8. ルカとシェーンとお茶会
学院のカフェにはテラス席がある。
一番奥の広い席にシェーンがいた。
「いらっしゃい、リリム。具合が悪かったって聞いたけど、平気なの?」
席に着いたルカとリリムに、シェーンが紅茶を淹れてくれた。
「昨晩、たっぷり寝たから平気だ。カデルにもそう言ったんだが、練習は中止といわれた。残念だ。……いただきます」
香りを楽しんで、一口含む。
こちらの世界の紅茶も、前の世界と同じようだ。
ただ、前より自分自身が、紅茶を好きだと感じる。
「そうれは、そうだろうね」
シェーンが遠慮がちに笑った。
「リリムに無理させて、また頭でも打ったら、前のリリムに戻っちゃうかもしれないもんね。不安にもなるよね」
ルカがあっけらかんと笑う。
その通りな話をカデル自身がしていたから、大正解だ。
「ルカは相変わらずはっきり言い過ぎだねぇ。リリム、気にしないでね」
「はっきり言った方が、分かり易くていいでしょ? 今更、遠慮しても詰まんないよ。僕はリリムが変わる前から、こんなだよ。覚えてないだろうけど」
シェーンとルカをぼんやりと眺める。
(小説の中でも、この二人は一緒にいるシーンが多かったな。性格も、概ね小説通りだ)
可愛い顔と性格ながら毒舌なルカと、はんなり優し気なシェーンは、物語の中ではサブキャラだ。
二人とも『五感の護り』でありながら、登場頻度はさほど高くない。
絶妙なタイミングで救いの手を入れてくれるキャラ二人だ。
小説の中でも、リリムに対して一定の距離感で、普通に接していた。
ルカが土属性でシェーンが風属性の魔術師というのも、関係あるのかもしれない。
土と風は闇属性と、魔法属性の性質的に馴染みが深い。
(カデルとフェリムは、小説と少し印象が違うからな)
カデルとフェリムは、小説の中でリリムを毛嫌いする二人だ。
カデルはリリムを雑に扱うし、フェリムはもっと冷たい。
何より、関わりたがらない。
(この二週間で多少、関わりがあったせいもあるだろうけど。二人とも好意的になった。まるで主人公に向けるような態度に変わった)
この小説はBL小説だから、主人公カロン=ラインのハーレム状態になる。その中でカロンはレアンを種に選ぶ。
つまり、主要登場人物全員が、カロンが大好きなわけだ。
(更に言うと、全員がリリムが嫌い。という構図だった)
現状、リリムはそう嫌われてもいなそうだ。
この展開が正しいのか、わからないが。
(なるようになるだろう。僕は小説の設定通りのリリムになる気がないから、多少、展開が変わるのは仕方あるまい)
この時のリリム夜神の認識は、この程度だった。
「ルカとシェーンが素でいてくれるなら、僕は嬉しい。今の僕が皆に迷惑をかけていなければいいと思う。そういうのを教えてもらえるのは、助かる」
シェーンの表情が軽く固まった。
「やっぱり別人~。前のリリムなら他人なんか気にしなかったよねぇ。むしろ相手が自分に気を遣って当たり前的な?」
「ルカ、言い過ぎだって。リリムは前の自分を覚えていないんだから」
シェーンが戸惑いながらルカを止めている。
「いや、いい。そう言う話が聞きたい。知らなければ直せない」
小説を読んでいるから知らないわけでもないのだが、小説には書かれていないリリムの実態は把握しておきたい。
シェーンが地味に目を見開いている。
こういう発言が意外がられるのは、そろそろ慣れてきた。
「フェリムが言っていた通りだね。昔のリリムに戻ったみたいだ」
シェーンが、クスリと笑んだ。
少しだけ嬉しそうに見える。
「シェーンも、昔の……、幼い頃の僕を知っているのか?」
「よく知っているよ。特に俺は魔法属性が風だから、闇属性のヴァンベルム家とは家絡みの付き合いがあるからね。いわゆる、幼馴染ってやつ。それも、忘れちゃった?」
リリム夜神は頭の中を検索した。
(シェーン=ルドニシアは王族ファクタミリア家と血縁で、レアンたちの従兄弟だ。リリムの幼馴染なんて設定、あっただろうか)
少なくとも、読んでいた中にそんな記述はなかった。
(フェリムの話もそうだが、シェーンとの関係も、この世界独自の設定……、いや。設定じゃない、関係性だ。リリムは登場人物じゃなく、この世界の住人だ)
改めて、当たり前の事実に気が付いた。
この世界で生きている人間なら、小説の文章に書ききれない関係性が存在して然るべきだ。
特にリリムは悪役で、シェーンは登場頻度が少ないサブキャラだ。語られないエピソードがあっても、おかしくない。
「すまない、思い出せ、ない。けど、フェリムのことも、話していて思い出した。だから、きっかけがあれば、思い出せるかもしれない」
リリムの顔を眺めていたルカが、意外そうに呆けた。
逆にシェーンが小さく笑んだ。
「そんなに必死に謝らなくても、怒ってないよ。子供の頃はね、俺とフェリムとリリムは、歳が近くて、いつも一緒だったんだ。だからフェリムがリリムをヒーローって呼ぶ気持ち、俺にはわかるんだよ。今のリリムが昔に戻ったみたいって、感じる気持ちもね」
シェーンが懐かしそうに語る。
それが何故か、切なく感じた。
「そんな風に、思ってくれるのに、僕は何も、思い出せないんだな」
気持ちがしょんぼりして、顔が俯く。
ルカが、リリムの口にマカロンを突っ込んだ。
驚いて顔を上げる。
小悪魔なルカが、悪戯に笑んだ。
「リリム、マカロン好きだったよね」
「ほう、はほふぁ?」
もぐもぐしながら首を傾げる。
とても美味しいマカロンだ。
「ん、美味しい。僕はマカロン、好きらしい」
ルカとシェーンが可笑しそうに笑った。
「前のリリムだったら、こんな事したら、めちゃくちゃ怒ったよ。父上に言付けて牢にぶち込んでやるってさ」
ルカが揶揄い半分で口にしたセリフは、小説に登場するリリムのキメ台詞だ。
小説の中にはよく出てくるが、流石に王族のルカをマカロン如きで牢にぶち込むのは無理だろう。
「美味しいマカロン、食べさせてくれただけで?」
ちょっと不思議に思って首を傾げた。
「いや、そうじゃなくて、勝手に口に突っ込んだやり方がね」
シェーンが呆れ気味に教えてくれた。
「ほら、発想から全然違う。今のリリムって、まるで中身が別の人間になったみたい。それくらい考え方や行動まで、違うよね?」
ドキリとして、思わず口を噤んだ。
ルカの探る眼が確信を突きすぎていて、何も言えない。
「それとも前の横柄で傲慢なリリムが別人だったのかな? だって、シェーンやフェリムが知ってるリリムは、今のリリムみたいだったんでしょ?」
ルカの説明が妙に心に引っかかった。
(前のリリムが別人……。リリムが怠惰で横柄になる、きっかけ……)
「子供の頃のリリムは弱い子を放っておけない正義の人だったけど、中身が入れ替わるは流石に突拍子もないよ」
シェーンが苦笑する。
その突拍子もない現象が、実際に起きたわけだが。
(リリムに生まれ変わった僕が、前世を思い出した代わりに自分の過去を忘れた? 前世を忘れていたから、怠惰だったのか?)
わからな過ぎて混乱する。
「でも、子供の頃はリリムが『神実』なんじゃないかって、ちょっとだけ思ってたよ。それくらい、リリムは俺たちの特別だった」
シェーンが、とんでもない発言をした。
「いや、『神実』は……」
主人公は二週間後にレアンが見付けます、とは言えない。
「もっと素晴らしい人だと、思う」
何となく声が小さくなった。
ルカが突然、リリムの手を握って、くんくんと匂いを嗅いだ。
(何で、匂い……。確か、ルカは『五感の護り』の鼻だ。だけど、今の段階では覚醒していないはず)
レアン以外の『五感の護り』は、『神実』であるカロンが学院に入学して接触してから覚醒する。
「最近のリリムってさ、良い匂いするんだよね。シェーンは感じない?」
軽く酔ったような目で、ルカがリリムを見上げる。
「匂いはよくわからないけど、声を聴くのが心地よいとは思うよ。子供の頃からリリムの声、好きだったけど。最近、あの頃を思い出す声だなって思う」
「声……」
シェーンの発言に、リリム夜神はドキリとした。
(シェーンは『五感の護り』の耳だ。シェーンも覚醒はまだのはずだ。何が、起きているんだ)
百歩譲って覚醒していたとしても、『五感の護り』がリリムに反応するはずがない。
リリムは『神実』ではない。
『神実』を追い詰め、殺そうとする闇堕ちラスボスなのだから。
(小説の展開と違う何かが、起きようとしているのかもしれない)
そこはかとない不安が、リリム夜神の胸にじんわりと芽生えた。
【補足】
登場人物年齢
リリム=ヴァンベルム 17歳
レアン=ファクタミリア 19歳
カデル=ファクタミリア 18歳
ルカ=ファクタミリア 17歳
シェーン=ルドニシア 19歳
フェリム=アートライト 18歳
カロン=ライン 16歳