ヤギュオス」
「夢と芸術を司る者」
天音が睨みつける。
「人を閉じ込めて、何が芸術だ」
ノクターンは微笑んだ。
「閉じ込めている、とは心外だねー」
「彼らは私の絵の中で永遠に生き続けるんだ」
カノンが叫ぶ。
「そんなの……生きてるって言わない!」
ノクターンは、ほんの少しだけ目を細めた。
「君たちは、現実に縛られすぎている」
「だから――」
彼女は、指を鳴らした。
パチン。
世界が歪む。
足元から、黒い絵具のような影が広がる。
「っ!?」
零が後退するが、影は床から這い上がる。
「まずは――」
「君たちにも、“見てもらおう”」
次の瞬間。
カノンの足元から、額縁が出現した。
「きゃっ!」
天音が手を伸ばすが、遅い。
一瞬で、カノンの身体が絵の中へ引き込まれる。
「カノン!!」
続けて、早乙女。
零。
九条。
一人、また一人と、絵に飲み込まれていく。
「くそっ……!」
天音が手を伸ばすが、間に合わない。
最後に残ったのは、彼だけだった。
ノクターンは満足そうに周囲を見回す。
「安心して」
「彼らは苦しんでいるよ、自分自身の葛藤に」
天音は、震える拳を握りしめた。
「……ふざけるな」
ノクターンは微笑んだまま、後退する。
「救えるものなら、救ってみせてよ」
「芸術は、壊されることで完成する」
そして、姿が霧のように”見えた”。
街に残されたのは――
四枚の、新しい絵。
そこには、
眠る仲間たちの姿が描かれていた。
天音は歯を食いしばる。
「……待ってろ」
「必ず、起こす」
彼の手に、銀の光が灯る。
「――天之」
静まり返った街で、
天音の戦いが、始まった。
ーーノクターン
攻撃をした瞬間、ノクターンの姿が消えた
「……出てこい、ノクターン」
返事はない。
だが――
「焦らないで」
背後から、声がした。
振り返ると、そこにはいつの間にか“彼女”が立っていた。
「君は今、とてもいい顔をしている」
「必死で、絶望していて」
「芸術的だ」
天音は歯を食いしばる。
「仲間を返せ」
「今すぐだ」
ノクターンは首を傾げた。
「無理だよ」
「彼らはもう“夢”の中だ」
次の瞬間。
地面に無数の額縁が浮かび上がった。
絵の中の人々が、ゆっくりと動き出す。
「……っ!」
天音は駆け出す。
「――天之!!」
銀の矢が放たれ、絵を貫く。
だが――
ヒビは入るが、割れない。
「な……!?」
ノクターンは静かに言った。
「無駄だよ」
「その矢は、まだ“現実”にしか干渉できてないねー」
「夢の中にあるものには、届かない」
天音の額に汗が滲む。
「……じゃあ、どうすれば……」
答えは返ってこない。
代わりに、街全体が歪んだ。
建物の壁が、ゆっくりと“絵”に変わっていく。
逃げ場が、消えていく。
「さあ」
「君も、こちらへ来るといい」
「大切な人たちと同じ、永遠の夢を」
ノクターンが指を鳴らす。
足元に、絵の枠が現れた。
天音は歯を食いしばり、後退する。
「……くそ」
「追い詰められてる……」
その時――
「……天音」
かすかな声が聞こえた。
「……え?」
絵の一枚。
そこに描かれた零の唇が、わずかに動いた。
「……聞こえる?」
天音「零……!?」
ノクターンが目を細める。
「へぇ……」
「やはり、完全ではない、か」
天音は叫ぶ。
「何が見えてる!? 中はどうなってる!?」
零の声は、途切れ途切れに続いた。
「……夢だ……」
「それぞれ……違う……」
「でも……」
「共通点がある……」
「共通点?」
「……“弱さ”だよ」
「何かを突き付けられているんだ……」
その瞬間。
ノクターンが、ゆっくりと拍手をした。
「正解」
「だからこそ、美しい」
「彼らは今、己の本質と向き合っている」
天音は拳を握る。
「……じゃあ」
「そこに入れば、助けられるのか?」
ノクターンは微笑んだ。
「入ればね、可能性はあるかもしれない」
「でもね……」
「君が入れば、戻れなくなる可能性もある」
沈黙。
天音は、迷わなかった。
「それでも行く」
ノクターンの目が、初めてわずかに見開かれた。
「……愚かだね」
「だが、それが“人間”か」
彼は、静かに指を鳴らす。
「では、特別に招待しよう」
「――夢の中へ」
視界が、白に染まる。
足元が消え、意識が引きずり込まれていく。
天音の耳に、最後に聞こえたのは――
零の、かすかな声。
「……来るな……」
「……でも……」
「……待ってる……」
――そして。
九条からです




