5. 裏のおばあちゃんとジャムの蓋
「ふわぁあ、眠い」
いつものようにカウンターに上半身を突っ伏して惰眠を貪ろうとするアケィラだが、残念ながら今日はそれを防ぐ邪魔者が居た。
「それなら私が客を呼んで来よう!」
いつもの鎧を脱ぎ、何故かメイド服を着ているカミーラだった。しかもミニスカノースリーブタイプであり、色街から呼ばれてこの店にやってきたのではと勘違いされてもおかしくない格好だ。
「おい馬鹿止めろ。というか帰れ」
「嫌だ。お前の手伝いをするって決めたんだ」
カミーラは出禁が解消されたことで、オープナー・フルヤに入り浸っている。だが単にいるだけでは邪魔だろうと考え、手伝おうと考えた。その際にアレなメイド服を着てしまっているのは、彼女の頭がアレだからに違いない。
「手伝いなんていらん。仕事もいらん。余計なことしないでダンジョンに潜ってろ」
「ダンジョンに入って良いのか!?」
「ソロなら深層禁止だぞ」
「う゛……下層までだと相手が弱くてつまらないんだよ……」
「つまるつまらないで死ぬかもしれないとこに行くなよ。この馬鹿お嬢が。さっさと仲間見つけろ」
仲間と一緒であれば、緊急事態に陥っても助かる可能性がぐっと上昇する。カミーラがぽんこつミスをしても生きて帰れるかもしれないのだ。共に戦う仲間の存在は絶対に必要だというのがアケィラの考えである。
「アケィラが仲間になってくれよ」
「嫌だ」
「そこを何とか」
「嫌だ」
「私のためだと思って」
「嫌だ」
「なんて言いながらも本心では?」
「絶対に嫌だ」
「ぶーぶー!」
これまで何度もカミーラはアケィラを冒険に誘っているが、戦いなんてやりたくないアケィラは絶対に首を縦に振ろうとしない。彼のぐうたらしたい病は根深いのである。
「つーかマジで毎日毎日何しに来てるんだよ」
「だから手伝いだって言ってるだろ?」
「要らないって何度も言ってるだろ」
「でもほら、セニキの時みたいなケースもあるかもしれないだろ?」
「セニキ……?」
聞きなれない単語に首をかしげるアケィラだが、その様子を見たカミーラは盛大にツッコミを入れた。
「お前勇者の名前覚えてないのか!」
「ああ、勇者君ってセニキって言うんだ。知らんかった」
「どうりでいつまでも勇者君呼びなわけだ……」
この世界では知らない方が恥と言えるくらいの一般常識なのだが、全く興味が無いため覚えて無かったのである。
「まぁそれはそれとして、あの時みたいに私の手が必要な場合があるだろ?」
「ないない。もうあんな疲れるだけの依頼なんて受けねーから」
「そんなこと言って困っている人がいたら助ける癖に」
「何か言ったか?」
「なんでも」
聞こえないふりをしているのか、それとも本当に聞こえて無いのか。
どちらにしろアケィラはカミーラを心底邪魔そうに思っている態度を崩さない。
「それなら他の依頼でも手伝う!」
「だから要らねーって。そもそも何が出来るんだよ」
「それは……その……アケィラの目の保養……とか?」
短いスカートの裾をきゅっと握り、顔をほんのり赤くしながらそんなことを言えば、大抵の男はイチコロだろう。尤も、世の中には例外がいるものだが。
「はん」
「この野郎鼻で笑いやがったな!」
なんとアケィラはカミーラに邪な視線を向けるどころか、本気で興味無さそうにしているではないか。
カミーラは女としてのプライドが傷つけられたと同時に、ある疑問を抱いた。
「まさかお前、男が好きなのか?」
「ばっっっっ!俺はノーマルだ!じゃなきゃ色街にキレイなネーちゃん見に行かねーよ!」
「じゃあ何で私に興味無いんだよ!せっかくこんな格好までしたのに!」
どうやらエロミニスカメイド姿になったのはぽんこつではなく、単純にアケィラを誘惑するためだったらしい。だがそういう作戦は失敗して冷たい目で見られた時ほど精神にダメージを負うものである。
「そんなの同級生をそういう目で見たらダメだからに決まってるだろ」
「は?」
「色街のお姉ちゃんはそれが仕事だから良いの。それ以外の女の人にそういう目を向けたら人としてダメだろ」
なんとアケィラは異性に興味がないわけではなく、そういう目で見たら相手に悪いと思い鋼の意志で我慢しているだけだった。
まさかの理由にカミーラは引き続きスカートの裾をきゅっと握ったまま、少し俯いてプルプルと震え出す。
「し……」
「し?」
「紳士かよ!」
「良いじゃん!何で俺怒られてんの!?」
「怒ってない!好き!」
「はいはい。冗談は良いから」
「なんでいつもそういう反応になるんだよー!」
「うわ!なんだ止めろ!お前力のパラメータカンスト近いんだから軽くぶたれるだけでも超痛いんだよ!」
本来であればぽかぽかと可愛く殴るところ、ドスドスメキメキと響いてはならない音が店内に響く。このままではアケィラの腕が折り砕かれてしまう。
ピンチの状況から助けてくれたのは、お客だった。
カランカラン。
「お、客だ。どけどけ、いらっしゃいませー」
カミーラの攻撃をさっと躱し、突然の営業スマイルでお客を迎え入れる。
「あらまぁ、お取込み中だったかしら?」
そのお客は少し腰が曲がった杖をついた老婆だった。
「お、婆ちゃんじゃん。平気平気、暇してるから入って入って」
どうやらこの老婆はアケィラの知り合いで、営業スマイルを止めて自然な笑顔で迎え入れた。
老婆の為に何処からか持ってきた椅子を用意していたら、カミーラが話しかけて来る。
「常連さんなのか?」
「裏の家に住んでる婆ちゃん。ここに店を構えてから仲良くして貰ってる」
「なるほど、ご近所さんか」
アケィラが老婆を椅子に座らせている姿を見ながら、カミーラは改めてこの店について考える。
「(大通りから少し離れた裏通り。商店街と住宅街の狭間のような場所で、あまり目立たないところにある。両隣は空き店舗らしいし、多分ここは儲からない場所に違いない。商売する気が本気であるのだろうか)」
むしろ本気でやる気が無いからこそ、目立たなくて客に見つかりにくい場所に店を構えている。
「(裏の婆ちゃんって言ってたけれど、裏に住宅があったのか)」
店の裏がどうなっているかなど、普通は意識しないだろう。この店に何度も来ているカミーラですら、裏を意識したのはこれが初めてだった。
そんなこんなでカミーラが店の周囲の情報について考え終わったら、丁度老婆が椅子に座ったところだった。
「それで婆ちゃん、今日は何の用?」
アケィラのその質問に、老婆は懐から一つの袋を取り出した。そしてその袋をゆっくりと開けると、中から鮮やかな赤い何かが入ったビンを取り出した。
「これの蓋が開かなくなっちゃってねぇ。開けてもらいたくて来たのよ」
「なぁんだ。そんなことなら簡単。任せてよ」
ビンの蓋が硬くて開かない。
開かない物を開けるのだから、それもまたオープナー・フルヤの仕事に間違いない。
だがここで、カミーラが待ったをかける。
「それなら私がやるぞ。力には自信があるからな」
そう言って横からビンを取ろうと手を伸ばしたのだが、その腕が物凄い力で止められた。
「アケィラ!?」
「余計なことはするな」
「ひぃ!」
これまで聞いたことがない程に怒気が籠められた一言に、慌ててカミーラは手をひっこめる。
「あらまぁ。ケンカしちゃダメよ?彼女さんなんでしょ?」
「そうで……」
「違います。ただの知らない人です。なんか勝手に入って来て困ってるんだよ」
「アケィラ!?」
流石にそれは酷いだろうと抗議の声を挙げるが、先ほど怒られたことが少し怖くてそれ以上は強くは出られない。
「うふふ。面白い関係のようね。後で詳しく聞きたいわ」
「面白い話なんて何もないって。それよりビンの蓋を開けるね」
アケィラは誤魔化すかのように仕事を始め、とても優しい手つきでビンを受け取った。そして壊れかけの物を扱うかのように丁寧に丁寧にそれの蓋にゆっくりと力を入れて時間をかけて開けた。
「はい、開いたよ」
「ありがとう。助かったわ」
「このくらいお安い御用さ」
「うふふ。じゃあこれが今回の代金ね」
「そんな!この程度で代金なんて貰えないよ!」
「ダ~メ。仕事をしたなら正当な報酬を得ること。当然の事よ」
離れたところでうんうんとカミーラが大きく頷いた。
これまでアケィラが仕事に見合った報酬を意図的に貰ってないような気がしていて不満に思っていたのだ。
「と言ってもあなたは嫌がるでしょうから。これならどうかしら」
「これって婆ちゃんお手製の煮つけじゃないか!いいの!?」
「もちろんよ。あなたのために作ったのだから遠慮なく貰って頂戴」
「やったああああ!」
食べ物をもらって、まるで子供のように喜ぶアケィラ。
これまで見たことが無い程に純粋な姿を目の当たりにして、驚くカミーラ。
「ありがとう婆ちゃん。大好き!長生きしてね!」
「うふふ。そう言われたら頑張って生きないとね」
その後、陽が暮れるまでアケィラと老婆は談笑し、カミーラはその様子をそっと傍で見守っていた。ということもなく、二人の関係をアピールしようと必死だった。
老婆が帰った後の事。
「な、なぁ、どうしてあの時あんなに怒ったんだ?」
カミーラは老婆のビンに触れようとして怒られた時のことをアケィラに聞いた。
「やっぱり仕事を奪おうとしたからか? だとしたら本当に済まない」
自分が悪いところを理解し、しっかりと謝りたかった。アケィラは彼女をうざく感じているが、このような姿勢は好ましく思っていた。
老婆が座っていた椅子に優しく手で触れながら、アケィラはカミーラの方を見ずに答える。
「あのガラスのビンは粗悪な作りだから、少しでも力を入れすぎると割れてしまうんだ」
「そうか、私が普通のビンだと思って手にしたら、その時点で割れるかもしれなかったのか」
だからそうならないように止めた。それは分からなくはない。
「でもそれならそうと言ってくれれば良かったのに……」
軽く腕を掴み、口で説明して普通に止めれば良いだけでは無いか。何故怒気を漏らすほどに怒ったのだろうか。常人ならば折れそうな程の力で腕を掴んだのだろうか。
答えを聞いたカミーラは絶句することになる。
「あのビンに入っているのは、先日病気で亡くなった娘さんが作ってくれたジャムなんだよ」
つまりあのビンは老婆にとって形見と言えるもの。
大切な家族が残してくれた大事なもので、それが腐る前に少しずつ時間をかけて味わうように食べていた。
もしもあの時、カミーラが力任せに掴んでぶちまけ、台無しにしてしまったら。
老婆のことを考えると、絶対にそんなことはさせてはならない。
その想いから、アケィラは余計なことはするなと強くクギをさしたのだ。
老婆のことを優しく思っているからこその行動だった。
「あ……ああ……私は……私はなんてことをしようと……」
良かれと思ってやろうとしたことが、手伝って良いところを見せたいと思ってやろうとしたことが、誰かを悲しませる致命的な結果を産むところだった。
その事実にカミーラは震えが止まらない。
彼女もまた優しき心を持っているからこそ、己の過ちを悔いてしまう。
アケィラは彼女に向かって顔を向けた。
その顔はとても慈愛に満ちたものであったが、投げかけられた言葉はカミーラにとって辛い物であった。
「だから言ったろ。俺に手伝いは必要ない。お前はお前がやるべきことをやるべきだ」
それはこれまで幾度となく突きつけられた拒絶の言葉よりも遥かに重くカミーラの胸に響くのであった。




