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天のかけら地の果実(全年齢版)  作者: 群乃青
天のかけら 第一章
2/20

2.きっかけ

「はいはいはいはい、そこまでね~」


 さらに割って入ってきた女性のきっぱりとした声に、また現実に戻された。


「・・・なに、これ」


 まるで、身体と意識が分離しかけたような。


「まずは、ちょっと離れようか」


 声の主は、一つ下の階で診療所を開業している医師の浅利(あさり)美津(みつ)だった。

 四十も半ばを過ぎたと聞くが、細い首をあらわにしたショートボブにシンプルなパンツスーツ姿がよく似合って三十そこそこにしか見えないくらい若々しい。


「セクハラでマスコミの格好のネタになるわよ、社長」

「そんなまさか。僕にかぎって、ねえ?」


 瑛からのんびりと手を放し、宮坂は芝居がかったしぐさで肩をすくめてみせる。


「いいや。まさにセクハラの現場だと思うけど?」


 いつの間にか椅子から立ち上がっていた蜂谷が、周囲の同僚たちに視線で同意を促した。


「え・・・」


 気が付いたら、注目の的だ。

 瑛は思わずうつむいて唇にこぶしを当てた。

 穴があるなら即座に入りたい。


「それにしても、いつ来てもここってホストクラブみたいよねえ。目の保養だわあ」


 満足げなため息に、他の同僚が横から茶々を入れる。


「なんせ、うちのナンバーワンは誉で、ツー・スリーが薫に瑛ですからね~」


 どっと笑われて、とにかくもう今すぐ帰りたい気持ちでいっぱいになる。

 つい十年前までモデルとして世界的に活躍していた宮坂や、学生時代にさんざんもてていた蜂谷はともかく、地味な自分が同列になるなんて意味が分からない。

 仕事も、とにかく裏方に徹してなるべく目立たないようにしているのに、蜂谷と宮坂に構われるせいで逆に悪目立ちしていつも落ち着かないから正直勘弁してほしい。


「ところで浅利先生。わざわざここまで上がってきたってことは、なんか僕に用があったんじゃないの?」


 額でやわらかく波打つ長い前髪を優雅にかきあげて宮坂が尋ねた。


「ああ・・・。そう。きっとここの人たちはまだ知らないと思って」


 抱えていたタブレット端末を起動して、浅利は宮坂に渡す。


「ロスで銃の乱射事件が起きたらしいの」


 アメリカは銃社会だ。銃を使った事件なんてそう珍しくない。

 宮坂自身もそう思ったようだが、文字を追い始めて眉をひそめる。


「ん?これって・・・」

「そう。アルファとオメガが盛大なパーティをしていたのよ。しかもゴールドとシルバー限定の会員制で」



 アルファとオメガ。

 それは、この現代社会であっても消え去らない特権階級のことだ。

 いや、違う。

 彼らは生物的に有利な立場にある人々。

 容姿、体力、知力、行動力・・・。

 ずば抜けた能力を持つ者の中でアルファかオメガの特性を持つ確率は高い。とは言え彼らの人口はほんの一握りのことで、世界の9割以上をベータが占める。

 社会を構成しているのはベータの人間。

 しかし力あるものが頂点に立つのは自然の理で、アルファとオメガは至る所で才能を開花させていく。

 中でも支配力があるのはもちろんリーダー性のあるアルファ。

 そして、彼らを産む確率が最も高いのがオメガである。

 ただし、進化の過程とともに常に人類は複雑に交配して現代にたどり着いている。

 つまりほとんどのベータもその遺伝子の片隅にアルファ及びオメガの素因を保持しているため、どの組み合わせでも特性を持った子供が生まれる可能性はある。

 しかし、オメガから生まれる子供は別格だった。

 貴種。

 すなわち完璧なる遺伝子と称賛される子供が誕生し、成長すると時代を牽引する貴重な存在となる。

 そしていつからか特権階級であるはずのアルファとオメガの中ですら更なる階級が生まれた。

 それは三つに区分され、その数はピラミッド型に形成される。

 まず底辺は、主にベータから生まれ限りなくベータに近いブロンズ。職人や学者になることが多い。

 中間に、代々貴種の家系から生まれたシルバー。生育環境から企業や政治家など指導者になることが多い。

 そして頂点に君臨するのは、最高の力を持つゴールド。ちなみにゴールドの特性を持つ者はほんのわずか。言うなれば世界中の王族より少ないゆえに秘密が多く、その存在は伝説に近い。

 社会的地位と能力が突出しているにもかかわらず、バース特性保持者は生物的な本能に忠実である。

 生殖は意志と思想に関係なく、その本能がすべてを決定する。

 年に数度、オメガは発情するとフェロモンを多量にまき散らして周囲の生殖本能を目覚めさせ交配することになるが、誰とでも交わるわけではない。

 オメガ自身が選んだ相手でしかその交配は成立せず、略奪強姦による強制妊娠は不可能である。

 その事実がオメガを産む機械にしてしまうことを防ぎ、社会的地位と安全を保証されている理由になった。

 そして、顕微授精、体外受精、代理母などの高度医療による妊娠は、どれほどの研究を重ねても成功に至らず、また、ゴールド同士であれば必ずゴールドが生れるというわけでもない。


 神の領域。

 神より授かった人と、誰もが畏れ、敬う。



「前にも似たような事件はあったよね。七年くらい前だったか・・・」


 険しい面持ちで、宮坂はつぶやく。

 特権階級に対する気持ちのねじれはいつでも生じるものだ。

 最高位のアルファとオメガの絢爛豪華な結婚式を妬んだベータの男たちが襲撃した事件が起きて以来、警戒を強めたはずだった。


「今回もベータがやったわけ?」


 蜂谷の何気ない一言が、瑛の鼓膜に鋭く突き刺さる。


「いいえ、違うわ。犯人はシルバーのアルファ。パウダールームに爆弾を仕込んで、居合わせた若いオメガが多数被害に遭った」


 若いオメガ。

 つまりは妊娠可能な個体を狙ったものだということだ。

 浅利の説明によると、ゴールドオメガに袖にされたシルバーアルファの逆恨みが引き金だという。


「理由はともあれ・・・。まずいな」

「・・・なにが?」


 自然と輪になり話し込んでいた三人は、一斉に瑛を振り返った。


「あ・・・」


 無意識のうちに零れ落ちた言葉に、自分でも驚く。


「いや・・・。すまない。ロスでオメガが襲撃されたからって、なにがまずいのかな・・・って」

「ああ、それはね」


 浅利に端末を返した宮坂は、いつものやわらかな微笑みを浮かべた。


「まずは取引先のトップが一部入れ替わる可能性があるから。オメガが取締役をしている企業が結構あって、進めていた仕事がいきなり白紙に戻されてしまったこともあったんだ、前にね」


 ほんの一握りの人間の損失。

 だけど、それは確実に社会への影響を及ぼす。

 それでも壊してしまいたいと、そのアルファは思ったのだろう。

 人もうらやむ特性を持ちながらも、なお。


「そう。・・・そうなんですか」


 なにもかも壊してしまいたいと、思ったあの時。

 その絶望が生々しく胸によみがえっていたのは、つい先ほどのことで。

 なぜ、今になって。

 薄れていたはずの記憶がこんなにも鮮やかに。


「瑛」


 蜂谷が、心配している。

 だけど頭の中がまた霞んでいく。


「ごめん。ちょっと、今日は・・・。ちょっと体調が悪いみたい・・・で・・・」


 自分の声がぶわんと耳の中で反響する。

 気持ち悪い。

 頭の奥底の脈が大げさなくらい騒ぎ始める。


「ちょっと、大丈夫?」


 今日はなぜか浅利の放つ香水の匂いがきついと感じた。

 むせかえるような花の匂い。

 香水?

 医師の彼女がつけるはずはない。

 宮坂も、蜂谷も好まない。

 だけど、三人の匂いを一度に吸いこんでしまい、混乱する。


「あ・・・」

「おい、瑛!」


 蜂谷の、匂い。

 針葉樹みたいな・・・。

 深い、森の香り。

 今まで、蜂谷の匂いなんて考えたことなかった。


「えい!」


 ねじを引き抜かれたように、膝がいきなり落ちたことだけはわかった。


「もう・・・。むり」


 何も考えられない。

 考えたくない。


「はちや・・・」


 このまま、ずっと眠らせてくれ。



 自分がやったのかと思った。

 もしも、特殊能力なんてものがあったなら。

 きっとやっていた。

 六年前。

 志村大我とその相手の女を殺していただろう。


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