6. フェリムと仲直り
誰かが目の前で笑っている。
とても楽しそうで、その顔を見ているだけで、楽しかった。
彼が興味を持っている小説を、読んでみたかった。
共通の話題があって、話ができるのが嬉しかった。
あの笑顔と名前を思い出したいのに、どうしてか、思い出せない。
ゆっくり目を開ける。
その天井は、最近見慣れた寮の部屋だ。
どうやら、自分のベッドで寝ていたらしい。
「リリム! 目が覚めましたか」
ベッドサイドには、フェリムがいた。
何故か、泣きそうな顔をしている。
「僕は……、どうして、ここに?」
頭がぼんやりして、記憶が曖昧だ。
「カフェの個室で勉強しようと話をしていたら、気を失って倒れたんです。レアン皇子が部屋まで運んでくれたんですよ」
フェリムの説明で、少しずつ思い出した。
「フェリムは、僕が目を覚ますまで、付いていてくれたのか?」
手を持ち上げようとして、気が付いた。
フェリムがリリムの手を握っている。
「……子供の頃の記憶まで、失くしてしまったんですか?」
フェリムが俯いた。
(失くしたというより、知らない。フェリムとリリムの幼少期は、小説になかった)
「……ごめん」
知らないとは言えない。
流れた謝罪は、子供っぽい言葉になった。
「リリムが言っていた通り、子供の頃から私はリリムの子分で、ずっと虐められていました。成長してもその関係は変わらなくて、私から距離を取るようになりました。私は、リリムが大嫌いです」
俯いたフェリムの顔が悔しそうに歪む。
フェリムが話してくれたのは、小説には書かれていなかった、この世界のリアルだ。
(僕が知らない事実でも、今のリリムが僕である以上、責任は僕が取るべきだ)
今後の行動で、フェリムに謝罪するしかない。
「今まで、ごめん。僕はもう、フェリムに近付かな……いっ!」
フェリムが、握ったリリムの手をぐっと引き寄せた。
勢いで、上体が起きた。
「昔のリリムは誰よりも強くて格好良い、私のヒーローでした。格好良いリリムの子分でいるのは、嬉しかったし誇りだった。でも、ある日を境にリリムは自堕落で傲慢な、ダメな人間の代表みたいになった。そんなリリムが大っ嫌いなんです!」
酷い言われようだなと思う。
しかし、夜神が知っている小説の中のリリムは、フェリムが大嫌いだと話したリリムだ。
強くて格好良いヒーローみたいなリリムは、小説の何処にも登場しない。
(だから僕はリリムが嫌いだ。だけどもし、フェリムが言うように、昔は格好良かったんだとしたら。そんなリリムが、この世界にはいたんだとしたら)
リリム夜神は起き上がって、フェリムの手を握り直した。
「僕は、格好良い僕になりたい。だから、これから努力したい。格好良くなったら、フェリムは子分じゃなくて、僕の友人になってくれるだろうか」
フェリムが、ぽかんと口を開けた。
「今更かもしれないし、僕がなりたいのはヒーローではないから、フェリムが好きだったリリムになれるかは、わからないんだが」
不安な気持ちでフェリムを眺める。
フェリムの目が涙でいっぱいに潤んだ。
「ヒーローじゃなくたって、昔の格好良いリリムに戻ってくれるなら、友人になりたい。泣いてる私の手を握ってくれた頃みたいに、友人でいたいです」
ぼろっと涙をこぼして、フェリムが頷いた。
「じゃぁ、また僕に勉強を教えてくれ。僕が知らない……、忘れている昔の話も沢山、聞かせて欲しい」
頷くフェリムの涙を拭う。
拭っても拭っても流れるから、両手で頬を包む形になった。
「まるで昔のリリムみたい。子供の頃も、私が泣くと、こんな風に涙を拭ってくれたんですよ」
フェリムの声が、脳に響いた。
知らないはずの記憶が頭の中に像を結ぶ。
転んで泣いているフェリムをリリムが起こして、涙を拭ってやっている。
「僕より年上なのに、泣くなよ。フェリムは弱くて、泣き虫だな」
そう言って笑うリリムは、決してフェリムを嫌っていなかった。
頭の中に浮かんだ言葉が、口を吐いて流れた。
「リリム、思い出したんですか?」
フェリムが目を見開く。
「いや……、頭の中に一瞬、浮かんだだけで。フェリムが転んで泣いている姿が。ごめん、それだけだ」
これはきっと、リリム本人の記憶なんだろうと思った。
(本人の、記憶? リリムという別の人間の? 違う、これは僕の……、いや、そんなわけは……)
まるで前世の記憶を思い出したような錯覚に陥った。
(もしかして僕は、最初からリリムなのか……?)
日本の高校生だった自分が前世で、リリム=ヴァンベルムこそが今の人生なのかもしれない。
(だとしたら、『魅惑の果実』は? 小説は? あの世界こそが僕が生きている世界だったのか?)
頭の中が混乱して、ぐらぐらする。
「リリム? まだ調子が悪いのですか?」
フェリムが心配そうに覗き込む。
「あぁ、まだ、頭がくらくらして……。すまない、横になる」
フェリムが体を支えてくれて、リリムはベッドに横になった。
「ゆっくり休んで、元気になったら、勉強、再開しましょう」
リリムに向いたフェリムの顔が、初めて微笑んだ。
その笑顔を見たら安心して、リリムは眠りに落ちた。