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天のかけら地の果実(全年齢版)  作者: 群乃青
天のかけら 第三章
14/20

14.慟哭

「マクベス夫人は、やりすぎたんだよね」


 窓からの風に髪をそよがせ、宮坂はほほえんだ。


「夫もドン引きだったろうに」


 マクベス夫人とは、シェークスピアの戯曲のことだろうか。

 夫を王にするために罪を重ね、望み通り王妃になった途端狂う女。

 そんな話だった気がする。


「悪いけど・・・。宮坂さんの言わんとすることがわからない」

「話の流れだと、一人しかいないでしょ。夏川夫人よ」


 軽々とハンドルを回して右に左に車線変更をかましながら、浅利が横から会話に入りこむ。

 追加調査で分かったのは、瑛の誘拐に父親の夏川氏は一切かかわっていないということだ。実際、夫婦の間での連絡は数年前からほぼ途切れていて、長い間自宅に戻っていない。

 彼は現在、関東の片隅にある小さなスナックに転がり込んで生活していた。相手はかなり年下の若い女。どうやら瑛を中学へ進学させた頃から夫婦の間に亀裂が走り、夜の街を徘徊するうちにたどり着いたらしい。




 瑛を引き取るにあたり、戸籍を改ざんするために転職し地元を離れた。

 最初は幸せな日々だった。

 しかし大きくなるにつれ、瑛の美しさは悪目立ちしていく。

 ある時、好意の裏返しで瑛は苛めに遭った。


 『変な顔。汚い髪。あっち行け』


 日本人の容姿の基準から外れる子供がたいてい受ける、洗礼のようなものだ。

 すると、妻は瑛を抱きしめながら囁いた。



 大丈夫よ、瑛。

 みんなはあなたをどんなに醜くて、つまらない子だと言っても、お母さんはそんなあなたが大好き。

 お母さんだけが、あなたの味方よ。

 お母さんだけが、瑛のお友達よ。

 ずっと、ずっとね。



 それは、暗示だった。

 事あるごとに優しく囁くうちに、瑛は俯き、人の視線におびえ、何事も目立たないように気を付けるようになっていく。そして、どれほど優秀な成績を打ち出しても、自分を否定し続けた。

 重度の人間不信の域まで瑛を貶め、さらに妻は彼の行動の何もかもを掌握していった。

 交友関係のみならず、性生活までも。

 夏川氏は、恐ろしくなったのだ。

 妻の暗いたくらみと、栄光への執念に。


「そりゃあね。誰だって逃げ出したくもなるわよ」

「うわ、浅利先生、頼むから運転に集中して!」


 思わず蜂谷は悲鳴を上げた。

 情報をある程度把握し検証した後、現在は浅利の運転で瑛が監禁されているホテルを目指しているところだ。

 だがしかし、浅利の運転は上手なのか無謀なのかの判断に迷うようなきわどい技術で、蜂谷は生きた心地がしない。

 いや、先ほども正直死ぬかと思った。



『雉も鳴かずばって、知らないの?』



 唇だけ笑みを作って息のかかる距離まで顔を寄せられた時、もう命はないと覚悟した。

 だが、生きて、その浅利の運転で目的地へと運ばれている最中だ。


「俺は何回、浅利先生に殺されそうになるんだろう」


 後部座席の背もたれに身を任せて嘆いた。


「人聞きの悪いこと言わないでー。ちょっと遊んだだけじゃない、さっきは」


 そう。

 まるで猫が爪の先で気まぐれにそこいらの虫をひっかけるように弄ばれた。


『・・・やあねえ。今、殺されるって本気で思ったでしょ』


 一拍置いて、噴き出したのは浅利だった。

 でも、多少なりとも本気だったのはあの時肌で感じた。

 状況によっては、長年親しくした人でもあっさり殺せる。

 それがオメガバースの頂点にいる種族なのだと、思い知らされた。


「だいたい、あんな不用意な発言、殺してくれと誘っているようなものでしょー」


 速度をたいして落とさないままコーナーを回る。

 強烈な遠心力が、心臓に悪い。


「・・・はい、そうですね。反省しています」

「僕たちじゃなきゃ死んでたね、蜂谷」


 隣の宮坂はのんきそうに恐ろしいことを言ってのけるし。


「いや、今まさに死にそうなんですけど・・・」


 ついぽろりと本音をこぼすと、


「雉がいるわ・・・・学習能力のないキジが」


 浅利がミラー越しに不穏な笑いを投げかけてきて、今自分はいったい何のためにこの車の中にいるのかわからなくなった。


「死にそうと言えばさあ」


 宮坂が窓の外の桜並木をうっとりと眺めながら口を開く。


「大我、死んでないといいな」


 長いまつ毛の影も物憂げな横顔は、まるで西洋絵画の聖母のように静謐な美しさがあった。


「まあ最悪、死体でもいいけど。公安引き渡してくれるかな」


 しかし、内容は物騒だ。


「うわ、出た出た。また出た。誉の悪食」


 浅利は信号停止のブレーキを踏みながら、心底呆れたような声を上げた。


「・・・また、出た?」

「僕さあ、ああいう気位の高い馬鹿を溺れさせるの好きなんだよね」

「は?」

「そもそも僕、根本的にゲイのボトムなんだよ。オメガ女に突っ込むのはぜんっぜん楽しくないけど、アルファ男をかすっかすになるまで搾り取るのは好き。だーいすき」


 ふふと、まるで無邪気な子どもみたいに柔らかく微笑む。


「大我を腹の上で一晩中喘がせてみたいなあ」

「ええ~?大我みたいなアルファって、ボトム向きだと思う。私なら突っ込んで鳴かせる方が良いわ。好みじゃないからやんないけどね」

「そういうとこですよ、あなたたち・・・」


 げっそりと蜂谷はため息をついた。

 この二人は、アルファとオメガの特性を同時に持つ、いわゆる『両性具有』だ。

 ただし、生まれた時は片方しか顕現せず二十代になってから派生したため、家族ですらそのことを知らないという。

 もう一つの特性が現れるまでは、二人ともおとなしく最優良のアルファ及びオメガとして務めを果たそうと努力していたらしい。

 だが現在、二人は『病気によりバースの機能を失い、市井に降りた』扱いになっている。

 どんな手を使ったのかはわからない。

 蜂谷の嗅覚では二人は未だに『どちらも持っている』状態なのだから。


「鳴かせると言えば、ここ何日かで瑛があっという間に食べごろになって、本当にもう困っちゃったわよ~」


 まさに、この台詞がなによりの証拠だ。


「何度、生唾を呑み込んだことか・・・」


 浅利も、生来のオメガより後発のアルファの性の方が好きだという。

 原因の一つは自分も宮坂と同じく同性愛者であるからだろうと、明るく笑う。


 

 女の子が大好きなの。

 アルファもベータもオメガも女の子ならみんな好き。

 匂いも身体も、可愛くて、抱き心地が最高。

 男のアルファはうざったいたら。

 ベータの男もおんなじ。

 オメガとして生きてきたころは毎日が苦行で、死のうかなと思った。

 アルファにならなかったら確実に今は生きていないでしょうね。



 貴種としてあがめられたとしても、それが幸せとは限らないのだと知った。

 ならば、瑛はこれからどうなるのだろう。


「今まで男オメガを試したことはないんだけど、瑛は、アリね」

「・・・頼むから勘弁してください、浅利先生」

「ふふ」


 彼女は今、人生と自分を楽しんでいる。

 そんな未来を瑛と過ごせたら。


「さて、そろそろ目的・・・」


 浅利の声が途切れる。

 高層ビルの立ち並ぶ中ひときわ目立つ建物が見えてきたところで、浅利は急に車を路肩に寄せて停車させた。


「・・・くるね」


 宮坂が小さくつぶやいた。


「あ・・・」


 蜂谷は要塞のようにそそり立つ建物を見上げた。

 最上階だ。

 多分、瑛が監禁されている場所。

 そこから、異様な空気のうねりを感じる。

 『気』のような強いエネルギーが急速に膨張する。

 風船のようなものがふくらんで、ふくらんで・・・。


「きた」


 どおおんと、聞いたことのないような破裂音が響く。

 続いてガラスに針で傷をつけるような不快な高い音が、建物の間を反射しながら稲妻のように駆け抜けた。


「・・・いった・・・」


 耳の奥を一気に突き刺されたかのような感覚。

 一瞬、痛みで何も聞こえなくなったが、深く呼吸を繰り返しているうちになんとか治まった。

 しかしこれほどの衝撃をもってしてもおそらく、多くのベータたちには感知できない。

 窓の外に目をやると街を歩く人々も車も、なんらかわりのない様子だ。


「・・・つっ」


 手のひらにちりちりとしびれるような痛みを感じる。

 見ると、金色の細かい光が何度も何度もはじけては消えた。

 顔を寄せると、うっすらと草木や花の香りを感じた。

 これは。


「瑛だ」


 セージ、ミント、ローズマリー、ゼラニウム、ハニーサックル、そして。


 地にしっかりと根を下ろし、天へと枝を伸ばして花開き、生き物を魅了する。


「うん。そうだね」


 宮坂も手のひらを見つめてぽつんと答える。


「そして、ものすごく怒ってる」


 きらきらと、金色の光の粒が宙を舞う。


「止めないと、焼ききれるな、これは」


 それはこの上なく美しいのに、何故か痛みが走った。

 美しければ美しいほど哀しい。

 これは、瑛そのものだ。



 なんで。

 どうして。

 怒りと、悲しみと、悔しさと。

 でも、憎みきれない。

 でも。

 苦しい。


 

 瑛の慟哭が、聞こえる。



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