4. 勇者と強力な呪い 後編
「やってくれるのか!」
「ああ、ということで早速視させてもらうぞ」
オールロックの呪いがかけられた少女、ミュゼスゥ。
アケィラは瞳に魔力を集中させ、彼女の様子を視る。
「うわ、なんだこれ。お前ら一体どんな相手と戦ったんだよ。こんなにも複雑強固な呪いなんて見たことねーぞ」
一目視ただけで眼が壊れてしまうのではと思えるほどに濃密な呪いのオーラが彼女の身体を包んでいた。しかも魔法陣のようなものが描かれた帯で何重にも包まれていて、徹底した封印が為されている。
呪いの専門家が何年もかけて作り込んだと言われても信じられる程の逸品だった。
「僕達が魔王軍と戦っているのは知ってる?」
「そうなのか。てっきりダンジョンにでも潜ってるのかと思ってた。そういや最近、魔王軍との戦いが激化してるなんて話を聞くな」
街を歩けば魔王軍の話題が勝手に耳に入ってくる。だが、関わったらまずいと極力触れないようにしていたため、勇者が魔王軍との戦いで活躍していることを知らなかった。
「それで先日、四天王の一人を倒したんだけど、そいつは呪いが得意だったんだよ」
「倒したは良いものの、最後にカウンターを喰らってしまったとか、そんなとこか」
「その通り。本当は僕が狙われてたんだけど、彼女は僕を庇って……」
「そりゃあ、ここまで強力なのは当然か」
本当に専門家が作り込んだものだったのだ。恐らくは、自分が死んだときに自動的に倒した相手を呪うように設定されていたのだろう。
「呪いのタイプは……確かにオールロックだな。スキル、装備、アイテム、それに感情に本能。なるほど、勇者君が焦るわけだ」
「ミュゼは何も食べず、寝ることもせず、ずっとこの状態なんだ。このままでは近いうちに餓死してしまう」
単に感情だけがロックされたのであれば、生きることは可能だろう。
だが本能がロックされてしまっているがゆえ、睡眠欲や食欲が無く、物を食べさせることが難しいのだ。仮にどうにか食べさせられたとしても、睡眠を全くしていないことで身体が疲れ、極度の疲労により死んでしまう。
単に相手の行動を阻害するだけではなく、ゆっくりと死に至らしめる凶悪な呪い。
「これは難しいな」
「…………そう…………か」
アケィラの診断に、勇者は肩を落とす。
イナニュワとイズからも、悔しそうな雰囲気が漏れていた。
どうやら彼らは勘違いしている様子だった。
「解くのに時間がかかりそうだ」
「え……?解ける……のか……?」
「俺を誰だと思っている。何でも開けるオープナーの店主だぞ」
アケィラのドヤ顔が、勇者にとってはまるで神の笑顔のように感じられた。
「というか勇者君。教会に依頼しなくて良かったな」
「え?」
「多分これ、あいつらでも解けないわ」
どれほど高い解呪スキルの持ち主がいようとも解けることは無い。
流石魔王軍四天王の渾身の呪いと言うべきか。それほどのものだったのだ。
「恐らくあのエロタヌキ達も分かってたんじゃねーかな。だから寄付としてイナニュワを求めて、ダメだった時に怒られないように人質にするつもりだったくさいな」
「な……!」
「魔王軍と戦うのも良いが、体内の膿を潰すのも考えた方が良い。そういうのは勇者君は苦手だろうが、いつかやらないと痛い目に遭うぞ」
「…………僕は…………どうしたら」
勇者は良い意味でも悪い意味でも純粋であり、人を疑うことを良しとしない。世の中にはそれを利用する輩がごまんといるのだ。今回のことは良い社会勉強になっただろう。
「悩むのは後でやれ。それよりも今は彼女の解呪だ。一刻も早くやらなきゃならない。とはいえ、今は準備が足りない。必要なものを用意して欲しい」
「何でも言ってくれ!」
仲間をなんとしても助ける。
その想いが勇者の胸に宿ったもやもやを一時的に振り払ってくれた様子だ。
「そうだな、まずは……」
頭に過った必要なもの。
その中にはどうしても用意したくないものがあったのだが、ここで我儘など言ってられないかと、仕方なくアケィラは妥協することにした。
「カミーラを呼んで来てくれ」
ーーーーーーーー
「それじゃあ始めるぞ」
店舗の中央に、どこからか取り出した一対の椅子が置かれ、それぞれの椅子にアケィラとミュゼスゥが向かい合うように座っていた。
彼らの周囲には勇者達とカミーラが立ち、アケィラの脇に置かれている小さなテーブルの上には解錠に必要なものが色々と置かれていた。
カミーラが到着した時は色々と煩かったが、今は固唾を飲んでアケィラの行動を見守っている。
「ふぅ……」
アケィラはテーブルに置かれたグラスを手にし、中に入った水を一口飲んでから軽く息を吐いた。
そうして集中モードに入り、瞳に魔力を集中して行く。
「なんつー複雑な呪いだ。絶対に解かせまいとする執念を感じるわ」
ブツブツ呟きながら、まずはミュゼスゥの身体全体を確認し、呪いの全体像を把握する。
「凄い……あそこまで魔力を一点に集中出来るだなんて……」
アケィラの解呪の様子をイナニュワは素直に感嘆し、食い入るように見つめていた。魔法使いとして、彼の魔力操作は勉強になるものがあるのだろう。
それ以降、誰も何も言わずに解呪の様子を見守っていた。
十分、二十分、三十分。
アケィラは視線こそ動かすものの、それ以外に全く動きが無く、表情は変わらず真剣なままだ。
そして始めてから四十分を過ぎた頃、最初に大きな動きを見せたのはカミーラだった。
彼女はテーブルの上に置かれている箸を手にし、同じくテーブルの上に積まれていた紙をつまんだ。そしてそれをグラスの中の水にたっぷり浸し、箸で器用に小さく丸めてからつまみ直し、アケィラの口元へともっていく。
するとアケィラは小さく口を開けたので、優しく素早くそれを中に押し込んだ。アケィラは口に入れた濡れた紙をきゅっと咥内で絞り、ぺっと吐き出す。
なるべく顔を動かさず、集中を保ったまま水分を補給するための方法だ。
「どうして水分補給が今のタイミングって分かったの?」
勇者が小声でカミーラに問いかけた。
すると彼女はきょとんとした顔で答える。
「どうしてって、見れば分かるだろ?」
「そ、そう……」
誰がどう見ても、アケィラが水分を欲していただなど分からない。何しろ微動だにしないのだから。
ここに来て勇者はカミーラが呼ばれた理由が分かった。
彼女は怖いくらいにアケィラのことを理解しているのだ。
「(ここまで愛されていて嫌われてるとか悲しすぎる。それとも、愛されすぎているから嫌なのかな。僕も気を付けないと)」
カミーラの献身を見て、愛する人達との関係を考え込んでしまった勇者。アケィラが見ていたら『そんなんじゃねぇから』と嫌そうに言うに違いない。
アケィラは水分補給を挟みながら二時間近くミュゼスゥを見つめ、ようやく休憩に入った。
「…………ふぅ」
大きく息を吐き、疲れていることが誰の目にも明らかだった。それもそのはず、二時間もぶっ続けで集中していたのだから。
「ど、どう?なんとかなりそう?」
「ん?あれ、まだ居たのか。時間がかかるから自由にしてろって言ったのに」
「アケィラ君が頑張ってるのに僕が外すわけにはいかないよ」
「つっても、やってもらうことなんてねーし、まだまだ時間がかかるから暇だぞ」
「……ええと、凄い時間がかかるとは聞いてたけど、どのくらいかかりそうなの?」
「分からん。ただ、一日はかかるだろうな」
「一日!?」
長くても数時間程度だと思っていたのだろう、予想以上に時間がかかると知り、驚いた。
「スキルを使わず超難解で巨大なパズルを強引に解こうってんだ。そんくらいかかるだろ」
「そ、そういうものなんだ……」
「あ~やったことねぇと分からんか。トゥーガックスなら理解してくれそうなんだが……まぁいいや、兎に角どこかに行ってろ」
「もしかして邪魔かい?」
「んなこたぁねぇよ。集中してたら周囲の事なんか気にならねーから、余程大声で騒いだり体に触れたりしなきゃ平気平気」
「じゃあやっぱり僕はここで見てるよ」
「物好きな奴だな。まぁ別に良いが、椅子は自分で用意しな」
アケィラは話を終えると、身体の凝りをほぐすように全身を動かし、これまた何処からか小さな台を持ってきた。そしてそれをミュゼスゥの目の前に置き、彼女の左手を持ち上げてそっと置いた。
「さて、これからぶっ続けでやる。カミーラは引き続き水と食料の補給を頼む」
「任された!」
「うるせぇよ。それに変なもん食わせるなよ」
「私を何だと思ってるんだ!?」
「俺のストーカー」
「ぐっ……」
はっきりと断言されるとは、一体彼女は学校でアケィラに対して何をしでかしたのだろうか。
「勇者君達はさっきも言ったが好きにしてろ」
「さっきも言ったけどここにいるよ」
「あっそ」
別に見られたところで緊張するような性格でも無い。アケィラはそれならそれで別に良いと、作業に戻る。
右手に装着した手袋を外し、薄い魔力を纏わせ、そっとミュゼスゥの左手に近づけた。
「っ!」
呪いによる強い反発があり、手に触れることが出来ない。そのため右手をかざすようにして止める。
「複雑化に特化した作りになっていて、カウンターが仕込まれていないのがまだマシか」
呪いの中には、無理矢理解呪しようとすると解呪者を攻撃してこようとするものや、呪いの進行を早めようとするトラップが仕込まれているものもある。ミュゼスゥにかけられた呪いは単純なものでその手のからくりは無い。そうであることを最初に時間をかけて見破ったのだ。
「だが特化しているがゆえに、尋常ではない難易度のパズルになってやがる。これは解き明かすのに骨が折れそうだ」
アケィラは手のひらから薄い魔力の膜を生み出し、それをミュゼスゥを覆う呪いの魔力に触れるか触れないかの絶妙な距離で纏わせてゆく。
「な、なんて精度なのよ!?」
「これがアケィラ君の力なのか……」
魔力の繊細な操作に、勇者とイナニュワが揃って驚きの声をあげる。実力者である彼らが心底驚くくらいに、アケィラの魔力操作はレベルが高い。
「…………」
そんな周囲の声など全く耳に入らず、アケィラは集中して魔力の膜を呪いの全体、つまりはミュゼスゥの全身に纏わせる。
だがそれで終わりではない。
「(次は内側だ)」
呪いは何層にも重なっているため、その内側の様子も探らなければならない。眼で見て潜ろうとしても分からない範囲まで探るため、呪いの僅かな隙間を見つけては魔力を滑りこませ、細部まで詳らかにせんとする。それだけで数時間はかかるだろうと彼は想定していた。
「す……凄い……」
「神業だ……」
などと最初の頃は彼の行いに一々感動していた勇者達も、一時間も経てば再び手持ち無沙汰になってしまう。アケィラが大声を出さなければ好きにして良いと言ったこともあり、勇者とイナニュワは小声で会話を始めた。
「こいつ凄いとは思ってたけど、ここまでだっただなんて」
「僕も同感。もしかしたら、冒険者学校の時よりも上手くなってるのかも。当時彼が全力を出した姿を見たことが無いから憶測でしかないけどね」
あるいは決闘でも申し込めば底が見えたのだろうか、とも思った。
だが勇者は当時アケィラを敵視していたとはいえ、流石にそこまで露骨に迷惑をかけることは出来なかった。それに仮に申し込んだとしてもアケィラは逃げたに違いない。
「アケィラは当時から凄かったんだぜ!」
「なんであんたが得意げなのよ。それに大声を出すなって言われてるでしょ」
「うっ……」
会話に割って入って来たカミーラが早速やらかすが、彼女がやらかす可能性をアケィラが考えていない訳が無い。恐らくはこの程度の叫びであれば集中を妨げられることは無いのだろう。
その後も会話をしながら彼らは静かにアケィラの処置を待つ。
三時間、五時間、十時間。
そして処置開始から半日が経とうかという時、アケィラに異変が起きた。
真剣な表情が更に険しくなり、顔から大量の汗が流れ、小さくふぅ~ふぅ~と音を立てて息をするようになったのだ。
「だ、大丈夫なの?」
「アケィラ君がこんなにも疲弊するだなんて……」
いつも飄々としている男が、初めて苦しそうというネガティブな感情を表に出した。
つまりは今回の解呪はそれほどに辛いものだということである。
カミーラがアケィラの汗をタオルでそっと拭い、塩分を補給させるための塩水と栄養補給用の小さな固形物を彼の口に放り込む。
それで一旦少し落ち着いたものの、また一時間も経てば再びアケィラは苦しそうな顔になる。すると今度はカミーラは魔力補給用の魔力ポーションを紙に含ませて彼の口へと放り込む。
カミーラの適切な処置でアケィラの症状は治まるが、それは一時的な話。
処置開始から一日が経つ頃には、カミーラが何をしようとも苦しそうな顔が解消されることは無くなった。
その様子を見て、律儀に傍で待ち続けた勇者は疑問を漏らす。
「どうして君は……そうまでしてミュゼを助けてくれるんだ?」
仕事だから仕方ない。
そう割り切れるレベルでは無い程に、アケィラは衰弱していた。
極度の集中と魔力消費を長時間継続しているため、疲労により今にも倒れてもおかしくない。
面倒なことは嫌で、ぐうたらなアケィラが、どうしてここまで必死になってくれるのか。
「君は僕のことを何とも思ってないと言った。それが本当だったとすると、僕やミュゼは君にとって単なるクラスメイトか、それ以下の存在だったはず。それなのにどうしてそんなになってまで……」
道行く人が死にかけているのであれば、簡単であれば治すが面倒そうであれば仕方ないことだと割り切る。それが勇者にとってのアケィラの印象だった。だが目の前の存在は、割り切ることなど絶対にせず最後まで諦めない雰囲気を醸しているでは無いか。
勇者にとって、アケィラという存在が何なのか分からなくなってきた。
そんな勇者に、アケィラのことを最も良く知ると自負する人物が、答えを教えてくれた。
「何言ってんだ。アケィラは最初っから誰にでも優しい奴だっただろ?」
仕事だとかそんなのは関係なく、困っている人がいたら助ける。
それがアケィラの本質であるとカミーラは言う。
「で、でも彼はいつも非協力的だったよ!?」
「それはお前達がアケィラと協力したいんじゃなくて利用したがってたからだろ」
「!?」
この作業はクラス全員でやるべきだから協力しろ。
勇者がそう言ってもアケィラは何もせずに教室から逃げ出した。
その時、果たして勇者やクラスメイト達は本当に『協力』を求めていたのだろうか。
アケィラの能力を『利用』したかっただけではないのか。
「こいつはそれじゃあ皆が成長しないと思って、わざと距離を置いたんだよ」
「……なんてことだ」
だとすると、あの時純粋に協力したいと思って声をかけたのであれば、聞き入れてもらえたのだろうか。てっきりやる気が無いだけなのかと思っていたのは、自分達が彼をそうさせてしまっただけなのか。
「嘘よ!もしそいつが本当は良い奴だったなら、どうしてあの時もあの時もあの時も助けてくれなかったのよ!」
静かにしろと言われているのに、思わずイナニュワが叫んでしまうが、アケィラに変化は無くセーフだったようだ。
「はは、助けてくれなかった、か。お前達、本当に自分達の力で全部解決したと思ってるのか?」
「え?」
冒険者学校では様々な事件があった。
その中には命を失いかねないものもあり、勇者は必死にそれらを乗り越えて来た。
だがアケィラはそのいずれにも参加せず、逃げて、安全なところで好き勝手していた。
そのことがクラスメイトと溝を作る理由の一つでもあったのだが、カミーラはそうではないと言う。
彼女の言葉を聞いて、勇者は何かが腑に落ちたような気がした。
「何かが変だとは思っていた。あまりにも都合が良すぎる。あまりにも上手く行きすぎるって。なるほど、裏でアケィラ君がサポートしてくれてたんだね」
あらゆる人が勇者のおかげで解決したと妄信する中、当の本人だけは違和感を得ていたのだ。勇者だからという便利な言葉で縛られない唯一の人物であるからこそ、物事の真実に気付きかけていた。
だがその妄信から抜け出せないイナニュワはどうしても信じられない。
「う、嘘よ!そんなはずは!」
「お前が嘘だと思うのは自由だ。でもこれは事実さ」
「いいえ、あり得ない。だってもしそれが本当なら、そして貴方が気付いていたのなら、喜んで言いふらしていたはずだもの!」
アケィラ派であるカミーラなら喜んで喧伝するはずだ。それをしないということは、当時アケィラが何もしなかった証である。そのこともまた、イナニュワがアケィラが何もしてないと信じる理由の一つだったのだ。
「そんなの決まってるじゃないか。アケィラから絶対に言うなと口止め…………あ」
途端にカミーラの顔から血の気が失せた。
いつも通り、彼女はやらかしてしまったのだ。
ミュゼスゥよりも真っ青になってしまった彼女は慌てて願う。
「い、今のは聞かなかったことにしてくれ!頼む!」
頼むも何も、目の前に本人がいるのだが。
アケィラが集中していて聞いてないことを祈るばかりである。
彼女の慌てふためく様子から、イナニュワは彼女の言葉が真実であると理解せざるを得なかった。
「そ、そんな……」
感謝と後悔と、複雑な想いに駆られる勇者。
受け入れがたい事実を受け止め切れないイナニュワ。
何を考えているか分からず微動だにしないイゼ。
やらかしてしまったことで動揺しまくっているカミーラ。
場が混乱する中、ついにアケィラの口が開いた。
「分かった」
その瞬間、全員が一斉に彼の方を向いた。
長い長い調査の結果、一体何が分かったと言うのか。
全員が固唾を飲んで事の成り行きを見守っていると、突然アケィラの胸元が光り出し、魔力が溢れ出てきた。
「な!?」
「これは!?」
勇者とイナニュワがあまりに膨大な魔力量に声を出して驚く中、その魔力が一斉に呪いに向かって流れ込む。
ピシリ。
ピシリ。
それは本来であれば聞こえる筈の無い音。
解呪スキルは静かにことを成し遂げるものだ。
だが今回の呪いがあまりにも強固であり、そしてアケィラが強引に解そうとしているからか。
ピシリ。
ピシリ。
まるで呪いが苦しみ悲鳴をあげているかのような、そんな音が部屋の中に響き出す。
そして。
ピシピシピシピシッ!
「解錠、完了」
その言葉の直後、ガラスが割れるかのような大きな音と共に、ミュゼスゥに纏った巨大な呪いが霧散したのであった。
解呪直後、ミュゼスゥの身体がぐらりと揺れ、倒れそうになる。
「ミュゼ!」
勇者が慌てて駆け寄り、彼女を抱き留める。
「ミュゼ!ミュゼ!」
本当に解呪されたのであれば、いつも通りに話しかけてくれるはず。
そう信じて彼女に声をかけたのだが、勇者にかけられたのは望んでいたのとは別の声だった。
「馬鹿野郎。寝てるんだから起こすなよ」
「え?」
冷静に改めてミュゼスゥを見ると、確かにすぅすぅと可愛らしい寝息を立てて眠っていた。
本能が封印されていて眠ることもできなかったはずだが、しっかりと眠れている。それはつまり呪いが解けたという証なのでは無いか。
「ふわぁあ、たっぷり眠らせてやれ」
そう言いながらアケィラもまた眠そうに立ち上がり、店舗の奥にある自室へと向かった。
「俺も寝る。後は好きにしろ。金目の物なんて置いてないから鍵もしなくて良い」
感謝の言葉のやりとりも、報酬についての相談も受け付けない。
俺は今すぐにでも寝るから邪魔をするなと言わんばかりの不機嫌オーラを振りまき、何年も溜め続けたけれど空になってしまった魔力タンクのペンダントを胸元から外して放り投げ、一仕事終えたアケィラは騒がしい人々を置いてその場から去ってしまった。
「あ~あ、今日もキレイなお姉ちゃんと遊べなかったな」
最後に小さくそんな言葉をつぶやいた彼の顔は言葉の意味とは裏腹に充実感に満ちたものだったのだが、レアなその表情を誰も見られなかった。
 




