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天のかけら地の果実(全年齢版)  作者: 群乃青
天のかけら 第二章
8/20

8.母の微笑



「まあこれで、クロ確定なんだけど・・・」


 はあ、と宮坂が盛大なため息をついた。


「気が重いね」


 瑛の母親の動きに不信を抱いた宮坂と浅利が、たまたま志村大我の動向を調べ直したおかげで彼の入国に気付き、瑛を連れ去られずに済んだ。そして蜂谷が仕込んだ電波を遮断する機器のおかげで、合流した時点でおそらく会話は盗聴されていないと思うが、相手が何を仕組んでいるのかをまだ全て割り出せていないので、後手に回っているのは否めない。

 念のため前日の治療に対する手続きを理由に、瑛を浅利の診療所へ行くよう仕向けた。

 かかりつけ医の検査や母親の様子については、彼女がうまく色々聞きだしてくれるだろう。

 だが、瑛もそこまで鈍くない。

 体調不良も合わせた不自然な流れのなか、きっと色々なことに感づいて疑問を抱いているはずだ。

 ただ、彼はオメガバースに対する知識が皆無に近い。

 それはベータなら当たり前のことだ。

 閉鎖的な特権階級ならではの秘密が数多く存在し、当の属性である者たちですら知らないことが多い。

 志村大我のような、脈々と続くシルバーの血族の中に生まれたエリートであっても。


「こう頻繁に通信が途切れていたら、いい加減おかしいと思うだろうね、あちら側も」

「部屋の中は?」

「ああ、ありましたとも。どれだけ仕事熱心なんだって感服するくらい。あそこまでいくと盗聴マニアというより変質者だね」


 瑛の母親が合鍵を持っている限りいつでもまた設置されてしまうだろうが、とりあえず『あってはならないもの』を全て除去した。


「ちなみに、超高性能赤外線の暗視カメラまであるという念の入れっぷりで笑ったよ。あれは多分、学生の時の瑛の部屋にも仕掛けていたね」

「ちょっとまて。今、すごく嫌な考えが浮かんだんだけど・・・」

「ビンゴだと思う。社宅に入る前のことだから、もう確かめようがないけどね」


 大学に進学した当時、不思議に思ったことがあった。

 大我にそそのかされて大学の近くで独り暮らしを始めたいと瑛が言い出した時、かなり過保護だと思っていた母親があっさり許可したのだ。

 瑛はもちろん、蜂谷も拍子抜けした。

 その理由がまさか・・・。


「大我専用のヤリ部屋になるってわかっていたんだね。と言うか、お膳立てしたんだよ。さあどうぞうちの子と存分にって」


 そして、すべての記録を録っていた。


「・・・胸糞悪い」

「ああ、そうだね。今ほどの機能はないにしても監視システムはぬかりなく・・・」

「それ以上言わないでくれ、宮坂さん」

「・・そうだね。ごめん」


 しかし、それほどまで環境を整えたにもかかわらず、瑛は変転しなかった。

 二人がどれほど関係を持っても、ベータのセックスのままだ。

 年齢的に機能が発達していないのかと様子を伺うなか、大我はつがいに出会い、あっさり渡米したきり帰ってこない。

 おそらく彼らは瑛を監視するのと同じく、大我の動向も探っていたはずだ。

 オメガの気性の荒さと気まぐれぶりは、バース研究をしている筒井氏ならばつかんでいただろう。

 良い遺伝子の子供に恵まれなければ簡単に破綻することも。

 だから、機会を狙い続けた。

 大我が自由になる時を。

 そして、瑛が成熟する時を。

 しかし待てど暮らせど事態が好転することないばかりか、瑛は気が付けば二十五歳になっていた。

 生殖機能の点から予想して変転のタイムリミットは三十歳。

 俗にいう『美貌の劣化』を危惧した。

 しびれを切らした彼らは、策をねりに練った。

 そして、もう一度二人を引き合わせることがトリガーになるのではと思いついたのだ。

 早速小細工を施している真っ只中、事が起きた。

 貴種のオメガの大量殺人。

 そして、狙い通りに大我はパートナーを失った。

 これは運命なのか。

 それとも。


「そもそも・・・。今日のあの時間、なんで大我はあの場所にいたんだろうね」


 カードに瑛の近況は一切書かれていない。

 あるのは住所だけ。

 それなのに、瑛の仕事場の近くの公園に現れた。

 それも、絶妙なタイミングで。


「ロマンチックだよね。桜吹雪の中、初恋の人との再会」


 まるでドラマの中のように。


「感涙ものの演出だね」


 心底楽し気に宮坂は笑う。


「僕が見事にぶち壊してやったけど」


 彼は、道化を演じ予定されていた茶番劇を一気にひっくり返した。


「誰にはめられたか大我はよおくご存じだろうから、この後が見ものだね」


 怒り狂った獅子は呪術者にとびかかるだろう。


「この際、あいつらを蹴散らしてくれたら万々歳なんだけどなあ」

「・・・そう、うまくいくだろうか」

「だよね。あちらの年の功と執念に、僕たち若いのが付け焼刃程度が太刀打ちできるか、微妙なところ」



 瑛の中の時計は、大我と別れた時に止まってしまった。

 心の奥の奥に住み着いた冷たいものに支配され、悲しみの中に閉じこもっている。

 それを溶かしたいと蜂谷は思ったものの、できたことは一つだけだ。

 ただ、そばにいる。

 居続けるだけ。

 気が付いたら六年も経ってしまった。

 それでもようやく、瑛の素の部分のようなものが見えてきたような気がする。

 薄いベールの奥の奥の、瑛。

 臆病で、繊細で、生真面目で、何よりも可愛いくて優しくて綺麗な、瑛。

 目をそらして、俯いて、うっすらと頬を染める瑛を見たくて、何度も何度もからかった。

 からかっているふりをして、本音を言う。



 なあ、瑛。

 薫って呼べよ。

 その唇で、その瞳で、俺を呼んでくれよ。

 そしたらすぐに飛んで行って、抱きしめて。

 絶対お前を離さない。



 頼むから、俺を呼んでくれ。




「・・・?」


 誰かに、呼ばれたような気がした。


「うん?どうしたの?今の痛かった?」


 浅利がちらりと目を上げる。

「いえ・・・」


 ここは浅利と看護師と瑛の三人だけだ。

 診療室の中はとても静かで、扉一枚隔てた廊下の音すら聞こえてこなかった。


「はい、終わりました。ご協力ありがとうございます」


 瑛の指先から少量の血液を採取し終わると、手早く処置を施した。


「午前中のお医者さんのところでも血を抜かれたわよね。ごめんなさい」

「ああ・・・。まあいつものことです。あちらは耳からでしたけど」

「耳?ああ、これね・・・」


 すい、と手を伸ばして浅利は瑛の耳たぶに触れる。


「なるほど」


 軽く指を滑らせたあと、軽くうなずいた。


「・・・はい?」

「あらごめんなさい。筒井先生って学会でお見かけしたことあるのよね。大先輩だから気になって」

「そうなんですか」

「うん、先生のおっしゃる通り貧血はおおむね改善されたようだから大丈夫かな。今日はとりあえず、蜂谷君のところに泊まってね」


 さらりと言われて瑛は面食らう。


「・・・え?」

「あら聞いてない?うわ、どうしよう。私が言っていいのかしら」


 浅利が珍しく慌てた様子を見せる。


「何のことですか?」

「夏川君。あなたの部屋、上階の水漏れのせいで今夜は入れないらしいの。家財道具全部濡れてしまったわけではないけど、浴室の天井裏にある水道管の修理を今からやるって連絡が入っていたみたいよ」

「え・・・?いったいいつ、そんな・・・」


 ほんの一時間ほど前に蜂谷たちと別れた時、そんな話は全くなかった。

 居心地の良い部屋だと気に入っていただけに、頭が真っ白になった。

 早くあの部屋に帰りたい。

 いや、その前にどの程度の被害なのか…。

 これからどうなるのか・・・。

 何から考えたらいいのかわからない。


「ごめんなさい、無責任なことを言って。あとは蜂谷君たちにいますぐ聞いてちょうだい。私も詳しいことまでわからないの」

「ああ・・・。そうですね。すみません」

「いえ、こちらこそごめんなさいね」


 浅利からの謝罪に、瑛は慌ててその場を辞した。

 受付で支払いを終えてエレベーターホールに出た瞬間、携帯電話が鳴る。

 画面を見ると、母からだった。


「母さん?」

「瑛、えい、どうしましょう」


 出てみると、悲鳴のような甲高い声が耳を突き刺す。


「母さん、落ち着いて」

「瑛!ああ、良かった。あなたどこにいるの」

「・・・?会社だけど」

「瑛、お父さんが、お父さんが・・・」


 嗚咽交じりのとぎれとぎれの言葉に気が動転した。


「母さん、父さんがどうしたんだ・・・!」

「父さんが、事故に巻き込まれて大変なことに・・・。とにかく、すぐ降りて来てちょうだい。もうタクシーであなたの会社の下にいるの」

「わかった」


 何も考えられなかった。

 母のただならぬ声に背中を押され、携帯電話を握りしめてエレベーターに飛び乗る。

 地上にたどり着くのを扉の上の表示を睨みながらじりじりと待つ。

 一瞬、蜂谷と宮坂のことが頭に浮かんだが、正面に停まるタクシーを見た瞬間忘れてしまった。


「瑛!ここよ!乗って!」


 母に腕を引かれ、後部座席に乗り込む。


「母さん、いったい、なにが・・・」


 勢い込んで問う途中、違和感に口をつぐんだ。


「母さん?」


 母は、今まで見たことのない上質なスーツを着ていた。

 念入りに施された化粧、艶やかに整えられた髪。

 耳も首元も指も手首も、一目で高価とわかるアクセサリーで飾られていた。

 それはまるで、どこかのセレブリティの妻のようだ。

 これは、いったい。


「・・・では、お願いします」

「はい」


 命じられて運転手は静かに発車する。


「母さん・・・」

「瑛、驚いたでしょう。大丈夫。私がついているわ」


 ぎゅっと手を握られて、手のひらにちりっと鋭い痛みを感じた。

「いたっ・・・」


 思わず振り払って手を見ると、真ん中に小さな赤い点が目に入る。


「ごめんなさい。でもねえ、こうでもしないと、全部台無しになりそうなんだもの」


 場違いな柔らかい声に、母を凝視した。

 初めて見る、少女のような微笑み。

 無邪気で…。

 残酷な。


「母さん・・・」

「色々あって疲れたでしょう。眠りなさい、瑛。あとで起こしてあげるから」


 この人は、誰だ。

 目の前の顔がぶれていく。


「そんな・・・」


 身体中の力が抜けていくのがわかるが、どうにもできない。


「はあっ・・・」


 つらい。

 呼吸の仕方が、わからない。



 蜂谷。

 はちや。

 助けてくれ。



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