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天のかけら地の果実(全年齢版)  作者: 群乃青
天のかけら 第三章
13/20

13.ゴールド

「・・・っ!」


 一番に目に入ったのは、白い天井。

 そしてぼんやりとした灯り。

 背中を支えるのはやわらかなクッション素材。

 頬に触れるのはなめらかで心地よいシーツ。

 ただっ広いベッドに横たわっていたのだと知った。

 見渡せば、家具の配置が夢うつつのなかで見た部屋に似ている。

 あの時。

 母が、見慣れない上等なスーツを着た母がシャンパングラスを片手に・・・。

 筒井医師と。


「かあ・・・」


 起き上がろうとしたがいきなり強い力で腕を引かれ、ベッドの中に沈められた。


「な・・・に・・・?」


 見上げた先には、大我。

 痣になりそうなほど腕を握り込まれ、痛みに思わず顔をゆがめた。

 夢ではない。

 現実だ。


「大我・・・。いったい」


 贅沢な空間、広すぎるベッド。

 腹の上に馬乗りになっているのは、つい昼間に再会して別れたはずの志村大我。


「オメガ」


 くぐもった声。


「お前、オメガだったんだな、瑛」


 灯りを背にしてうっすらと彼が笑ったのを感じた。

 これは、誰だ。


「オメガって・・・」


 アルファの子を産む特性。

 それがいったいどうした。


「とぼけるなよ、これだけの匂いを駄々洩れにして。お前いまヒートだろう。ホテルに入った瞬間からわかったぞ」


 オメガ。

 ロスでの大量殺人。

 ヒート。

 誰かの口から出た言葉が切れ切れになって行き交う。

 でも、何の話なのか理解できない。


「どうりで何度も抱きたいと思ったわけだ」


 ぐにゃりとひしゃげた音と、下卑た嗤い。

 わからない。

 この重みも痛みも声も、大我だと思うのに、どこかおかしい。

 大我のはずなのに、大我ではないと頭の奥で警鐘が鳴る。


「お前も、抱かれたいだろう?この俺に」


 襟元からカッターシャツを力任せに開かれ、ボタンが飛ぶ。

 アンダーシャツも首の上までまくり上げられて、胸があらわになる。

 喉の奥で笑いながら身体に触れられ、背筋が震えた。

 じっとりと汗ばんだ手のひら。


「・・・あいかわらず、男を誘う身体しているよな、お前」


 こういう物言いをする男だった。

 あの頃も、こんな感じのことを何度も言われた。

 だけど、どこか上滑りで。

 現実を疑う間に、大我はあっという間にスラックスも脱がされてしまった。

 ここにきてようやく目が部屋の薄暗さに慣れてくる。


「あっつ・・・」


 大我自ら服を脱ぎ始めた。

 まるで巨匠に彫られた大理石の像のような、見事なバランスの肉体があらわになる。

 しかし、何の感慨も持てない。

 ああ、これが世界でトップクラスのモデルの身体かと、こんな状況にもかかわらずのんきに感心してしまった。

 そもそも、昔の大我はいきなり最初から脱ぐ男ではなかった。

 たいてい、ほんの少し前をくつろげただけで慌ただしく行為をし、気が済んだらすぐにいなくなっていた。

 あくまでも、瑛は精処理の道具だった。

 それは、大我の瑛に対する戒めでもあった。

 期待するな。

 お前ははけ口に過ぎない、と。

 さんざん身体を繋げていたのに、全裸を見たことなんて数えるくらいだ。


「・・・大我?」


 変じゃないか。

 大我は今、かつてなく汗をかいている。

 しかし暖房はさほどきいていない。

 全裸にされている瑛には寒いくらいだ。

 そして。


「大我」

「なんだ」

「タトゥーいれたのか?」


 尋ねると、大我はふっと息で笑った。


「見えるか」

「ああ・・・。だけど」


 よくよく見たら、左右の胸からそれぞれの肩を通って手頸そして腰にかけてペインティングされていることに気付いた。

 まるで、ヨーロッパの中世の貴族が身にまとう高価な織物のような緻密で優雅な画。

 海外のスポーツ選手ならよくあちこちにタトゥーを入れているのをよく見かける。

 けっして珍しいことではない。

 だけど、モデルの仕事には邪魔になることもあるだろう。

 それに。


「光の加減なのか?こんな色のタトゥーを俺は見たことがない」


 白銀に光っているようにも見えるのだ。

 丹念に描かれた見事な線画が光を放って浮かび上がる。

 そしてそれは、大我の呼吸に合わせて瞬いているようにも感じた。



 前にもこんな感じのものをどこかで見た気がする。

 だけど、それはまた違う色で。



「これこそが、お前がオメガだという証拠だ」


 誇らしげに、自らの胸元を手で辿ってみせる。


「初めてだろう。お前がこれを見るの」

「ああ・・・。たぶん」

「お前に俺たちについての知識があるはずもないし、自分がオメガだというのも信じられないようだから教えてやる。俺たちとベータの違いはこの印が出るか否か、そして見えるか否かだ。ヒートが始まったオメガの匂いを嗅いだら反応して肌に文様が出る。卵子が成熟したオメガ自身ももちろんそうだ」


 説明を聞いているうちに、瑛はその模様から大我の匂いが沸き立っているのが見たような錯覚を覚えた。

 この匂いは知っている。

 懐かしい。

 だけど、どこか違う気もする。


「昔のお前を何度抱いてもこれは出なかった。だけどどうだ。今はこんなにはっきり出ている」

「でも、おれは・・・」


 夢の中で全身が草に覆われたのを覚えている。

 だけど今、肌の上にはなんの変化も起きていない。


「ああ。お前はまだ全く出ていないな。でも、これほどの匂いがするならもう間違いない。必ずお前はオメガに変転する。俺が変えてやるよ」


 笑いながら大我が覆いかぶさってきた。



「瑛・・・」


 息が、肌にかかる。

 両膝をつかまれて開かれ、彼の身体が割って入る。

 荒々しく身体をすり合わせ、先に行こうと主張する。

 その気になれと促され、とまどう。


「あのさ・・・」


 自分でも驚くくらいクリアで普通の声が出た。

 この期に及んでも、茶番にしか思えない。

 好きだった男が、かつてなく自分に興奮している。

 しかし十代のころならともかく、二十半ばを過ぎて男臭くなったこの自分のどこが気に入っているのが。

 そういえば、オメガになるのだと言われた。

 なら、彼の愛情を受ける権利が出来たとでも言うのか?

 でも、オメガってなんだ。

 自分は何一つ変わっていないのに。


「瑛、なんで」


 責めるような声色の理由は、冷めきった自分に対するもの。

 どこをどんなに弄られても、何も感じない。

 寒い。

 触れている大我の手は、足は、胸は、驚くほど熱いけれど、けっして自分を温めてはくれない。

 なぜか抵抗する気は起きなかった。

 身体を投げ出して、大我の好きにさせた。

 あらゆる場所を口づけられて、撫でられても全く何も感じない。

 むしろ、なんとかしようと躍起になっている彼に同情した。

 そしてどこかで、完遂できないという確信があった。

 電池の切れたロボットのように転がったまま、瑛はため息をついた


「大我・・・。もうやめないか」

「いやだ」


 子供のように駄々をこねる大我を見上げてようやく気が付いた。

 昔と変わらない、鋭いまなざし。

 くっきりとした二重瞼と長いまつ毛の造作は相変わらず完璧な美しさだ。

 だけど、瞳の奥の奥は。

 うつろだ。


「・・・大我、まさか・・・」


 ようやく、全てのピースがはまった。




 書いた覚えのない手紙。

 記憶にない写真。

 らしくない行動ばかりの大我。

 そして。

 母さん。

 筒井医師。



「たい・・・」


 名を呼ぼうとした瞬間、大我の唇に塞がれた。


「う・・・」


 大我にキスをされたのは初めて押し倒された時くらいだ。

 でも、その時はお互いまだ若く、子供じみたものだったのだと知る。

 こんな、獣のような交わりではなかった。

 初めて生身の感覚がして、それが瑛の胸の奥にさざ波を起こす。

 唇を歯を舌を大我の好きにされている。

 鼻に抜ける、大我の匂い。

 付けている香水ではなく、彼自身の、匂い。

 昔は大人っぽいと憧れていたはずなのに今はひどく甘ったるく感じ、とても煩わしかった。

 口の中が、大我でいっぱいになる。

 いやだ、いやだ。

 たまらなく、いやだ。

 腹の底から怒りがわきあがる。



 俺が欲しいのは、これじゃない。

 なのに、なんで。



「えい」


 脳にダイレクトに聞こえた声。

 違う、お前じゃない。

 勝手に瑛の身体に分け入ろうとしている大我がとてもとても嫌だ。


「・・・ざけんな」


 全身が、かっと熱くなった。

 熱くて、熱くて、焼ききれそうだ。


「やめろって言ってんだろっ!」


 大我の首を掴んで突き飛ばした。



 気が付いたら、大我はベッドの向かいの壁際に叩きつけられていた。

 自分は拒絶しただけだ。

 どうしてそんな遠いところに転がっているのかわからない。

 でも、そんなことどうでもいい。

 怒りが、止まらない。

 ベッドから降りて、大我のそばまで歩いた。

 彼は身体のどこかを強く打ち付けて、動けなくなっているようだ。

 全裸で、こんなところに転がって。

 なんて無様な。

 どこかが痛いのか、うめきながら目をゆっくり開いた。

 とりあえず、殺してはいない。


「やめようって、俺、言ったよな?」


 こいつは、おれの身体の中に勝手に入ろうとした。

 許さない。


「瑛・・・。お・・ま・・・え・・・」


 かすれきって、ようよう絞り出した言葉。

 おまえとか。

 馴れ馴れしい。

 汚らわしい。


「大我。俺、今、あんたを凄く殺したい。殺してもいいか?」


 なんとなく、指一本ひねっただけで軽く殺せるような気がしてきた。

 あとは、やるか、やらないか。

 選択権はこちらにある。

 信じられないものを見ているかのように目と口を大きく開いて自分を見上げる男に、手を伸ばした瞬間。


「お前、ゴールドだったのか」


 全てが止まった。


「ゴールド?」


 視線を落とすと、自らの手が目に入る。

 爪が、まるで薄く色を塗ったかのように金に光りだす。

 いや、爪だけじゃない。

 爪から、指、手の甲、腕、そして胸、腹、膝そして足のつま先まで全身を細かな金の模様に包まれている。


「これは・・・」


 手を裏返して、手のひらを見た。

 まるで複雑に絡まる蔦のような金のレース。

 イスラム系の女性の手指に施されていたメヘンディのよう。

 また、頭に浮かんだのは夢の中の歌声。

 そして、あのひとのことば。



「サカサマ」



 喉も、唇も、自然に動いた。

 瑛は腹の底から沸き上がるままに、高らかに歌い出す。

 旋律と音が部屋中反響して、耳から、いや毛穴の一つ一つから身体に入り込み、次々と瑛の中の何かを開いていく。

 ばたりばたりと伏せられていたカードを開けていくような感覚。

 ああ、ああ、そうだ。

 なんて気持ちいい。

 全身から重しのようなものがぼろぼろと落ちていくみたいだ。

 重力から解放されたかのように軽い。

 肺に大きく息を吸い込み、さらに歌う。

 俺は、自由だ。






「はははっ!まさかゴールドだったとはなあ」


 背後でどろりとした音が聞こえた。

 まるで、流れが止まってよどんだ下水のような匂い。

 振り向く前に、床に横倒しにされた。


「な・・・」


 冷たい床に頬を強打し、一瞬、何が起きたかわからなかった。

 奥歯が当たって口の中が切れたらしく、じわりと血の味が広がる。

 呆然としている間に右手と右足、そして左手と左足を手錠でつなげられてしまった。


「あんたは・・・」


 荒々しくあおむけにされて見たのは、見知らぬ男の、粗野な顔。


「いいね、その顔。うれしいよ」


 黄色く濁り血走った瞳で舐めるように眺められて寒気がした。

 いや。

 よく知っている。

 この男は常にいた。

 自分と、母のそばに。


「つつい・・・」


 不自然なくらい。



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