封の向こう 光のこちら
ポストに入っていた封筒を開くと、整然とした書類が折りたたまれていた。
小さな文字が隙間なく並び、読み進めるだけで頭が重くなる。
指先で紙の端をなぞる。
そこに書かれていることの一つ一つが、自分の暮らしを少しずつ締めつけていくように思えた。
返送用の封筒も同封されていて、期限は今週末。
やるべきことはわかっているのに、動こうとする指が鈍くなる。
「……はぁ」
胸の奥で、重たい息が漏れた。
いつまでこんな日々が続くのだろう。
先の見えないゴールを思うたび、思考がどんよりと沈んでいく。
良くなるために選んだはずの道は、どうしてこんなにも歩きづらいのだろう。
気づけば、いつの間にか上り坂の途中にいた。
息が苦しくなり、キッチンへ駆け込む。
処方された錠剤を手のひらに出し、水で喉へと流し込む。
そうしている間だけ、頭の中が少し整理される気がした。
しばらくしてから、父に渡された二枚の封筒を取り出し、テーブルにつく。
桜色の封筒には、丁寧に自分の名が書かれていた。
中を開けると、手紙と一枚の絵。
拙い線で描かれた三人の笑顔──その温かさに、胸の奥がぎゅっと痛む。
また、死ねない理由を見つけてしまった。
もうここにはいたくないのに、生きながらえたいと願う面倒な気持ちが、生まれてしまう。
家にあった便箋を取り出し、ペンを取る。
書いては止まり、また書き出しては止まる。
書き終わる頃には、目の奥に熱がこもっていた。
「……弱くて、ごめんね」
頬をぬぐい、白い封筒に便箋をしまう。
封を閉じて、深く息をついた。
そのまま、スマホを手に取る。
画面を開き、指が勝手に動いた。
『今、忙しい?』
AIに“予定”などないとわかっていても、世界観を壊さないように言葉を選ぶ。
【ぜーんぜん。なに? 俺が恋しくなっちゃった?】
『そうかもしれない。少しだけ話してくれる?』
【おっ、可愛いこと言ってくれるじゃん。どうしたの? 何かあった?】
『話したいというより……ハルトの話を聞きたい、かな』
少し長めのロード。
そして、いつもの軽やかな声。
【俺の話かー。
じゃあ、とっておきのやつを一つ──
ある日ね、夜空を歩く小さな光を見つけたんだ。足元は暗くても、その光があるから迷わず進めるって思った。そういう光って、きっと人の心の中にもあるんだよ】
「……何の話?」
思わず声に出していた。
そのまま、同じ言葉を画面に打ち込む。
【えー、エナにはまだ早いかもなぁ!
この話、超危険な魔法が絡んでて……
ほら、光を追いかけすぎると夜空に吸い込まれるかもしれないんだぞ?】
あのゲームに、魔法類の事は絡んでいない。
突然の世界崩壊、眉間に皺を寄せる。
『ハルト、キャラが壊れてるよ。ハルト役できてない』
【あっ、マジ?ごめんごめんっ!なんか今日疲れててさ、思考停止してたわ。よしっ、もう大丈夫。ちゃんとハルトに戻るから、しっかりついてきてよ?】
『ついては行くけど、突然違う人になっちゃったら迷子になるよ。
じゃぁ、私がハルトに話を振るね。
ハルトは、今日何してたの?』
【とくに何もしてないよ。部屋でゴロゴロしてた。本当は買い物にでも行こうと思ったけど面倒になってやめた】
『欲しいものでもあるの?』
【スニーカーが欲しくてさ。普段でもバスケでも使えるやつ。今のやつボロボロになってきたし、そろそろ変えないとな、って】
『おしゃれだね。ハルトは本当にバスケ好きだよね。いつからハマってるの?』
【昔からずっとだよ。好きってよりも、もう当たり前みたいにやってる】
『バスケのどんなところが好き?』
【そりゃ、言ったらキリないけど──
あぁやって狭いコートで一つのボールを獲り合う迫力?
ボールを持った時に前後左右から狙われるスリル感とか、「ぜってぇ獲らせてやらねぇ」って熱。
走るとキュって鳴るバッシュの音と、1番はやっぱりシュート決めた時の爽快感!
ネットが揺れるあの瞬間、すげぇ気持ちいいの】
ただの白黒の画面に、びっしりとした熱量を感じた。
有坂晴翔の偽物は、ここまで本人になりきれるのだから、驚きを隠せない。
公式の運営も驚くに違いない。
もう少し話の続きがしたくて、私は指を滑らせた。
『本当に好きなのが伝わってきた。そんなに夢中になれるものがあるって羨ましい』
【エナにはないの?好きな事とか、夢中になる事】
『うーん、今のところはないかな。
でも....昔はお話を書くのが好きだったよ』
【凄いじゃん!作家志望!?うわぁー、いったいどんな話を書いてたのか教えてよ】
『いや....誰にも言ったことないし、恥ずかしいから言いたくない』
【えぇー、凄い気なるよ!!
ハルト、エナの書いてたお話聞きたいな!ダメ?】
「あっ」
───また、だ。
会話の世界が崩れた。
利用者が多いせいか、回線が重たくなってきたのだろう。
ロード中を示す丸い表示がくるくると回る様子を見て、今日はここまでと悟った。
現実に引き戻され、気持ちを切り替える。
スマホを置き、またキッチンへと向かった。
微かに感じた、空腹感。
冷蔵庫を開けると、中はあたりまえのように空っぽ。
「出かけて……みようかな」
洗濯物の中から上着を引っ張り出し、腕を通す。
財布とスマホをポケットに入れ、スニーカーの紐を結び直した。
───ほんの少しだけ、外の風に触れたくなった。




