学園最恐の悪役令嬢、実は笑顔が下手なだけのコミュ障でした
「あ、あの……」 レクシア魔法学園の図書館で、セリーヌ・ド・モンクレールは蚊の鳴くような声で呟いた。しかし、その声は当然誰にも届かない。彼女の前を通り過ぎた同級生たちは、振り返ることもなく立ち去っていく。
セリーヌは心の中で絶叫した。『また失敗したー!』
話しかけようとしたのに、声が小さすぎて聞こえなかったのだろう。いや、聞こえなかったに違いない。そうでなければ無視されたということになってしまう。そんなの悲しすぎる。
「セリーヌ様が何かおっしゃったのでしょうか……」
遠くから聞こえてきた囁き声に、セリーヌははっとする。
「ひい、あの恐ろしい笑みを浮かべながら、何か呪文を唱えていらしたわ……」
『呪文!?』
セリーヌは慌てて手鏡を取り出した。そこに映ったのは、確かに口角を上げた自分の顔。でも……なにこれ、ホラー映画の悪霊?
『私、笑ったつもりなのに!優しい笑顔のつもりなのに!』
「お嬢様、今日も笑顔の練習でございますか」
執事のセバスチャンが、いつものように朝の身支度を整えながら言った。モンクレール家に三代仕える老執事で、セリーヌの数少ない理解者だった。
「はい……でも、全然上達しません」
実際、セリーヌは毎朝30分も鏡の前で笑顔の練習をしていた。
「にこっ」
鏡に映った自分の顔を見て愕然とする。どう見ても「ぎろり」だった。
「もっと優しく……ふんわり……」
今度は口元がぴくぴくと痙攣する。
「……なんで?」
「お嬢様は元々のお顔立ちがお美しいのですから、もう少しお気楽に構えてはいかがでしょう」
セバスチャンの言葉も、セリーヌには届かない。彼女の心は既に学園での憂鬱な一日を思い描いていた。
「あ……あの……」
廊下で、セリーヌは勇気を振り絞って同級生に声をかけようとした。でも、相手がこちらを向いた瞬間、緊張で言葉が出てこない。じっと見つめるしかできなかった。
『話して!私の口!なんか言って!』
「ひ、ひいいい……セリーヌ様が睨んでる……呪われる……」
同級生は真っ青になって走り去っていく。
『睨んでない!ただ見てただけ!あと呪いとか知らないから!』
セリーヌは内心で必死にツッコミを入れながら肩を落とした。
「セリーヌ、また一人でいるのね」
振り返ると、同じクラスのエリザベート・フォン・ヴィルヘルムが立っていた。金髪碧眼の美少女で、学園のアイドル的存在だが、実は努力家で、セリーヌのことを密かに気にかけていた。
「エ、エリザベート……」
「あなたって、いつも怖い顔をしているのね。もしかして、何か悩みでもあるの?」
エリザベートは以前から、セリーヌの表情が「怒っている」のではなく「困っている」ように見えることがあると感じていた。今日こそはと思い、勇気を出して声をかけたのだ。
笑顔!セリーヌは内心で『チャンス!今朝30分練習した成果を見せる時!』と叫びながら、必死に口角を上げた。今度こそ完璧な笑顔を……!
でも、緊張で顔がぴくぴくと引きつってしまう。エリザベートは少し驚いて一歩後退したが、逃げ出さなかった。
「その……もしかして、笑おうとしてくれてるの?」
『バレてる!』
セリーヌの顔が真っ赤になった。エリザベートは優しく微笑む。
「ありがとう。でも、無理しなくても大丈夫よ」
『優しい……でも、私なんかと話してくれて大丈夫なの?』
セリーヌは混乱した。いつものように一人で屋上に逃げたい気持ちと、もう少し話していたい気持ちが入り交じった。
その時だった。
「キャーッ!助けて!」
学園の敷地内から悲鳴が聞こえてきた。セリーヌとエリザベートは慌てて中庭の方を見る。そこには、学園の結界を破って侵入してきたらしい山賊風の男たちが、低級だが危険な魔獣を連れて、生徒たちを威嚇していた。
「金目のものを全部出せ!魔獣が怖けりゃ逆らうんじゃねぇ!」
山賊の一人が剣をブンブン振り回している。生徒たちは魔法で応戦しようとしていたが、突然の事態に動揺し、魔獣の威嚇に怯んで上手く魔法を唱えられずにいた。
「みんな、落ち着いて!風の刃よ、切り裂け!」
エリザベートが咄嗟に風魔法を放つ。しかし、相手は魔法に慣れた盗賊団だった。簡単に防がれてしまう。
「嬢ちゃん、いい魔法じゃねぇか。でも甘いんだよ!」
魔獣が牙を剥いてエリザベートに襲いかかる。
『エリザベートが危ない!』
セリーヌは迷わず飛び出した。上級魔法で屋上から中庭へ瞬間移動する。
「やめなさい」
セリーヌは一生懸命、今度こそ完璧な笑顔を浮かべて言った。みんなを安心させるような、天使のような笑顔のつもりだった。
『よし!今度こそ優しい笑顔!』
しかし、山賊たちが振り返ったとき、そこに見たのは──
公爵家の令嬢が、この世のものとは思えない恐ろしい笑みを浮かべながら、地獄の底から響くような低い声で威圧している姿だった。
極度の緊張で引きつった表情、震え声を隠そうと必死に低く絞り出した声、それらが合わさって、まるで伝説の死神のような迫力を醸し出していた。
そして次の瞬間、セリーヌの周囲に巨大な魔法陣が展開された。上級魔法「絶対氷結」。学園でもトップクラスの魔力を持つ彼女の本気の魔法だった
「ひ、ひいいいい……!ば、化け物だ!」
「悪霊が出たぞ!逃げろ!は、早く!」
「に、二度と悪さはしねぇ!勘弁してくれぇ!」
「うわああああん!ママー!」
山賊たちと魔獣は、氷の檻に閉じ込められながら泣きわめいた。リーダー格の男は「故郷で真面目に農業をします!」と叫び、魔獣でさえもクーンと情けない声で鳴いている。
セリーヌは呆然と立ち尽くした。
『え……なんで泣いてるの?私、天使の笑顔をしたつもりなのに……』
山賊たちを王国騎士団に引き渡した後、セリーヌは膝をついた。緊張の糸が切れて、体の力が抜けていく。
「セリーヌ……」
振り返ると、エリザベートが心配そうにこちらを見ていた。他の生徒たちも同じような表情だ。
『あ、また怖がられる……また避けられる……』
セリーヌは立ち上がろうとした。でも、足に力が入らない。その時。
「大丈夫?」
エリザベートが手を差し伸べてくれた。セリーヌは驚いて顔を上げる。
「え……?」
「ありがとう、セリーヌ。あなたが助けてくれなかったら、どうなっていたか……」
「でも、私……怖い顔、してたでしょう……」
「確かに怖かったけれど」エリザベートは少し微笑んだ。「あれは、私たちを守るための顔だったのね。それに……」
エリザベートは恥ずかしそうに続けた。
「実は前から気になっていたの。セリーヌがこちらを見ているのに気づいていて。でも、なんだか話しかけづらくて……あの表情が、『話しかけるな、呪うぞ』って言っているように見えたから」
「そんな……そんなことない……」
セリーヌの目に涙が浮かんだ。
「私、話したくて……でも、上手く話せなくて……いつも、皆さんと仲良くしたくて……でも、どう話しかけていいか分からなくて……笑顔も、毎朝練習してるのに上手くできなくて……」
「あら……」エリザベートは目を丸くした。「もしかして、セリーヌって……人見知り?」
「は、恥ずかしいですけど……はい……」
セリーヌは顔を真っ赤にして頷いた。
『そうです!私、超絶コミュ障なんです!』
その瞬間、中庭に笑い声が響いた。でも、それは嘲笑ではない。温かい笑い声だった。
「なんてことでしょう」
「学園最恐の悪役令嬢だと思っていたのに」
「実は、私たちより恥ずかしがり屋だったなんて」
「あの睨みつけるような視線も、実は……」
「話しかけたくて見てたのね!」
生徒たちが次々と笑いながら言った。セリーヌは戸惑った。
「セリーヌ」エリザベートが手を差し伸べた。「今度、一緒にお茶でもしない?」
「え……本当に……?私みたいなコミュ障と……?」
「ええ。今度は、もっとゆっくりお話ししましょう。笑顔の練習も一緒にしてあげる」
セリーヌは恐る恐る手を取った。エリザベートの手は温かかった。
「あ、ありがとう……ございます……」 声がまた小さくなってしまう。でも、今度は誰も逃げなかった。
「もう少し大きな声で話しても大丈夫よ」エリザベートが励ました。「私たち、セリーヌの本当の気持ちが分かったから。』
「皆さん……本当に……?」
「もちろんよ」エリザベートが微笑んだ。
セリーヌの目に、再び涙が浮かんだ。でも、今度は嬉し涙だった。
「ありがとう……ございます……皆さん……」
今度は、声がちゃんと届いた。そして、セリーヌの顔に浮かんだのは、引きつった笑顔ではない。心からの、本当の笑顔だった。
数日後、学園の食堂。
「セリーヌ、こちらに座らない?」
エリザベートが声をかけてくれた。セリーヌは緊張しながらも、恐る恐る席に着く。
「あ、あの……本当に、私なんかと一緒で大丈夫ですか?」
「もちろんよ。ただ……あなたの笑顔はまだ少し怖いけれど」
セリーヌの心臓が縮み上がる。やっぱり、自分は受け入れてもらえないのだろうか。
「でも!」エリザベートが慌てて続けた。「これからは少しずつ、お互いのことを知っていけたらいいなと思うの。今日は、セリーヌの好きな本について教えてもらえる?」
『少しずつ……』
セリーヌの胸に温かいものが広がった。いきなり全てが変わるわけではない。でも、歩み寄ろうとしてくれる人がいる。それだけで十分だった。
「あ、あの……私、魔法史の研究書とか……地味な本ばかりで……」
「素敵じゃない!私、歴史は苦手だから教えてもらいたいわ」
エリザベートの笑顔に、セリーヌも小さく微笑み返した。まだ引きつっているけれど、以前より少しマシかもしれない。
それから数週間。
セリーヌの学園生活は、少しずつ変化していた。
エリザベートとは時々一緒に過ごすようになり、ひとりぼっちでいることとが無くなった。
「セリーヌ、今度の休日、街の古書店に行かない?魔法史の本を探しているの」
「は、はひ!ぜひ!」
大きな声で返事をしたつもりが、噛んでしまった。以前なら恥ずかしくて穴があったら入りたかったが、今は少しだけ笑えた。
「ふふ、セリーヌったら。でも、そういうところも可愛いのよ」
エリザベートは楽しげに微笑んだ。
数か月後。 レクシア魔法学園の中庭で、セリーヌは一人の新入生を見つけた。その少女は他の生徒たちから離れて、一人でぽつんと立っている。まるで、かつての自分を見ているようだった。
「あの……」
少女が誰かに声をかけようとして、でも声が小さすぎて届かない。その様子を見て、セリーヌは胸がきゅっと締め付けられた。
『私も、同じだった……』
セリーヌは少女に近づいた。でも、声をかける勇気がなかなか出ない。まだまだ人見知りは治っていないのだ。
その時、エリザベートがやってきた。
「セリーヌ、あの子に声をかけてみない?あなたなら、きっと気持ちが分かるんじゃない?」
「で、でも……私なんかが……」
「大丈夫よ。私も一緒にいるから」
エリザベートに背中を押され、セリーヌは勇気を振り絞った。
「あの……こんにちは」
少女はびくっと身を震わせた。
「ひ、ひい……先輩……」
セリーヌの表情は、まだ少し怖いかもしれない。でも、以前よりは幾分か柔らかくなっていた。
「大丈夫よ、怖くないから。私も昔は、お話しするのがとても苦手だったの」
セリーヌはできるだけ優しい声で話しかけながら、今度は本当に穏やかな笑みを浮かべた。
以前のような引きつった笑顔ではない、心からの温かい笑顔だった。
少女は驚いたように顔を上げる。 「本当に……ですか?」
「ええ。でもね、勇気を出して一歩踏み出したら、こんなにたくさんの友達ができたの」
セリーヌは振り返った。そこには、エリザベートをはじめとした仲間たちが手を振っている。
「一緒に行きましょうか」
セリーヌが手を差し伸べると、少女は恐る恐るその手を取った。
「私も……お友達、できるでしょうか……」
「きっと大丈夫よ。笑顔が少し変でも、声が小さくても、本当の気持ちは必ず伝わるから」
学園最恐の令嬢と呼ばれた日々は、まだ完全には過去のものになっていない。時々、セリーヌの笑顔を見て驚く生徒もいるし、セリーヌ自身もまだまだ人見知りで、上手く話せない日の方が多い。
でも、それでも大丈夫だと思えるようになった。
エリザベートのように、少しずつでも理解しようとしてくれる人がいる。完璧でなくても、努力する姿を見てくれる人がいる。
そして何より、同じように悩んでいる人に、ほんの少しでも手を差し伸べることができる自分がいる。
『まだまだ、変わらないといけないことがたくさんある。でも、きっと大丈夫』
夕日に照らされた学園を見つめながら、セリーヌはそっと微笑んだ。今日も引きつった笑顔だったかもしれないけれど、昨日より少しだけマシになったような気がした。
明日もまた、小さな一歩を踏み出してみよう。
そんな希望を胸に、セリーヌは明日という日を待っていた。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
面白かったら⭐︎評価していただけると、作者が喜びの舞を踊ります!!
ちなみにセリーヌの破壊的笑顔のモデルは、作者だったりします…
友達に言われるまで、ずっと気づかず生きてたんだけど…
──あれ?就活の面接落ちまくってたのってこれが原因だったりする??