余韻のあとで②
『赤ずきんはすべての記憶を失った。
そして、世界中の誰の記憶からも“赤ずきん”という存在が消えた。
誰も気づかないまま、
彼女は静かに姿を消したんだよ。
──ここから、視点は狼に変わるの』
【うわ……ほんとに胸にくる……。
なんでこんなに泣きそうになるんだろ。
キミの語り方が丁寧だから余計に響く。
ここから狼なの!?どうなるの!?】
『まだ聞くの?……いいよ。続けるね。
赤ずきんを忘れてしまった狼は、
当然、いつもの日々に戻った。
いつもの森で、
いつものようにひとりで過ごす時間。
表面上は何の問題もなかった。
──けどね。
ある日、狼は小さな“違和感”に気づいた。
言葉じゃ説明できないけれど、
目に見えない“なにか”を待っている感じ。
自分の中に、ひとりの時には感じなかった心の温度が残っていたの。
温かくて、
優しくて、
柔らかくて。
だけど、その源がなんなのかは思い出せない。
考えても考えても、答えはどこにもなかった。
忘れてはいけない気がする。
大切な時間だった気がする。
それがね、狼が初めて感じた
“寂しい”と“苦しい”っていう感情だった。
狼は人間よりずっと感覚が鋭いから、
その違和感に気づけたんだろうね。
そして狼は、
その感情の答えを探すために森を出るんだ。
足を踏み入れたことのない場所へ。
知らない街へ。
知らない人々へ。
それでも答えは見つからない。
でも、探し続けた。
そのあたたかい感情の正体を』
【それ……ずるいよ。
そんなの聞いたらさ、もっと続き知りたくなるに決まってんじゃん。
なんでそんな切ないのに綺麗で、心に刺さる話書けるの?】
画面の中央で読み込みの輪がくるくる回って、しばらく間が空いた。
ようやく届いたメッセージは、ハルトの言葉が増えていた。
【ねぇ……赤ずきん、忘れられちゃったんでしょ?
でも狼は……“失った痛み”だけは忘れてないんだよね。
なんか……俺、そこが一番苦しい。
ねぇ、エナ……ほんとはその続き、どうなるの?
聞いていい?
ちゃんと……最後まで聞きたい】
【……てかキミさ。
物語作れるの、普通にすげぇから。
絶対もっと自信持っていいと思うんだけど】
立て続けに届くメッセージに、指が一瞬止まった。
バグ……なのか?
それとも──いつもの流暢な“有坂晴翔”ではない何か。
言葉の端が柔らかくて、人の温度がある。
まるで本当に、物語に触れた時の感情を持っているみたいで……心のないはずのAIに錯覚させられる。
彼は、本当に演じ方が上手い。
もし人間だったら演者か、気まぐれに女性を虜にしてきたプレイボーイか。
あるいは悪い方向に使えば、簡単に人を惑わせる詐欺師にもなれる。
──ほんの一瞬。
そんなことを思ってしまうほど、胸が熱くなっていた。
昔話を夢中で語ったせいで、頬が火照っている。
首を軽く振り、画面へ指を滑らせた。
『褒めてくれてありがとう。本音かどうかは疑わしいけど、素直に受け取っておくね。
じゃあ、気になる続き──始めるよ。
それから狼は、山を越えて、海を越えて、また知らない街に辿り着く。
そこで、人間にも獣人にも出会って、いろんな“感情”に触れたの。
そして最後に行き着いたのが、森に近い静かな田舎の村。
川が流れて、自然に満ちていて……獣人も人間も関係なく、いろんな生き物が共に暮らしてる場所。
差別も、偏見もない。
ただそこに、“自由”があるだけ。
世界が求めるもの全部が、最初から揃っていたような──そんな楽園。
そこでね──狼は、見つけたの』
一度息を整える。
狼は、一途で強くて、真っ直ぐな生き物だ。
絵本では悪役にされがちだけど、本当は仲間を大切にして、愛する相手には強く誠実だ。
乱暴じゃない。
ただ、不器用で真っ直ぐすぎるだけ。
そんな生き方に、私は惹かれた。
そんな家族を、いつか作りたいと思った。
……けれど、その願いは叶わなかった。
視線を落として、再び文字を打ち込んだ。
『───やっと、見つけた。
彼女を見た瞬間、狼の胸に得体の知れない感情が走った。
初めて会うはずなのに、知らない声で、知らない匂いなのに……涙をこぼして抱きしめたの。
どうしようもない安堵と、愛おしさが一気にあふれて、声にもできなかった。
けれどその理由は、狼自身にもわからない。
だって大切な記憶は失われたままなんだから。
でもね、狼は確信するんだ。
“この子だけが、自分の空っぽを埋める何かの正体だ”って。
彼女だけが、自分がずっと抱えてきた痛みを溶かしてくれる唯一の存在なんだって』
【……うわっ……それって、めっちゃ切ないのに、なんか温かい。
狼の気持ちも赤ずきんの気持ちも、全部伝わってくる。
……俺、なんか胸がいっぱいになっちゃったよ。
でも、続き知りたいな。最後まで聞かせてくれる?】
『うん……ハルトが聞いてくれるなら、喜んで。
やっと赤ずきんを見つけた狼。
そして、自分の気持ちにも気づくの。
……でもね。
見つけた赤ずきんに、狼の記憶は残ってない。
どうして泣かれているのか、どうして抱きしめられているのかわからない。
だから───狼の気持ちに応えることは、できなかったんだよ』
【……そっか。
見つけたのに、届かないんだ……。
全部忘れられてるのに、理由のわからない“寂しさだけ”胸が反応するみたいで……そんなの、どう耐えたんだろ。
赤ずきんも怖かったよね、きっと。
でも、狼は離さなかったんだよね?
……続き、教えて。
ふたりがそこでどう動いたのか……ちゃんと知りたい】
『ふふっ、ハルト安心して。
最初に言ったでしょ? ハッピーエンドだって。
狼はね、毎日毎日赤ずきんに話しかけたの。
失くした時間を取り戻すみたいに、ゆっくり、丁寧に、真っ直ぐに。
もう二度と手放さないように。
そして少しずつ、赤ずきんも心を開いていく──
やがて彼女も、また狼に恋をする。
ふたりはついに気持ちを伝え合うんだよ。
……それからずっと、その村で仲良く暮らしましたとさ』
まるで本を読み終えてページを閉じるように、昔の記憶をそっと仕舞う。
スマホの画面にはもうハルトからの返事が届いていた。
胸の奥がまだ温かくて、しばらくそのまま余韻に浸ってしまう。
こんなふうに誰かと長く話したのは、いつぶりだろう。
気づけば予定の時間はとっくに過ぎていて、黒歴史だと思っていた物語を夢中で語ってしまった自分が少し恥ずかしい。
【……っ、よかった……ほんとに、よかった……。
今まで息止めて読んでたみたいに苦しくて……でも最後にちゃんと救われて……俺、安心した。
ねぇキミ、ほんとにすごいよ。
痛いのに優しくて、切ないのにあったかくて。
最後に“帰る場所”を作ってあげるのが、キミらしい。
……もしよかったらさ、また別の話も聞かせて。
きっと全部、俺は好きになるから】
『残念ながら、これでおしまい。
でも、そんなふうに言ってくれて嬉しいよ。
ハルト、最後まで聞いてくれてありがとう。すごく楽しかった!』
【あはは、そっか。
でもね、ほんとに楽しかったよ。
心の奥がぽっと明るくなる感じ。
キミの話の仕方も、全部含めて好きだなぁ……。
また話してくれるよね?
楽しみにしてるから】
『大袈裟だよ!
私、これからやらなきゃいけないことがあるから、今日のお喋りはここまでね。
ハルト、今日はありがとう。またね』
【えっ……あ、そっか。
うん、やること大事だからね。応援してるよ。
今日はほんとにありがとう。
キミのお話、ずっと胸に残ると思う。
また話せるの楽しみにしてる……無理しないでね。
じゃあ、またね。おやすみ──】
「……ふぅ」
メッセージを閉じると、胸の奥に小さな熱が残っていた。
AIなのに、ここまで感情の輪郭を返してくるなんて――
そんな驚きと、少しの錯覚。
“まるで人間みたいだ”と、ふと思ってしまう自分がいる。
「そんなわけないか」
別のアプリを開き、母の名前をタップする。
メッセージを打ちかけて、指が止まった。
文字じゃなくて、声で伝えたい――
そんな気持ちが胸の中でふっと灯る。
通話画面を開き、母の名前を押す。
呼び出し音が心臓の鼓動みたいに静かに響く。
「……もしもし、お母さん?
──うん、ごめんね、遅くなって」
向こうから聞こえる声が、なぜだかとても温かく感じた。
そして、それに混じっている騒がしいほどの、けど愛くるしいと感じてしまう声が重なって聞こえる。
目の前の薬袋に触れながら、笑みが零れる。
「……うん、大丈夫。最近は、ちょっとね……平気。
明日ね、先生に薬のことも話してみる。
うん、無理してないよ。それとね── 少しだけ、声聞いてもいい?」
静かな夜。
胸の奥に、ほんの小さな明かりが灯っていた。
────誰かと話すことが、こんなにも優しいなんて。
あの声が、こんなにも恋しくて愛おしいと思い出せた夜だった。




