5. フェリムとお勉強
カデルと剣の手合わせを初めて十日ほどが経った。
ようやく体が馴染んで、余裕が出てきたので、フェリムに勉強に付き合ってほしいと願い出た。今日で二日目になる。
手合わせの後、リリム夜神はカフェテリアにいた。
学院のカフェには少人数で使える個室がある。
昨日は図書室で勉強していた。質問したい事柄が多くてたくさん話したから、きっと周囲の人たちはうるさかったろうと思う。
それで今日は邪魔にならないよう、カフェの個室を借りた。
「個室を借りる手配を自分でするなんて、熱でもあるのですか、リリム」
慌てた顔をするフェリムに、リリム夜神は首を傾げた。
「個室の借り方はカフェテリアの職員が教えてくれた。昨日のようにたくさん話しては周囲に迷惑をかけるから、個室がいいと思ったが、ダメだったか?」
フェリムが、とても怪訝な顔をした。
「いつもなら私に押さえておけと命じる所でしょう。そもそも、リリムが周囲に配慮するなんて、天変地異の前触れですよ」
フェリムが頭を抱えている。
なるほど、そういう意味だったかと理解した。
カデルにも散々、別人と疑われた。一週間かけてやっと馴染んでくれた感じだ。
どうしたものかと悩む。
いっそ、小説の中のリリム像を貫けば面倒はないのだろうが。
(僕には無理だ。小説の中のリリムのようには振舞えない。僕とは性格が違い過ぎるし、何より僕はリリムの性格が嫌いだ)
困った心持で顔を上げると、フェリムの後ろでレアンが手を振っていた。
「どうしたんだい? もしかして、前に話していた勉強会かな?」
レアンが、にこやかに声を掛けた。
「昨日は図書室でしていたよね。とても熱心だったから、声を掛けなかったんだけど」
「声を掛けてくれたほうが良かったですよ、レアン皇子」
フェリムが迷惑そうな顔で零した。
どうもフェリムは、他の皆以上にリリムが嫌いらしい。
(小説を読んだ印象では、カデルが一番、リリムを毛嫌いしているように感じたが。フェリムは表に出さなかっただけか)
魔法属性から考えても、フェリムは闇属性が苦手なのかもしれない。
自然属性の中でも火と水は光属性に性質が近く、闇属性を嫌う者もある。逆に土や風は闇属性に性質が近いので、相性がいい。
カデルは火属性で、フェリムは水属性の魔術師だ。
これだけ顔に出すのだから、フェリムはリリムが相当嫌いなのだろう。
嫌いな相手に無理に付き合わせるのも悪い。
「付き合わせて、すまない、フェリム。勉強は一人でもできるから、今日はもう……」
フェリムが大変、微妙な顔をするので、思わず言葉を止めた。
(断ったら断ったで、何をされるかわからない、と思っていそうな顔だ。何とも厄介な性格の人物だな、リリム。どうしたものか)
フェリムとリリムを見兼ねたのか、レアンが口を開いた。
「なら、私が一緒に教えようか? リリムは魔法についても勉強し直したいと話していただろう。ちょうどいいよ」
フェリムが救いの眼差しをレアンに向けている。
その提案は、リリム夜神としても有難い。
「ありがとう、レアン。とても助かる」
素直に礼を言ったら、フェリムが怖気るような顔をした。
それを眺めて、レアンが笑う。
「フェリム、そういう顔はリリムに失礼だよ」
「……すみません。驚きが多すぎて脳の処理が追いつきません」
フェリムの反応は無理もないと思うので、咎める気もない。
ただ少し面倒に感じるだけだ。
「この十日間も、カデルと熱心に剣の稽古をしていたよね。リリムの剣筋が見違えるほど良くなったと、カデルが喜んでいたよ。私も、動きが良くなったと思うよ」
「観ていたのか?」
レアンが、にこやかに頷いた。
「熱心だったから、気を削がないように遠くからね。手合わせ前のダンスとか、横に飛ぶ動きとか、楽しそうだから、次は私も混ぜて欲しいな」
準備運動の段階から見られていたらしい。
「勿論だ。レアンと稽古できたら、僕も嬉しい。そうか。良くなってるのか。褒めてもらえるのは、嬉しいな……」
この十日間の成果を認めてもらえているようで、嬉しくなった。
視線を感じて、不意に顔を上げる。
フェリムが言葉を失くして呆然とリリムを眺めていた。
「ね? 構えなくても、大丈夫だよ」
レアンに促されて、フェリムがリリムから目を逸らした。
一先ず三人は、個室で勉強会を始めた。
「昨日はこの国の歴史について、振り返りをしましたが。復習は必要ですか?」
フェリムの声が何ともぶっきらぼうだ。
しかし、昨日ほどの嫌悪は感じなかった。
「では、教わった部分を僕が反復するから、間違っていたら指摘してくれないか?」
「私がリリムに? 間違いを指摘?」
嫌そうというより、怯えた顔をしている。
(この反応は、もしかしたらフェリムはリリムに虐められていたのだろうか?)
『五感の護り』候補の五人は、兄弟や従兄弟、幼馴染と互いの関係性が深い。加えてリリムもまた、五人の幼馴染的立ち位置だ。
幼少期に虐められて、大人になってもその関係性を引き摺って、距離を取っているパターンかもしれないと思った。
(だとしたらフェリムが執拗にリリムを嫌悪する理由も頷ける。小説の中では、そこまで細かい描写はなかったから、わからないが)
フェリムもリリムも『魅惑の果実』の中ではサブキャラだから、幼少期のエピソードまでは書かれていなかった。
(しかし、この世界では、生きている一人の人間だ。様々な関わりがあって然るべきだ)
リリムとフェリムは一歳しか年が違わないから、余計かもしれない。
(確か、リリムは僕と同じ十七歳だから、リリムの方がフェリムより年下だったはず。これからは年上として、フェリムを敬おう。夜神版リリムは至高の悪役令息として、年上に敬意を忘れない)
真の悪とは無頼ではない。
信念と確かな教養、実力あってこそだ。
それこそが、夜神が理想とする悪役令息であり闇堕ちラスボス、リリム=ヴァンベルムだ。
リリム夜神は、決意を新たにした。
「なら、指摘は私がしよう。リリム、昨日、フェリムに習った内容を、私に教えてくれるかい?」
流石、レアンは助け船のタイミングが絶妙だ。
(思えば最初から、レアンは公平な態度で接してくれた。流石、主人公が選ぶ種だ。そういえば、彼もレアン推しだと話していた。気持ちがわかるな)
元の世界で、夜神に『魅惑の果実』を教えてくれた、クラスメイトの彼を思い出した。
(彼が小説を勧めてくれなければ、もっと何もわからない状態で、この世界に転生していたかもしれない。感謝しなければ。そういえば、彼は何という名だったか……)
何度思い返しても、やっぱり思い出せない。
(顔なら、思い出せそうなのに。彼のことを考え始めると、何故が、頭の芯が熱くなる……)
突然、視界がブレて、眩暈がした。
体が、がくりと傾いた。
「リリム? どうしたんだい? 大丈夫かい?」
レアンが、リリムの体を支えた。
思わず、その腕に摑まった。
「あぁ、すまない。少し、眩暈がして……」
「ずっと頑張っていたから、疲れたんだよ。今日は無理せず、休んだ方がいい」
頭の上で、レアンの声が響く。
くらくらする頭に、声が流れ込んで、心地よい。
「いや、僕はもっと、頑張らないと……」
元のリリムが遊び呆けた分を取り戻さないといけない。
主人公である『神実』カロン=ラインが入学するまで、時が迫っている。
「どうして急に、そんなに頑張るんですか。今まで、何もしてこなかったくせに」
体を起こそうとするリリムに、フェリムが強い言葉を投げた。
「頑張ってこなかったからだ。今からでも頑張らないと僕は、僕が目指す理想の僕には、なれない」
「理想って……」
フェリムが絶句している。
頭の上で、レアンが小さく笑った気配がした。
「頑張りたいなら、今日は休むべきだよ。この状態で勉強しても、頭に入らないだろう?」
レアンの言う通り、眩暈のせいで少し吐き気がする。
体調は万全とは言えない。
「レアンの言う通りかもしれない。今日は、休もうと思う」
素直に返事して、リリムはフェリムに目を向けた。
「時間を取ってくれたのに、すまない、フェリム」
「それは、構いませんが……」
心配とも不安とも取れないフェリムの表情が気になった。
「僕はきっと、今までフェリムに酷い仕打ちをしてきたんだろう? 君が怯えて嫌悪するような振舞を、僕はしてきたんだ。なのに僕は、覚えていないからと、無遠慮に君に頼み事をした。本当に、申し訳ない」
フェリムが何も言えずに口を引き結んでいる。
正解なんだと思った。
「勉強は、今日これきりでいい。近付いてほしくなければ、僕はもうフェリムに近寄らない。だから、安心して学院生活を過ごしてほしい」
眩暈で視界が揺れる。
頭が痛くて、自分の言葉がちゃんと伝わっているか、わからない。
体の力が突然、抜けた。
「リリム? リリム!」
脱力した体を、レアンが支えてくれた。
「そうじゃない。いや、そうじゃなくは、ないですけれど。リリム、私は……」
フェリムが何か言っていたようだったが、聞き取れなかった。
とても眠くて、瞼が勝手に視界と思考を遮った。