赤鼻のトナカイ
花籠高校3年の滝沢明は、東都大を目指している秀才である。
前年の文化祭の日に、模擬店で、他校の女子生徒に声をかけられて以来、その子のことが頭から離れなくなり、成績が下がっていた。
花籠高校の冬休みの補習が始まった。
滝沢は高度な数学の講義を選んだ。
小林由紀子が後ろの席から何度も手を挙げ、教師に質問した。
教師が答えるたびに、滝沢の集中は途切れ、次第に苛立ってきた。
「先生、小林さんの質問は無視して、授業を進めてください」
「いいじゃない。少しくらい」
由紀子が後ろの席から言い返す。
「少しどころじゃないだろ。後で聞けばいいだろう!」
「八つ当たりしないでよ!」
「どういう意味だよ?」
「成績、下がってるんでしょう!」
図星を指され、滝沢の胸の奥で何かが弾けた。
椅子を蹴って、滝沢は後ろの席に座っている由紀子に殴りかかった。
(ガシーン!)
由紀子の兄はプロボクサーで、彼女はカウンターを打ったのだ。
倒れたのは滝沢のほうだった。
教師が見ると、鼻の骨が折れて、血が止まらない。
「救急車だ。早く」
12月24日未明、顔面骨折による出血多量で、滝沢は息を引き取った。
警察が調べた結果、殴りかかったのは滝沢の方で、由紀子の行為は正当防衛とされた。
翌日の補習で、教師が淡々と滝沢の死を告げた。
「滝沢くんが亡くなった」
すすり泣きの音だけが教室に広がった。
由紀子も声を押し殺して泣いた。
「小林さんの責任じゃない。私が力ずくでも滝沢くんを止めていればこんなことにはならなかったんだ。みんな、小林さんの悪口を言うんじゃないぞ」
教師の声は震えていた。
由紀子は暗い気持ちで帰宅した。
彼女の家ではクリスマスを祝う習慣がない。
夕方、玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、帽子をかぶったケーキ屋の配達員が立っていた。
「クリスマスケーキをお届けに上がりました」
「うちは、頼んでいません」
「それがお代はすでに頂いております。滝沢明さんという方から」
由紀子は慌てて、受取り、中を開けて見た。
小さな袋の中には、ケーキの箱と一通の封筒がある。
便箋には、滝沢の筆跡があった。
由紀子は慌てて読んだ。
(小林さんへ。山田先輩から頼まれて、ケーキを予約しました。勉強頑張って。来年は笑ってクリスマスを過ごせますように)
山田浩三とは、同じ高校の1学年上の、東都大文科1類に進んだ秀才で、由紀子がひそかに憧れていた人だった。
翌日、由紀子は山田の家を訪ねた。
「クリスマスケーキ、ありがとうございました」
「俺は司法試験の勉強が忙しくて滝沢に頼んでおいたんだ。あいつ、元気にしてる?」
「亡くなりました。わたしが殺したんです」
「なんだって?だったら、なぜ君はここにいられるんだ?」
「授業中に喧嘩になって。正当防衛にはなったけど」
「そうか」
短い返事のあと、沈黙が落ちた。
由紀子は小さく頭を下げた。
「司法試験、頑張ってください」
「君も受験、頑張ってね」
それだけを言い交わし、彼女は背を向けた。
春が来て、桜が咲いた。
由紀子は双葉山大学法学部に進み、やがて司法試験にも通り、弁護士になった。
山田はとっくに弁護士になっていた。
ある事件で再会した山田と恋に落ち、二人は結婚した。
滝沢の命日は12月24日である。
由紀子は毎年、滝沢の墓を訪ねる。
墓石には、「平成〇〇年十二月二十四日没」と刻まれている。
「わたしが『八つ当たりしないでよ』なんて余計なことさえ言わなければ、こんなことにならなかったのよ」
「女性に手を上げたあいつが悪いのさ」
由紀子は線香を立て、滝沢の好きだった豆大福を供えた。
カラスが一羽、墓のそばに降り立ち、大福を咥えて飛び立った。
「アホー、アホー」と鳴きながら、灰色の空の向こうへ消えていく。
由紀子はしばらく立ち尽くした。
空の高みで、滝沢が少し照れたように笑っている気がした。




