58. 嫌いのきっかけ
「全然良くないですよ。どうにかしないと、私が殺しそうです」
倒れていたフェリムが、むっくりと起き上がった。
重症っぽかったのに、元気そうだ。
悪魔の意見を殺意で全否定する気力がある。
「フェリム、怪我は大丈夫なの? てか、フェリムはリリムの魅了、効果ないの?」
フェリムの目にも薄らとハートが浮いてみえる。
なのに、目は蕩けていない。
「怪我はシェーンの回復魔法で何とか大丈夫です。リリムに食らいつきたい欲はありますが、我を忘れるほどではありません。リリムに吸い付いている全員、殺したい衝動のほうが強いです」
いつものフェリムだと思った。
苦々しい顔をしながら、顔を赤らめている。
リリムへの普遍の愛と俗物への殺意が、魅了の術を抑え込んでいるようだ。
ある意味、悟りだなと思った。
「フェリムは冥界に来てから毎日、口移しでリリムに濃厚な魔力を貰ってたから、耐性が付いてるのかもねぇ」
ラスがムフフと笑ってカロンを眺めた。
良かったと思うべきなのだろうが、安心できない情報だ。
「リリムが可愛く犯されてるお陰で、抑え込まれているはずのレアンの魂が動き始めてる。カロンも、よく見てみなよ」
ラスに促されて、カロンは目を凝らした。
メロウと思われる魂が絡まった内側に、闇の膜がある。闇に守られた魂が、強い光を放って見えた。
「あの内側のが、レアンの魂? ピカピカしてんのは、興奮してんの?」
「そうそう。リリムが自分だけを無条件に愛してくれるとか、レアン的には美味しいシチュじゃん? 興奮しないわけないよねぇ」
カロン的には、苦々しい。
全く歓迎できないシチュだ。
「第一皇子、俗物だね」
「レアン皇子は元から、そういう人です。隠すのがお上手なだけです」
フェリムが、ぴしゃりと言い切った。
「メロウの魂も俗っぽく興奮してて、面白い。アメリアを殺すとか世界の消滅とか、頭から抜けてんじゃないかなぁ。リリムの魅了、強いねぇ」
悪魔が悪魔っぽい顔で笑っている。
何が面白いのかわからない。
「ラスのツボが理解できねぇんだけど。何が面白いの?」
「感心してるんだよ。普通は大天使が『魔実』の魅了にやられるなんて、ないよ。憑依元のレアンの影響を多少なりと受けたとしても、普通は弾くよ」
「まぁ、あの顔は完全にリリムの魅了にやられてるよな」
リリムを後ろから抱くレアンの目には、さっきより濃いハートが浮いている。明らかにリリムを貪る行為に没頭している。
大天使まで虜にするのだから、リリムの魅了は確かに強い。
「いっそ、このままリリムがメロウを魅了し続けてたらいいんじゃないかなぁ」
「それは駄目です。あの状態が続いたら、私は何をするかわかりません」
フェリムが魔法の杖を構えた。
殺る気満々の姿勢だ。
「魅了中は世界を消滅させるの、忘れてるかもだけどさ。メロウを殺さないと、アメリア様の幽閉は解けないんだろ?」
女神を幽閉している時点で、メロウは遠からず神界に断罪される。
放置しても神界が何とかしてくれるかもしれないが。
心情的に、このままにはできない。
(ていうか、リリムをこのままにはできない。フェリムじゃないけど、俺だって何するかわからない)
「まぁ、命の鎖だからねぇ。メロウの命が尽きないと、アメリアの封印は解けないよね」
「改めて聞くと、怖いよな。命懸けの封印。そこまでして、アメリア様を殺したいのかな」
「アメリアを殺したいというか、この世界を消したいんだろうけどね」
この世界の消滅は、メロウ本人の野望でもあるのだろうが。
虫食いが巣食う心が、そうさせているのかもしれない。
カロンの頭に原作者の言葉が浮かんだ。
『嫌いだからだよ。この世界が嫌いだから。私が作った世界を崩そうとする輩は全員滅べばいい。何なら世界ごと滅べばいい。そういう気持ちをメロウに込めた』
原作者の設定では、虫食いが巣食う前から、メロウはこの世界が嫌いだ。
「メロウがこの世界を嫌いになったきっかけって、消滅させたい理由って、なんだろう」
周到で計算高く、自己顕示欲強めなクズ。その実は臆病な大天使が、世界を消したいと思った動機とは、何だったんだろうか。
カロンの呟きに、ラスがちらりと目を向けた。
「とにかく、このままで、いいはずがありません。カロン、早くメロウを殺しましょう。でないと、あの場にいるリリム以外全員を殺しそうです」
フェリムが魔法の杖を構えた。
本当にあの場にいる全員を殺しそうな目だ。
「待って、フェリム、落ち着いて。メロウを倒すにしても、この状況でどうしたらいいのか」
リリムに三人が張り付いている上に、当のメロウはリリムを抱きかかえて、後ろ側にいる。
普通の攻撃をすれば当然、リリムが負傷する。
レアンの体を使っている以上、攻撃すればレアンも同時に負傷する。
壁が厚すぎる。
「リリムに動いてもらうしかないか。天使の核さえ壊せれば、魂は同時に消滅する。レアンじゃなくて、リリムだけ狙えばいいけど。リリムを殺さないでメロウの核だけを壊す方法が、カロンにはあるんだよね」
ラスに問われて、カロンは軟膏を見せた。
「これ、アメリア様の使者がくれた、異物を殺す軟膏だ。これを使って天使の核をリリムから引き摺り出せれば、核だけ壊してリリムを救える、はず」
虫食いの説明はしづらいので、省略した。
「ふぅん。もしかしてだけど、その軟膏、皆に塗ってあげたり、した?」
「え? うん。訓練室で、シェーンやカデルやルカに、塗ったよ」
ラスがリリムに目を向けた。
釣られてカロンも目を向ける。
「さっきからシェーンがリリムの服を捲ってキスしたり、カデルがリリムの腹を撫でたり、ルカが肌を舐めたりするたびに、リリムの中の天使の核が弱ってるんだよね」
いつの間にかリリムのシャツが開けて、ズボンが半端に降ろされている。
かろうじて下着が無事だが、体幹がほぼ裸だ。
全部脱がずに腕や足に服が絡まっている姿が、余計にエロい。
「ちょっと待って、いつの間にあんなに開けてんの? そもそも魔王なら鎧とかもっと重装備でいいんじゃないの? 竜に乗って冥界に行った時のリリム、魔王っぽい鎧みたいの、着てたよね?」
ラスを掴んで、わしわし揺さぶる。
「今日も魔王様の装いでした。レアンが剥ぎ取ったのでしょう。正気に戻る前に、一度本気でぶん殴りたいですね。一緒に暮らしていた私だって、添い寝で我慢したのに、許せない」
フェリムが拳を握り締めた。
もはや皇子という敬称すらなくなっている。
無表情が逆に怖い。
「添い寝は、してたんだ」
「添い寝だけです。寝ている時に頬にキスした程度です。本人は気が付いていません」
堂々と夜這いしましたと自白された気分だ。
フェリムにとっては幸せな冥界生活だったんだろうなと思った。
「いや、今はそうじゃない。えっと、何の話してたっけ……、そう、軟膏。もしかして、皆に塗った軟膏のせいで、天使の核が弱まってんのかな」
正確には天使の核に巣食っているはずの虫食いが弱っているのだろう。
天使の核と虫食いは連動していると考えて良さそうだ。
「その塗り薬を使うとして、あの場所からリリムを動かさないとだよねぇ。できればレアンからも離したいけど。レアン大好きな今のリリムは離れないだろうなぁ」
ラスがムフっと笑った。
ちょっと悪い顔だ。
フェリムの顔に殺意が浮いた。
「レアンを殺せばいいですね。頭をかち割るなら、私の水魔法で、この場所からでも」
「待って! フェリム! ダメだから! レアンは王位継承権を持つ第一皇子だから!」
カロンはフェリムに抱き付いて動きを封じた。




