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天のかけら地の果実(全年齢版)  作者: 群乃青
天のかけら 第二章
7/20

7.獣の道理

 そもそも異性愛者の大我は瑛に対してすぐに食指が動いたわけではなかった。


 おそらく同級生として認識したのも、ずいぶん経ってからだったのではないか。中高一貫校で狭い世界だったから、学校行事でようやく存在に気付いたという感じだった。

 声をかけられて舞い上がったけれど大我は気まぐれで、気が向いたときに呼び寄せて少しでも気に障ると容赦なく放り出す。

 ベッドに連れ込まれたのは高校二年になった頃だった。


『なあ。俺、女に飽きたんだよな。なんかいろいろめんどくさくてさ。だからと言って男はごめんだと思っていたんだけど、お前ならイケるかも。だから、いいだろう?』

『え・・・?』

『だってお前、俺のこと好きなんだろう。中学の時、女たちみたいな目で見るヤツがいるなと思ったら、あれが夏川瑛だって、周りが教えてくれたぜ?』


 何もかも知っていて、ちょっと面白いかと思ったからそばに置いたと笑われて、どう反応したらいいのかわからなかった。



『気持ち悪いと思ったらやめるから。やらせろよ』



 気持ち悪いって、どっちが?


 これ以上ない最低な言葉。

 どこにでもいるろくでなしの、ろくでもない台詞。

 なのに首元のボタンを外され始めた時、全身が熱くなった。

 大我の手が、意志を持って自分の服をはいでいく。


 あこがれていた。

 入学式で見かけた時から、ずっと大我だけだった。

 こんな完璧な美しい人、どこにもいないと思った。

 大我に会いたくて、いつまでも馴染めない裕福な進学校へ必死で通った。


 大我の指先が、じっくりと胸をたどって男である部分にも触れ、散々いじられた末に組み敷かれた時、涙が出た。

 大我の雄に突き立てられた時、痛くて痛くて気が遠くなりそうだったけれど、その痛みこそが瑛の現実だった。

 大我が、自分の身体に興奮している。

 精を注ぎ込もうと汗だくになっている。

 これは、大我の意思なんだ。

 そう思ったとたん、うれしくてうれしくて胸がいっぱいになった。

 たとえどんな言葉を投げつけられても、どんなに乱暴に扱われても、今、志村大我に抱かれている。

 なんて幸せなんだろう。

 死んでもいいとさえ思った。

 いや。

 今、この場で死んでしまいたいと本気で思った。

 大我に抱かれて、幸せなまま、死んでしまいたい。


 初めて抱かれた日に、覚悟はしていた。

 大我はアルファだ。

 しかもその貴種の中には階級が存在し、より頂点に近いシルバーという家系なのだと本人から聞いたことがある。

 彼は学校にいる同種たちの中で誰よりもアルファらしい男で、それを誇りにしていることも十分承知していた。

 いずれは、同じ貴種のオメガとつがいになって、子孫を残す。

 優秀な遺伝子を残すことが使命だとも言い切っていた。

 それは、瑛たちベータの社会とは違う世界だった。

 まず、つがいは現代の婚姻関係にあてはまらない。

 夫婦として法的な手続きをとることもまれにあるが、ほとんどは事実婚だった。

 同性であれ異性であれパートナーが存在する限り、他の人間とは関係を持たず、いわゆる不倫や愛人は存在しない。それはルールなどではなく、本能だった。

 つがいとして成立すれば、まるで繭にこもるかのような二人だけの蜜月が始まる。

 つまりは、本能で瑛を拒絶する日がやってくる。

 そう遠くない未来に。

 だから、瑛はひたすら大我の呼び出しに応じた。

 今日で最後かもしれない。

 今で最後だろう。

 そう思いながらも、会うたびに期待がどんどん膨らんでいく。

 大我の唇が、手が、求めてくれている。

 もしかしたら、大我のオメガは存在しないかもしれない。

 もしかしたら、大我だけは選んでくれるかもしれない。

 ベータで、男で、平凡で醜い自分を。

 甘い期待で身体がぱんぱんに膨れ上がった瞬間、見事に打ち砕かれた。


 

 『彼女と目が合った瞬間分かった。これが、運命の人だと』



 大我のオメガが突然現れたのは六年前。

 彼女は、前の年に結婚して間もない夫をテロで亡くしていた。

 アメリカでは名の知れた富豪の娘。

 世界で最も美しい女性の一人と称された、シルバーのオメガ。

 これ以上はないと誰もが思う、完璧な結末だった。





「餌だと?言ってくれる」


 大我の声で現実に引き戻された。


「だってね。君もこの六年間の瑛のこと知らないけれど、瑛自身も君の六年間のこと知らないって、僕たちはわかっているから」


 宮坂はまるで水先案内人のように、瑛たちを真理へ導いていく。


「何を証拠に・・・」

「ねえ、瑛。大我の奥さんの名前なんだっけ?」


 真っすぐに見据えられて、からからに乾いた口をなんとか開いた。


「・・・リザ・・・。ハディットとか言ったと思う」


 六年も経っているのにフルネームで答えられることが恥ずかしくてたまらない。


「残念でした。それは一年ちょっとで終わった。次がアートディレクターのアニタ・チェン次がピアニストの誰だっけ…。で、今はニーナ・アデルソン。いや、その前にモデルのキャロリン・ヒルがいたっけ。あの子もオメガだよね?」

「キャリーはマッチングの段階で終わった。あれはカウントしないでくれ」


 大我は椅子を後ろに引き、足を組んで睥睨する。


「え・・・」

「そもそも、ニーナの寝室から蹴り出されたから、ここにいるよね」

「え?」

「俺がニーナに蹴り出されたんじゃない。ニーナが、選ばれた。あっちが繰り上げ当選したようなもんだ」

「うん。はじき出されたんだよね。ゴールドのアルファの相手が不足したから」

「・・・ああ、そうだ。まあそんなところだ」


 大我は一瞬悔し気な表情を浮かべたがなんとか抑え込み、しぶしぶ頷く。


「ちょっと・・・。ちょっと待ってください。俺にはわからない。マッチングとか、繰り上げ当選とか、どういうことですか」


 宮坂がオメガバースの社会についてかなり詳しいのはわかっている。仕事で彼らと必ず関わるから必要だと常々言っていた。だが、瑛をはじめとするほとんどのベータは正確な情報を全く知らない。自分の知識と思うものは単なる噂でしかないのか、それとも真実なのか。


「ああ、ごめんね。オメガバースってガチで野生の王国なんだよ」

「は?」

「単純に言えば、彼らは繁殖に命を懸けている。まあ、人間だから、情が生まれることもあるんだろうけれど、基本的には発情期の獣の道理がすべてなんだ」

「獣の道理・・・」

「まあ、ようするにメスはより優秀な遺伝子の子供を産みたい、オスは成熟したメスに自分の遺伝子を継いだ強い子を残してもらいたい。どちらも、できれば多く・・・ってところかな。発情期が来ると、彼らの頭の中には繁殖のことしかなくなってしまう」


 宮坂の言葉にどこか気になるものを感じたが、じっくりと考える間はない。次から次へと新たな情報が投げ込まれ、瑛はますます混乱していった。


「オメガがつがいを選別するのは本当に本能。最初のマッチングでラブラブでも、こいつじゃ優秀な子どもができないって感じた瞬間、さっと乗り換えることもある。大我の一人目の奥さんがまさにそれね。大我のあとに五人アルファを変えているけど、なんかどれもうまくいってないね。ねえ大我、今ざまあみろって思ってるでしょ?」

「・・・さすがに、そこまでは思っていない」


 話を振られて、大我は無愛想に返した。


「で、ニーナの場合はこの間のテロでぴちぴちの卵子を持つ若いオメガたちが軒並み殺されちゃってね。その子たちはゴールドのアルファのつがいか候補だったわけ。だから、ゴールドの相手としてはずっと圏外だったニーナが格上げされた。だって今、なかなかオメガが生まれないし、育たないってのに、たくさん殺されちゃって。今アルファたちはオメガ日照りだよね」

「日照りって…。それと餌ってどういうことですか」

「さすが瑛。そこなんだよ」


 にいっと宮坂が笑った。


「今、大我は完全フリーになっちゃったんだ。少なくともアメリカではシルバーのオメガにありつけない。多分ヨーロッパも同じかな。最後は白人至上主義がどうしても絡んでしまうんだ。仕事はともかく、アルファとしては開店休業状態。腐っている所になんと、昔身体の相性が抜群だった瑛からなんか未練たらったらな空気匂わせた手紙が届いて、『なんで俺の連絡先知ってるんだ?こいつストーカーか?』って引いたり、『なにかの罠かもしれない』なんて疑いもせずに、うきうきと飛行機のチケットとって飛んできちゃった。そうだよねえ?大我。僕なんか間違ってる?」

 瑛に説明すると言う名目で明らかに大我をいたぶっている。

「けちょんけちょん・・・」


 蜂谷が珍しくぼそっと口をはさんだ。


「やめてくれ、お前の同情なんかごめんだ」

「・・・悪かった」


 妙にうまが合っている。

 この二人、実は親しいのだろうか。

 瑛が首をかしげると、察した蜂谷はすかさず制した。


「瑛。違うから。俺たちは親しくもなんともない。ただの元同級生だ」

「そうだ。単なる元会計。生徒会室の隅っこで金勘定していただけだろう」

「元会計?なら、俺も同じだな」


 生徒会では大我が会長、蜂谷と瑛のふたりで会計の任に就いた。もっとも、対外交渉など仕事のほとんどは蜂谷が取り仕切ってくれて瑛は書類整理ばかりだったけれど。


「いや瑛、俺が言いたいのは・・・」


 大我が取り繕うとしたその時、ぱん、と、拍手が聞こえた。


「はい、そこまで」


 宮坂が両手を合わせたまま、三人を見回す。


「話を戻すよ。ランチもたいがい冷めたから」


 せっかくのオーナー心づくしの料理も甘い香りのシャンパンも手つかずのままだ。


「まず、この手紙は僕がいったん預からせてもらう。瑛からじゃないってことはわかったからいらないよね?大我」

「・・・ああ。構わないが、いったいそれをどうするつもりだ」

「瑛の名前をかたって大我を東京に呼び寄せた人がいる。それが誰なのか、理由は何なのか、僕なりに調べたい」


 封筒の中にカードと写真を戻しながら宮坂は話を続ける。


「大我。君も用心することだね。相手は君をアメリカから追い出したかったのか、それとも・・・。お膳立てされて、うかうかとここまで来てしまったことを忘れてはいけない」


 一瞬、大我の瞳に強い光がともった。


「・・・なるほど。わかった」


 そして、ゆっくりと唇を吊り上げ嗤った。


「この俺を嵌めるとはな・・・」


 世界中を魅了する、王者の風格。

 誰よりも頂点に近いアルファとしての矜持が、彼の顔によみがえっていた。



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