55. メロウの正体②
後ろから、水の矢が飛んできた。
レアンが軽く避けた。
「離れなさい、悪漢! お前にリリムは渡さない!」
息を荒くしたフェリムが、レアンに向かって攻撃を仕掛けた。
「悪漢なんて、酷いな。つい最近まで、レアン皇子って呼んでくれていたじゃないか、フェリム」
レアンが、いつものように笑む。
その顔は外向けの、無害な王子様の笑顔だ。
「お前はレアン皇子ではない! リリムを奪おうとする大天使メロウ。天使の皮を被った悪魔め。レアン皇子の体を、今すぐに返しなさい!」
何とか後ろを振り返る。
フェリムが傷だらけで、血にまみれていた。
「フェリム、その怪我、誰に……、レアンに……?」
「リリム、その男から離れてください。それは貴方が知るレアン皇子ではありません」
フェリムが水の矢を仕掛ける。
リリムの体を抱えて、レアンが飛び上がった。
「やれやれ、さっきも話しただろう? 私とレアンは同じ存在なんだ。私はずっとレアンの中にいたんだよ。フェリムのことも、よく知っている。私たちは『五感の護り』、仲間だろ?」
「私も先程、同じ答えをしました。お前はレアン皇子ではない、まして仲間などではありません。私の知るレアン皇子は、腹黒でも節度を知る人です。他者の魂を貪る痴れ者ではない!」
水魔法の矢が次々とレアンに飛ぶ。
レアンが神力の結界を展開すると、水の矢が弾けて消えた。
「痴れ者とは、大天使に向かって大層な言い草だ。天使と人の魂の融合なんて、人にとってはこれ以上にない誉じゃないか」
「その発言は天使の存在そのものを汚す言葉です。恥を知りなさい!」
手を止めず、フェリムが水の矢を放つ。
総てレアンの神力の結界に弾かれた。
「無駄だよ、フェリム。水魔法は光魔法に属性が近いんだ。天使である私の神力には、敵わないよ」
レアンの顔でメロウが笑う。
軽く翳した手から、光魔法の矢が飛んだ。
フェリムの腕と足と腹に、鋭く突き刺さった。
「くっ……」
「フェリム……、フェリム!」
フェリムがその場に座り込んだ。
「邪魔をするなら死んでいいよ、フェリム。『五感の護り』は勿体ないけど、神界と事を構える前にアメリアを殺せばいいだけだ。どのみち、短い生だからね」
身を捩って、レアンから離れようと動く。
腰を抱かれて、引き寄せられた。
体がぴたりとくっ付いて、また心臓が大きく跳ねた。
「ぁ……、はっ……んっ」
拍動するたび、体が疼いて、力が抜ける。
レアンに抱き付きたい衝動が湧き上がる。
「体が疼いて、待ちきれないだろう。待たせてすまないね。今すぐ私のリリムにしてあげようね」
「お前は、何故、そうまでして、僕と、レアンを……」
レアンがリリムの体を抱き寄せて、顎を撫でた。
愛おし気な目がリリムを見詰める。
「美しいと思った。闇に塗れるお前と、光に愛された王子。二つの愛を、私の欲を満たすために使おうと思った。その後で、大嫌いなこの世界をゼロより前に戻そうと、ね」
「ゼロより、前に……」
それは女神アメリアが話した、大天使メロウの野望だ。
「何故、壊すんだ。何故、嫌いなんだ」
「何故、か。説明が、難しいな。欲しいと嘆いて拒絶されて諦めようと努力したのに、ダメだと言った当人が横取りしていったら、腹が立つだろう? 殺してやろうと思わないかい?」
「何の、話、だ……?」
困惑するリリムの唇をレアンの指がなぞった。
鳥肌が立つほどゾワゾワして、肌が疼いた。
「この世界に絶望したから、壊そうと思った。アメリアを殺せば、世界は消えてなくなる。アンドラスにも、きっと伝わる」
「ラスに? 何を、伝え……ぁ、ぅん」
顔を掴まれて、無理やりキスされた。
体を押し返そうと思うのに、レアンから離れられない。
体がレアンに吸い付いて、離れない。
(体が、思うように動かない。このままでは、フェリムが……。レアンの体も心も、好きなように使われる。どうにか、しないと)
そう思うのに、レアンの愛撫を拒否できない。
頭の芯が熱くなって、思考が鈍ってくる。
リリムはなけなしの意識で、体の奥に集中した。
(魔性の実に天使の核が隠されているのなら、『魔実』を弾き出せば、核も壊せるかもしれない)
『魔実』は体外に出ると壊れて再現できないと、アンドラスが話していた。
アンドラスと初めて話した時のように、魔力を集中して、魔性の実を体の外に弾き出す。
レアンの手が、リリムの腹に触れた。
「自分の意志で『魔実』を弾き出せるとは、素晴らしいね。でも、それでいいのかな。今、天使の核を壊したら、レアンが死ぬよ。リリムは、レアンを殺して平気なのかい?」
「レアン、が……。んっ」
唇を塞がれて、神力を流し込まれた。
頭の芯がさっきより熱くなって、何も考えられない。
「先ほども話したね。リリムを差し出せば、レアンを返してもいい。素直に天使の核を受け入れて。核が『魔実』に馴染んだら、私の魂を注いであげよう。リリムは天使の力を有する魔王になれるよ」
レアンの提案が頭の中に流れ込んでくる。
一粒の思考力が、全力で拒絶する。
「いやだ、お前は、いらない。僕は、僕のまま……んんっ」
何度も繰り返す口付けと、流される神力で、体が熱い。
「困ったね。体はこんなに私を欲しがって止まないのに、頑固な魂だ。リリムが素直になれないなら、レアンに協力してもらうしかないね。魂を食い潰して、レアンと同化しよう」
フルフルと首を振りながら、レアンの胸を押す。
「それとも、別の魂が良いのかな? 今となっては、リリムはレアンよりカロンがお好みのようだからね。同じように神に愛された特別だ。『魔実』の相手には『神実』が相応しいかな」
レアンがニタリと笑んだ。
その笑みはレアンのそれではない。こんな笑い方をするレアンは、知らない。
「カロンの魂を食い潰せば、リリムは私を受け入れてくれるのだろうか? カロンの魂にはリリムの闇魔法の結界が施されていない。無防備な魂は、さぞかし喰いやすいだろうね」
レアンの指が顎を摩って、耳をなぞる。
ゾワゾワして、快感が背筋を駆け上がった。
(カロン……、陽向が、喰われる。僕がメロウを受け入れないと、陽向の笑顔が、守れない)
リリムは『魔実』を腹の中に留めた。
レアンの手が、リリムの腹を満足そうに撫でた。
「良い子だね、リリム。私の命じた通りにしていれば、レアンにもカロンにも手を出さないと約束しよう。アメリアを殺すその時まで、本人のままでいさせてあげるよ」
レアンの唇がリリムの唇を封じた。
やけに気持ちが善くて、離れる気になれない。
神力が流れ込んで、もっと欲しくなる。
(僕は、闇堕ちラスボスだから、カロン……。僕がどうなっても、最後はカロンが、倒してくれる。……陽向…………)
意識が堕ちていく。考えられない頭の中が快楽でいっぱいになる。
我慢できない唇がレアンの唇を貪った。
レアンの腕が嬉しそうにリリムを抱いた。
「ふふ、はは。レアンがとても嬉しそうだ。自分から私に溶けたいと望んだら、叶えてあげようね。メロウの魂にレアンが溶ければ、リリムの核と一つになれる。これ以上に気持ちの善い交わりはないよ。ねぇ、レアン、リリム」
レアンがリリムに、更に神力を流し込む。
気持ちが善くて、体がビクビクと波打った。
「リリムはレアンだけを愛していればいい。一つになりたいと願う、それだけでいい。レアンと気持ち良くなる行為だけが、リリムの喜びだ。そうだね?」
重なった唇から舌が入り込んで、口が閉じられない。
絡まる舌から濃い神力が流れ込んで、体がどんどん熱くなる。
ぴたりとくっ付いた腹が、熱を増す。核が反応しているとわかった。
(気持ちいい……、こんなに気持ち良くなれるなんて、幸せだ。レアンに愛されて、しあわせ……)
ただ素直に頷いて、自分から唇を押し付ける。
レアンの言葉だけを信じていればいい。それだけでいいと、脳に刻まれた。
無意識に腕が伸びて、レアンを抱き返した。
「もっと、レアン……、もっと、愛して。僕を、愛して」
「愛してあげるよ。離れる気すら起きない程に。だから、リリムも私を愛して。私の言葉だけに従うリリムになるんだよ」
「レアンに従う。レアンだけを、愛してる。この世界が、終わっても、レアンを愛し続ける」
重なるレアンの口端が、上がった。
「やっと、手に入れた。ずっと欲しかった、光と闇に愛される特別、私のリリム」
愛おしそうにリリムを見つめるレアンの瞳の中に、自分が映り込んだ。
蕩けた顔で愛を乞う自分の姿が、いつの間にか見えなくなった。




