67. 魔王陥落
メロウが、ぱちんと指を鳴らした。
「拘束は、もういいだろう。受け止めてやれ」
メロウに言われて、カロンはリリムを振り返った。
茨が解けて、光魔法が消え、十字架が溶けた。
リリムの体が、ゆっくりとカロンの腕の中に堕ちてきた。
「リリム、わかる? 意識、ある?」
受け止めたリリムの耳元に問い掛ける。
リリムの腕がカロンの背中に回った。
「僕はちゃんと、ラスボスとしてカロンに倒された? 役割を全うできただろうか」
カロンの肩に顔を預けたまま、リリムが問う。
「主人公パーティが、魔王リリムを倒したよ。リリムは、めちゃめちゃ強くて格好いい闇堕ちラスボスだったよ」
「強くも格好良くも、ない」
リリムが小さく零した。
「カロンが初めて、自分から僕にキスをくれた。嬉しくて僕は……、自分が倒される悪役だって、一瞬、忘れていた」
カロンの顔が、かっと熱くなった。
(そういえば、俺からリリムにキスしたの、初めて、だったかも。今更、恥ずかしい)
今まで何度かリリムとキスしているから麻痺していたが、自分からしたことはなかったかもしれない。
「アメリア様やラスが言う通り、僕は悪役に向いていないのかもな。悪者に集中できない。情けない」
「情けなくないよ。けど……、リムは悪役に向いてないって、俺も思う。それでも、俺の中で一番強くて格好良いラスボスは、リムだけどね」
リリムが、ゆっくりと顔を上げた。
いつもの微笑が昇っていた。
「陽向が認めてくれるなら、笑ってくれるなら、それでいい。それが、僕が目指した、華麗な闇堕ちラスボスだ」
カロンの頬に、リリムが手を添えた。
少しだけぼんやりしたリリムの目がやけに色っぽく蕩けて、ドキリとした。
「ぁ……、あのね、コミカライズ版のリリムは、カロンの味方なんだって。一緒に敵を倒すんだって。リリムは死にキャラじゃないって、夢野先生が教えてくれたんだ」
頬に添えたリリムの手を、カロンは握った。
「なら、これからは悪役令息じゃなくても……、カロンの隣で、カロンの笑顔を守るリリムになっても、いいのか?」
「俺はそんなリリムに隣りにいて欲しいよ。俺も、リリムの笑った顔、好きだから。隣でリリムの笑顔を守りたいよ」
気持ちと一緒に涙が溢れて、リリムの顔が良く見えない。
その笑顔をずっと見ていたいのに、視界がどんどん歪む。
リリムの唇が近付いて、目尻に溜まったカロンの涙を吸い上げた。
「カロンの涙は僕が全部、吸い上げるから。これからは僕がカロンを笑顔にするから。大好きなカロンを、守るから」
「好きって……」
手を握って、指を絡める。
まるで恋人がするように寄り添う今が、恥ずかしくて、擽ったい。
「陽向の笑った顔が好きだ。だから、カロンにも笑っていて欲しい。その為なら僕は、魔王にも天使にもなれる」
「あ……、笑顔の話か」
ホッとしたような、ちょっと残念な気持ちになった。
「温くて優しくて、心地良い。本当は小説なんか、どうでも良くて、この温もりに触れたくて、ずっと……」
「リリ、ム……」
背中に回った腕が、優しくカロンを抱き寄せる。
触れるだけのキスが頬を掠めた。
「……ラスボスは、全うした。だから次は、僕が、カロンを……」
頬に手を添えて、リリムの顔が迫る。
唇が触れそうになって、胸のドキドキが速くなる。
「リム……、今は、ダメ、だよ。皆いるから……」
触れた手から力が抜けた。リリムの顔が、カロンの肩に落ちた。
リリムの体がカロンに凭れて沈み込んだ。
「え?……、リリム? リリム! え? え? どうしたの?」
「カロンを、守れる、魔王、に……」
カロンに抱き付いたまま、リリムが小さく呟いた。
「理想のラスボス全うしたはずなのに、魔王のままなの?」
目を瞑ったリリムから、寝息が聞こえた。
カロンの体に腕を絡ませたまま、スヤスヤ心地良さそうにリリムが寝始めた。
「リリム、完全に寝落ちたね」
覗き込んだシェーンが、リリムの息を確認している。
さっきまでレアンと一緒に皆に回復魔法をかけていたはずなのに、気が付いたら隣にいて、驚いた。
「相当、疲れたんだろうぜ。仕方ねぇよ。怪我もしているしなぁ」
カデルが、リリムの頭を撫でる。
どうやら、リリムと話しているうちに治療は終わったらしい。
「疲れて当然だよ。僕ら六人とメロウまで相手にしたんだよ」
「その前に、戦闘とは別の疲れるコトを、たくさんしていますしね」
ルカに続いて、フェリムがぽそりと零した。
フェリムの視線から逃げるように、レアンがさりげなく目を逸らした。
「私が治癒魔法をかけておこう。横にする? それともカロンが抱いたままで、いいかい?」
「えっ? レアン、何言ってんの? 俺がリリムを抱いてて、いいの?」
思わず驚きの声が漏れた。
独占欲強めで嫉妬深いレアンらしからぬ言葉に、怯える。
「今日だけだよ。最後にちゃんと頑張ったカロンへの、私なりの譲歩だよ。作戦とはいえキスは濃厚すぎたから、明日以降は奪い返さないとね」
皮膚より粘膜のほうが吸収が早いから、なるべく多い量の軟膏を舌に塗り込めと提案したのはレアンだ。
『この一度だけは、カロンに譲るよ。その代わり失敗したら、リリムは私がもらうからね』
そう話したレアンは迫力があり過ぎて怖かった。
だから今は、レアンらしい言葉に、かえって安心した。
「良かった、レアンだった。また何か憑いてるのかと思った。御褒美とかじゃなくて譲歩なのが、如何にもレアンらしくて安心する」
安心しすぎて、いつもなら言わない心の声まで言葉になった。
「それは、褒め言葉かな? カロンも段々、私を理解できてきたね」
顎を持ち挙げられて、ちょっとドキッとした。
「俺、レアンなら割と知ってるよ。リリムに会うまでは、レアンが最推しだったんだ」
知っているのは、この世界のレアンではなく、小説の中の純白王子レアンだが。
レアンが、少しだけ驚いた顔をした。
「最推し、とは、私が一番好きだった、という意味かい? 憧れていたって話は、本当だったのかい?」
「そうだよ。けど、今の一番はリリムだから」
眠るリリムの体を、ぐっと抱き寄せる。
「レアンには、あげないよ」
べっ、と舌を出して見せた。
「私もリリムに出会っていなかったら、きっとカロンに恋をしたよ。気が合うね」
レアンが微笑んだ。
その表情の真意がわからなくて、困惑する。
「明日からは、リリムを奪い合うライバルとして、仲良くしよう」
リリムに治癒魔法をかけながら、レアンが嬉しそうな顔をする。
「二人がライバル争いしているうちに、俺がリリムを奪おっかなぁ」
シェーンがさりげなく寄って、リリムに回復魔法をかけ始めた。
「カロンみたいな子、レアンは好きでしょ? 二人でイチャイチャしていて、いいよ?」
シェーンの言葉が明らかにレアンを煽っている。
レアンが、むっすりとシェーンを睨んだ。
外面が良いレアンにしては、珍しい表情だ。
「カロンはお気に入りだけど、私が愛しているのはリリムだけだよ。シェーンにだけは絶対に渡さない」
シェーンが笑いを噛み殺す。
何となく、シェーンがレアンを揶揄って遊んでいるようにも見える。
(なんか、意外かも。レアンはシェーン相手だと、ちょっと子供っぽいんだ)
可笑しくなって、笑いが零れた。
「なんだい? カロン。お気に入り相手なら、私は本気を出すよ」
「うん、いいよ。レアンもシェーンも蹴散らして、俺がリリムを貰うから」
この世界の皆は、小説のキャラたちとは違う。
最初は戸惑ったし、残念だった現実が、今は心地良いと感じる。
「いいねぇ、その気概。如何にもレアンが好きそう」
「シェーンだって、カロンみたいな子が好きだろう」
「好きだよ。魔法訓練している時も、楽しかったな」
レアンに振られて、シェーンがあっさり肯定した。
冥界に来る前の一週間を思い出して、げんなりする。
「あれ、訓練ていうか、もはやシゴキだったよね」
クスクス笑って、レアンがカロンに提案した。
「次は私と治癒魔法の訓練をしよう。私はシェーンのように乱暴な教え方はしないよ。手取り足取り、優しく教えてあげようね」
「嫌な予感しかしねぇんだけど」
レアンの訓練は絶対に優しくない。
けれど、一緒に訓練できるなら、楽しみでもある。
何より、レアンやシェーンと憎まれ口を叩き合っている今が、楽しかった。
腕の中で眠るリリムの呼吸が、ゆっくりになっていく。
体の傷が癒えているのだと思えて、安堵した。
「早く皆で、地上に戻ろうね、リリム」
リリムの髪に口付けて、カロンはその体を優しく包み込んだ。




