4.秘密
「あれ?なんで帰ってきちゃったの」
休憩スペースで数名の同僚たちとなごやかに夜食を食べていた宮坂は目を丸くする。
「しかも、コンビニ弁当持って。なんで?」
「なんでとおっしゃられましてもね・・・」
乱暴にどかっと椅子に座り、弁当をテーブルの上に放る蜂谷のいつにない態度に、同席していた者たちはそそくさと逃げ出す。
「あーあ。みんなを怖がらせちゃって。どうしたの?」
「・・・どうもこうも」
薄々は気が付いていたが、こうまではっきり態度に出されたのは初めてだった。
「具体的に」
ゴシップ好きの宮坂を喜ばせるだけと知りつつ、口を開く。
「・・・瑛の部屋にいきなり母親が飛び込んできて、散々俺を無視した挙句に、かなり失礼なことまくし立てて厄介払い?俺、高校から面識あるんだけど、急にそんな態度取られてもわけわかんないわ」
学園祭で瑛から両親に初めて紹介された時、彼らは物凄く喜んでいたように見えた。
「瑛に友達がいたなんて、この学校にしてよかったわーとか言われて、俺、ものすごく舞い上がったんですけど」
蜂谷の記憶が改ざんされていない限り、間違いない。
「うちのクールビューティ、見た目だけはほんとに氷の女王だもんね。中身はとてもとても純情で不器用で、ごくごくフツーの男の子だけどねえ。ちょっと恥ずかしがり屋で」
そうなのだ。
夏川瑛はガラス細工のように繊細な顔の作りをしていて、触れたら傷がつきそうに見える。
入学式に初めて会った時は本当に驚いた。
求肥みたいにまっ白で柔らかそうな肌に薄くバラ色に染まった頬、とがり気味の細い鼻梁に長いまつ毛。薄茶色の髪はほんの少しでも光にあたると飴色にきらきら輝いていた。
こんな綺麗な子が存在するなんて。
ところが全身をようやく見てみればスカートを履いておらず、しばらく現実が呑み込めなかった。
でも。
綺麗なものは綺麗。
中学一年にして蜂谷薫が下した結論はそれに尽きる。
しかも親しくなってから知ったことには、瑛は自分を地味で平凡でなんにもできないつまらない子とか思い込んでいて、さらに『自分と一緒にいてもつまらないだろう?』ってあのヘーゼルナッツみたいな不思議な色の瞳でおどおどおずおずと見上げられた時には、なにこのかわいい生き物はと心臓を撃ち抜かれ死ぬと思った。
その時、すぐに「そうじゃない」と否定したが、「そうだ」と言いたくなる自分も自覚していた。
頼れるのは自分しかいないと囁いて囲い込んでみたいと、一瞬思ってしまったから。
「はあーん」
にやっと宮坂は人の悪い笑みを浮かべた。
「悪い虫認定されたんだあ」
「悪い虫って・・・」
自覚はある。
だけど、彼女の態度の急変の理由はそれとは少し違う気がする。
「腑に落ちないんだよ。いきなりがーんって玄関の扉が開いて、熱あるでしょって言い当てて、私がついてるから蜂谷君は帰って!追い払われるのって・・・。まるで」
「・・・お見通しにもほどがあるね。母親の勘とかいうレベルじゃない」
まるで、透視能力でもあるみたいだ。
「そう。それ」
蜂谷が身を乗り出したところで、彼の携帯が鳴った。
「・・・瑛だ」
画面上では。
だが、このタイミングでの着信は気味が悪すぎる。
「はい、蜂谷」
短く応えると、回線の向こうで小さく息をのむのが聞こえた。
『・・・はちや』
聴きなれた、そしてどこか心細そうな声に、つい深いため息が出た。
「・・・あ」
瑛が、委縮している。
悪いことをしてしまった。
「ああ、ごめん、瑛。正直、おばさんからの電話だったらどうしようと思って」
『蜂谷、さっきは母さんが失礼なことばっかり言ってすまない。今、風呂に入ってもらっているから電話した』
こそこそと隠れて連絡してくるなんて。
看病されているというより監禁されているように見えるのは、蜂谷の心象のせいだろうか。
「気にしてないよ。おばさんは瑛のことが心配なだけだろうから」
口先だけの嘘なんて、瑛は見抜いてしまうだろうけれど。
『本当にすまない。・・・それと明日、午前中だけ休みを取りたいんだが。・・・良いだろうか』
ためらいがちの言葉に瑛のため息が混じった。
「・・・いいよ?そもそも熱があるんだから明日まるまる休んで良いと・・・。宮坂さんもそのつもりみたいだけど」
向かいで様子を見ていた宮坂が大きく首を縦に振る。
『宮坂さんがそこにいるのか』
「うん。替わろうか」
『悪い』
電話を替わると、宮坂が明るい雰囲気を装い話しかけた。
「瑛?話は聞いているよ。うん。そうか。分かった。気にしないで一日休んで。仕事は蜂谷が見るからさあ」
へらへらとたたみかけるような軽い調子に、瑛の気持ちも少しはほぐれてきているように見える。
「・・・点滴?ああ、あの時、瑛はもうろうとしていたからね。・・・お母さんが?」
ここで一瞬、宮坂の表情が曇った。
「うん・・・。うんうん。そう・・・。そう。・・・へえ、そうなんだ。わかった」
瑛の話にうなずきながらも、彼は何か別のことを考え始めている。
「まだ浅利さんも看護師さんもいると思うから、その辺聞いて折り返しメールする。うんうん、たいしたことないから。大丈夫」
なだめつつ、さらりとつなげた。
「で、明日行く病院って実家に近いの?あーそう。そんなに前から。なら安心だね。ゆっくりしておいで。熱が下がるまで出てきちゃだめだよ?」
無駄な会話の中に、知りたいことを軽く取り混ぜるなんて朝飯前だ。
「じゃあ、宮坂がご心配おかけしてすみませんと謝っていたとお母さんに・・・いやいや。ちゃんとよろしく伝えてね?」
ある程度考えがまとまったのだろう。
宮坂の唇がにいっと上がった。
「じゃあ、おやすみ。蜂谷は俺が今からたっぷり、なめるように可愛がっとくから気にしないで。ああそうだ。ほんとに舐めていい?蜂谷」
「な・・・」
蜂谷が立ち上がると、身体をくの字にまげて元モデルは笑いをこらえている。
今の状況をかなり楽しんでいるらしく、肩がふるふると震えていて、本気で頭にくる。
「・・・ごめんごめん。冗談だって。瑛が怒れるぐらい元気になったなら安心したよ」
電話の向こうの瑛が何を言ったのかもすごく気になるが、それが宮坂の作戦の一つなのだとこらえた。
「・・・ではお大事にね」
静かな声を落として会話を終えた宮坂を蜂谷は見据えた。
「・・・で。何か気にかかることがあるんですね、社長」
「うん。まずは、点滴だね」
「は?」
「浅利さんがさっき瑛にわけのわからない点滴したことにお母さんがご立腹で、本当に大丈夫なのかかかりつけの病院に行くまで出勤させない・・・って言ったみたい」
「それって・・・」
「うん、度を越してるね。寝不足と軽い栄養失調で倒れた二十五歳の息子が病院で診察を受けたうえで点滴してもらって見た目には回復しているのに、その成分教えろって怒り出す母親って。就職した時に病歴も持病もないと申請して、健康診断も毎年異常なし。そもそも瑛が言うには、蜂谷が出ていくなり点滴の話を追求しだしたって。お前、お母さんの前で瑛を治療したこと言ったの?」
蜂谷は丹念に瑛の家に着いてからのことを思い出す。
「いや・・・。そもそも俺、ずっと無視されてたんですよ。しかも瑛もなかなか口がはさめないくらいおばさんのターンだった」
「だよね。瑛もなんでって思ってる風だった」
そういうと、蜂谷の弁当の袋を手に立ち上がる。
「え・・・。ちょっと宮坂さん」
「浅利さんのとこで食べて。今日は遅くなるよ」
すたすたと歩きだした宮坂の後ろを、蜂谷は慌てて追いかけた。
「あー。そういう話かあ。そうきたかあ。なんかそれって・・・」
「うん」
「・・・今夜は帰さないよって感じ?」
「うん。今夜は帰さないよ、美津」
「やーねえ、もう。誉ってほんっと悪い男よね」
腹を抱えてげらげら笑いだした二人に、蜂谷は唖然とした。
そこそこ深刻な話をしていたはずなのだが、最後は芝居がかった掛け合い漫才で締めくくられ、冷えた弁当をつっつく箸も止まるってものだ。
「あの。俺、帰ったほうが良いですか」
「何とぼけたこと言ってんの。ゆるい会話で暇つぶしながら蜂谷が食べ終わるまで待ってあげてんじゃん、僕たち」
浅利の医院の最奥にある会議室で、三人で話を始めて十数分。
実はこの会議室にはけっこうな仕掛けが施されていて、ここに鍵をかけてこもっているということは、かなり重要事項だということだ。
「・・・俺、なんか食欲ないみたいだから、もういいです。ごちそうさまでした」
「あっそ。・・・じゃあ、そろそろ本気出そうか」
そう言うなり、宮坂の表情がさっと変わる。
三人それぞれの前には、ノートパソコンがすでに用意されている。
まずは、宮坂が画面から電話をかけた。
「うん、お疲れ様。今から調べてほしいことがあるんだけど、いいかな?」
彼の人脈は素人の蜂谷には想像の及ばないくらい広い。
そして、時と場合によっては法に触れることも決していとわない。
だからこそ、蜂谷は宮坂の部下であり続けている。
いずれ宮坂の力が必要になる時がくるかもしれないと思っていたからだ。
でも、半分は軽い備えのようなものだったのだ。
自分はまだまだ甘かった。
まさか今、こんな状況を迎えるとは想像できなかったのだから。
ネット通話を聴きながら、何かを理解したのか浅利もキーを叩き始めた。
「保険番号は今転送した。それの通院歴で一番件数の多いやつ。たぶん吉祥寺…。違う?八王子?へー。それで、なんていう病院?そうかうん、わかったありがとう。また近いうちに頼むことが色々あると思うからよろしく」
回線を閉じるなり、宮坂は一言告げた。
「八王子の筒井総合病院」
「看板はフツーの総合病院だけど…。あそこの医院長、バース研究こっそりやってるわね」
バース研究。
幼いころからそこに連れられて行っていたというならば。
「母親、もしくは両親であの子のバース属性を疑っていた可能性があるわね」
「疑っていたんじゃなくて、期待しているんだろう今現在も」
「でも、両親はベータよね?しかもかなり強固な」
「ああ、それは間違いない。蜂谷もそう思っただろう?」
「・・・ああ。うん」
この三人の中で、瑛の両親と一番接触があったのは蜂谷だ。
事例がないわけではない。
ベータの両親から貴種が生まれることは。
しかしそれは家系をたどるとどこかに貴種の因子の者がある場合がほとんどだ。
夏川家の人々はある意味稀と言っていいくらい純粋なベータ同士の血統だと、会うたびに感じていた。
「それなのに、どうして瑛だけベータじゃないと確信してるんだろう?」
瑛を溺愛していた両親。
父親が転職して地方から上京し、暮らし向きはつつましいものだった。
ごくごく普通の中流家庭。
だけどそこそこ裕福な家庭で生まれ育った蜂谷からは、正直なところかなり背伸びしているようにも見えた。
高額な学費のかかる超難関校に入学させ、そこに通う生徒たちに見劣りしないように全てを誂えやりくりするのは大変だっただろうと、社会人になった今は思う。
多少の過干渉も期待も身の丈に合わない生活も、瑛が綺麗すぎるからだと蜂谷は勝手に納得していた。
だけど、これは。
「点滴にまで目くじら立てている時点で、答えは出ているわね」
おそらく、筒井氏に関する情報を引き出している最中の浅利は結論付けた。
「まず、瑛は夏川夫妻の実子ではない」
これが、瑛も知らない真実。
「次に・・・」
自分たちは、パンドラの箱をあけて覗き込んでいる。
真っ暗で、逃げ出したくなるほどの深い闇。
「夏川夫妻は瑛のバース特性の覚醒を強く望んでいて、それを促すために幼児のころから病院に通わせていた」
浅利の処方した点滴に副作用を起こす成分があるならば。
それまでの治療方針にずれが生じる。
もしくは最悪、瑛自身に異変が起きるかもしれない。
「それだけじゃないよ」
宮坂が口をはさむ。
「おそらく、瑛は監視されている。ヒートの瞬間を見逃さないために」
夏川夫人は知っていた。
今の瑛の体調と、手当てされた詳細を。
だから慌ててとんできて、まずは蜂谷を遠ざけた。
なにを仕掛けていたのかはわからない。
それを調べるのがこれからやるべきことの一つだ。
「夏川さんたちは、瑛がオメガだとわかっていたんだよ、最初から」
宮坂は、深く、深く息をついた。
政府主導の定期検査では瑛の特性は常にベータ。
だから、彼自身もそれを信じて生活してきた。
「わかったうえで…というか、オメガだからこそ養子にした」
アルファはほぼ先天性で、成人後はとくにベータからの変転はわずかしかいない。
しかし、オメガは違う。
妊娠可能な年齢内で変転する人間が稀に存在し、それが政府主導の定期検査が行われる理由である。
なかでも上のステータスのオメガが産んだベータなら、変転した場合高階級の貴種になる可能性が高い。
さらに付け加えるなら、オメガの出生率はアルファの半分に満たない。
そのような理由でオメガは大切にされ、政府と世界機構と貴種財団の三方から手厚い保護を受けるようになった。
生活の保障額と利権はけた外れで、一気にセレブリティの仲間入りが可能だ。
夏川夫妻はそこに目を付けた。
彼らは瑛という未来に、賭けたのだ。
川を通り抜けていく風が、心地いい。
「いつの間にこんなに・・・」
見上げた先には、満開の桜。
会社へ向かう道筋には川があり、それに沿って桜の並木道がある。
都内でも桜の名所としてそれなりに知られているが、平日の昼間ともなるとさすがに花見客でごった返すこともない。
「蜂谷がもう少し咲いたら花見したいって言ってたな」
携帯のカメラで桜並木の様子を画像に撮り、蜂谷へメッセージを付けて送った。
「俺はもう大丈夫だから、いつでもいいぞ・・・と」
文字を打ちながら、つい顔がほころぶ。
今日はとても気分がいい。
病院の診察も数時間で無事終えて医師を交えた話に納得した母とも別れ、瑛は解放感に浸っていた。
飛び乗った電車の中から午後は出勤する旨を会社に連絡し、そのあと何度か蜂谷とメッセージのやりとりしているうちに最寄り駅に着き、近くのカフェで軽く食事をするつもりだと告げると、自分も食べに行きたいと電話がかかってきたので木陰のベンチに座って待つことにした。
「これもなかなか・・・いいな」
座ったまま、桜の花越しの青空を撮る。
澄みきった空と、重なり合う薄紅色の花びら。
どこからか花の甘い匂いも感じて、深く息を吸った
「瑛」
驚いて、携帯を構えたままわずかに顔を傾ける。
耳慣れない声。
いや、忘れ去っていた音。
「え・・・」
どうしてここに。
傍らで瑛を見下ろしている男の鋭い視線と目が合った。
鍛え上げられた長身の体躯に調和のとれた顔。
昔のままに美しく、昔よりも美しく。
完璧で豪奢な、理想の男。
「・・・っ」
風が強く吹いた。
瑛は両手を膝におろし、瞬きをした。
目を開いて、閉じる。
手の甲に桜の花びらが舞い降りた。
軽い感触。
でもふわふわと頼りない。
一瞬、自分の存在する時間と場所がわからなくなる。
「元気だったか、瑛」
再び呼ばれて視線を戻し、瑛は首をかしげる。
目の前の男は親し気な笑みを浮かべていた。
まるで、ずっとそうしてきたかのように。
「瑛?」
信じられない。
今ここに。
桜の咲き誇る木の下に。
志村大我がいる。