6. 商業ギルドと魔封じの宝石箱
「ふわぁあ……眠い」
いつものように、いや、いつも以上に眠そうにアケィラはカウンターに上半身を突っ伏した。口はだらしなく開き、涎が垂れている。きたない。
「なんかやる気でねぇな……こういう時はやっぱり色街に……って気分にすらならねぇ」
仕事なんてほとんどしていないにも関わらず五月病になっているようなもの。
このまま永遠に引きこもって寝るだけの人生を過ごすのではないか。若いくせに相変わらず枯れている人生を送ろうとしているアケィラだが、世間は彼を放ってはくれない。
カランカランとベルの音がして、客が入って来たのだ。
「やぁ、元気にやってるかい?」
ビシっと決まったスーツを着た若い男性で、やり手のビジネスマンといったオーラが感じられる。
「…………今日はもう店じまいだ」
「おいおい、客に対してその態度はなんだい」
普段は客が入ってくるとそれなりにしっかり対応するアケィラだが、今回はぐぅたらな体勢のまま動かず、あまりにも失礼だ。
「客?家賃の話じゃねーのか?」
物凄く嫌そうに体を起こすアケィラの様子に、その客は苦笑いする。
「家賃は先日払ってくれたじゃないか。今日は店の話じゃなくて、普通に客として来たんだよ」
「ほーん」
どうやら今回の客は、この店の貸主に関係する人物のようだ。もともとやる気が無かったのもあるが、家賃の回収や値上げの話かと思って対応したくなかったのだろう。
「というか、客かもしれないのにその態度で出迎えるのは商売人としてどうなのかい?」
「別にいつもこうって訳じゃねーよ。足音でタッチギィが来るって分かってただけだ」
タッチギィと呼ばれた客は、石畳を歩くと甲高い音を立てる特徴的な靴を履いていた。その音が聞こえたから相手が誰か事前に分かり、真っ当に対応しなくても良い相手だと判断した。
「商業ギルドのメンバーは多くがこの靴を履いているから俺じゃないかもしれないだろ。それにツレがいるかもしれないだろ?」
「歩き方で音は変わる。その音を出すのは一人しかいない。それにツレの『気配』も感じなかった」
「『気配』ねぇ。本当は音なんて関係なく俺が来るって分かってたんじゃないか?」
「はは。買いかぶりすぎだ。俺はしがないオープナーであって、そんな便利なスキルなんて持ってねーよ」
「まぁそう言うことにしておこうか」
アケィラの言葉を全く信じていない様子だが、どうせ何を言っても誤魔化そうとするのだろうからと、商業ギルドの男、タッチギィは諦めた。
「んで、客として来たって話だが、何を開ければ良いんだ?」
「これだよ」
タッチギィが懐から取り出したのは、少し大きめの宝石箱だった。
意匠が豪華なのはもちろんのこと、箱そのものにも多くの宝石が埋め込まれていて、箱だけでも高価な物であることが一目で分かる。
「すげぇな、これ。売ったら一生遊んで暮らせるんじゃね?」
「一生かどうかは微妙なところだね。それほど高価な宝石は箱には使われていないから」
「だがセンスが良い。美術的な価値が付加されるから、やっぱり相当な金額で売れるぞ」
「……君は美術的な価値までも分かるのかい?」
「……わ~なんかきれいなはこ~!」
誤魔化そうとしていることを隠そうともしない様子に、やはりタッチギィは苦笑いをするしか無かった。
「どちらにしろこれは商業ギルドの持ち物だから、君には関係ない話だよ」
「よし、これを報酬としてもら」
「…………」
「ひぃっ!笑顔で怒るなよ!こえぇなぁ!」
タッチギィの表情が苦笑いから作り笑いへと変化し、何かスキルを使っている訳でも無いのに猛烈なプレッシャーを発していた。アケィラもやる方法だが、彼の方が数段威力が上だった。
「商売人として、利益が釣り合わない取引はどうしても許せない質でね」
「分かったからその笑顔は止めろって。俺が本気じゃないって分かってるだろ」
タッチギィも本気では無かったのだろう。その言葉ですぐにいつもの苦笑いへと戻った。
「まぁ君の能力を考えるとこのくらいあげるべきなんだけどね。ただ、今回の取引にはふさわしくないだけで」
「あ~はいはい。そうですか」
「相変わらず君は自分の実力を過小評価しすぎる傾向にあるな」
「そういうの良いから」
面倒な話になりそうだからと、アケィラは強引に話を打ち切って宝石箱を手に取った。
「なんだ、普通に鍵穴があるじゃん。それなのに持って来たってことは鍵が無い?」
「そう。これは先日、とある冒険者が発見した盗賊のねぐらから発見されたもので、その場に鍵が残されてなかったんだ」
「盗賊の持ち物?だとすると発見者のその冒険者の物になるんじゃねーのか?」
それがこの世界での一般的なルールである。
「もちろんそうだよ。それでその冒険者は商業ギルドにこれを売ったんだ」
本来の持ち主から盗賊が盗み、盗賊から冒険者が奪い、冒険者が商業ギルドに売却し、商業ギルドがアケィラの元へと持ってきた。つまりはこういう流れなのだろう。
「ふ~ん、商業ギルドにも解錠スキルの持ち主くらいいるよな。つーことは、だ」
「この箱は魔法やスキルの類を一切受け付けないんだ」
「なるほど、魔封じがかかっているのか」
解錠スキルが無効化され、鍵も見当たらない。
それゆえ開けられる者がおらず、オープナー・フルヤに持ち込まれたのだ。
もちろん箱を破壊すれば中身を取り出せるだろうが、美術的価値の高い箱を壊すなど以ての外。外箱を傷つけずに中身を取り出す必要がある。
「面白そうだな。いいぜ、この仕事、オープナー・フルヤが請け負った」
アケィラは楽しそうにそう告げると、何処からか工具一式を持ってきた。
「おや、物理的に開けるのかい?君の事だからてっきり魔封じの方をどうにかすると思ってたけど」
「何言ってるんだ。魔封じがかかってるところが美術的な価値の一つだろうが。それを消すだなんてとんでもない」
「そ、そういうものなのか……?」
「タッチギィもまだまだだな。そんなんじゃ上に叱られるぜ」
「むぅ」
アケィラの価値観が常人とは異なっているだけでは無いか。
その言葉をタッチギィは飲み込んだ。少なくともアケィラと同種の人間には、この宝石箱がより高く売れるということだ。その人物を探して売るか、あるいはその価値を他の人達にアピールして値を釣り上げるのが、商売人としての自分の仕事であると判断したからである。
「さ、て、と。そんじゃはじめるぜ」
アケィラは細長い金属の工具をカギ穴に突っ込むと、繊細な手つきでゆっくりと動かした。
「参考までに、何をしているのか聞いても良い?」
「手に伝わってくる感触から中の構造を把握してるんだよ」
「そんなことが出来るのかい?」
タッチギィは目の前の宝石箱を見ながら工具で蓋に触れる姿をイメージした。だがそれだけで宝石箱の形が判明できるだなど信じられなかった。眼に見えているものですら分からないのに、眼に見えないものが感触だけで分かるものなのだろうか。
その疑問を察したのか、アケィラが答えをくれた。
「眼に見えないからこそ、手の感触が鋭敏になるんだよ。タッチギィも目隠しして物に触れる練習をしたらすぐに分かるようになるぜ」
「…………考えておくよ」
なるわけない、という気持ちと、もしかしたら少しは分かるかもしれない、という気持ちが混在して複雑な気分なタッチギィであった。
「うし、大体分かった」
「もう分かったのかい!?」
「仕組みが単純だったからな。高価な物を入れるにしては単純すぎるような気もするが……」
「だとするとこの中には大したものは入ってないかもしれないってことだね」
「だな」
高価な宝箱なのだから、中には凄い宝物が入っているに違いない。
そう思ったのだがあてが外れそうだ。
とはいえアケィラは特に落胆した様子はない。彼にとって中身も大事ではあるが、それ以上に『開ける』ということが大切なのだ。
「これと、これと、これ……あとこれ」
「お、おいおい。そんなに突き刺して大丈夫なのかい?」
「ちゃんと傷つけないように気を使っているさ」
「そういう意味じゃないんだが……」
細長い工具を何本も鍵穴に突き刺し、一本一本固定して行く。
単純な鍵と言われたから、一本の工具でかちりと簡単に開くのかと思っていたタッチギィは、アケィラにとって簡単なだけで本当は難解なのではという疑惑が湧いてきた。
「最後にこれを入れて……よし、開くぞ。心の準備は良いか」
「あ、ああ。頼む」
最後に差し入れた先端がフック状になっている金属。
それに少しだけ力を入れて引っ張ると、カチりと音がした。
アケィラは鍵穴を探りしっかりと開いたことを念のため確認すると、差し込んでいた全ての工具を引き抜いた。
「仕事完了。さぁ、お待ちかねの開封の時間だ」
中身は大したこと無いだろうと相変わらず思っているアケィラ。
実は複雑な構造の鍵であり、中身に期待できるかもしれないと思っているタッチギィ。
それぞれ正反対の気持ちを抱きながら、タッチギィはそっと優しく宝石箱の蓋を持ち上げた。
その中に入っていた物とは。
「「鍵?」」
宝石箱の中には持ち手の意匠が凝らされた一本の鍵だけが入っていた。
試しにタッチギィがそれを使って宝石箱の鍵穴に突っ込むと、なんと開け閉め出来たでは無いか。
つまり正真正銘、この鍵はこの宝石箱の鍵である。
「「ぷっ……あはははは!」」
二人は顔を見合わせて盛大に笑った。
何か高価な物が入っているかと思ったら、無くなったと思った鍵が入っていたのだ。
拍子抜けったらありゃあしない。
「あ~面白かった。残念だったな」
「あはは、そうでもないよ。この鍵にも宝石が埋め込まれていてとても綺麗だ。美術的な価値もありそうだし、セットでの価値は跳ね上がったと思うよ」
開けて貰って損はない。
むしろ大きく得をしたとタッチギィは満足気だ。
だがアケィラには一つだけ腑に落ちない点があった。
「でもよぅ。鍵が中に入ってたのに、どうやって鍵を閉めたんだ?」
「あれ?確かに」
鍵が無いのに鍵が閉まっていた。
そんなことがあるのだろうか。
「鍵穴は何かの拍子で勝手に閉まっちまうような仕組みじゃなかったんだがなぁ」
「だとすると誰かが意図的に鍵を中に隠して、どうにかして鍵をかけたってことかい?」
「考えられるのはスキルか」
「でも魔封じの効果でスキルは使えないはずだろう?」
「スキルを使って閉めた後に魔封じをセットしたのかもしれないぜ」
「なるほど……」
だとするとこの宝石箱の本来の持ち主は、意図的に鍵を宝石箱の中に隠したということになる。
「まさかこの鍵、他にも使い道があるのかな」
「あるいは、宝石箱の内側に何か秘密があるとかな」
「うう~ん、まさか開けて貰ったら貰ったで新たな謎が出て来るとは。君はどう思う?」
「知らん」
開けることには興味があるが、それ以外のことはどうでも良い。
もうアケィラは宝石箱のことはどうでも良くなっていた。
「男ならこういうのにワクワクするはずなのに……まぁ良い、それで報酬だが、半年分の家賃の支払い不要、でどうかな」
「マジで!?そんなにくれんの!?」
「ああ。それだけの価値がこの仕事にはあると判断した」
宝石箱そのものの価値が高まったということもあるが、中に入っていた鍵の本来の使い道が分かれば莫大な価値が舞い込んでくるという予感があった。確実ではない利益に投資するのはタッチギィの流儀では無いが、この件に関してはそうしろと直感が囁いていた。
「いやぁ、盗賊退治してくれた冒険者に感謝だな」
おかげで楽しい解錠の仕事が出来て、しかも半年分の家賃まで払わなくて良くなった。
アケィラにとっては良いこと尽くめである。
だが彼の表情はタッチギィの言葉で一変する。
「それなら直接伝えると良い」
「は?」
「件の冒険者は君が良く知る彼女だからな」
そう言われて思い描くのは一人しかない。
余計なことはするなとこの店を追い出したぽんこつ凄腕冒険者。
「あの馬鹿お嬢、何やってんだよ……」
どうせ仲間なんてまだ見つけていないのだろう。
いくら強いとはいえ、女一人で盗賊のねぐらに乗り込むだなど危険極まりない。
ダンジョンに潜らないなら潜らないで、無茶しかしない。
「はぁ~~~~~~~~」
深い深い溜息しか出ず、その様子をタッチギィは楽しそうに見つめるのであった。




