46. 冥界改革【LY】→
リリムはテラス席から外の風景を眺めていた。
冥界は地下世界なので、陽が出ない。その割に暗くもない。
常に曇天の空といった程度の明るさはある。
「リリム、紅茶のお代わりは如何ですか?」
「あぁ、ありがとう」
フェリムがさりげなくミルクティを淹れてくれた。
セイロンにも飽きていたから、ちょうどいい。
振り返ると、フェリムが嬉しそうに笑んだ。
「それにしても、随分と瘴気が減りましたなぁ。いやはや、新魔王の手腕には脱帽ですぞ」
「僕の力ではありません。それもこれも、病態を押してまでご協力くださったハデス様のお力添えあってこそです。お知恵を拝借できなければ、何もできませんでした」
フェリムが淹れた紅茶をハデスが嬉しそうに受け取る。
「百年前にやった腰をいまだに引き摺っておりますが、無理しなけりゃぁ、なんてことはない。口を出すだけなら、易いものです。長く冥界に居座っておりますから、この場所は熟知しておりますからな」
「頼りにしています」
冥界に来て、最初に気になったのは瘴気の濃さだった。
魔王が坐する居城があるのだから、当然かとも思ったが。
「冥界という場所を、僕は思い違いしていました。もっと禍々しく魔が渦巻く世界だと思っていました」
ハデスが可笑しそうに笑った。
「神界に所縁が深い地上の人間は、そう思うのでしょうなぁ。冥界は魂の集まる場所。どんな生き物も、人も魔獣も神や悪魔でさえ、魂が残れば冥界に来る。魂の洗濯を終えれば、またどこかの世界に旅立つ、そういう場所です」
ハデスが遠くを眺めながら教えてくれた。
その目の先には大きな滝が流れている。
「まさか魂の洗濯をする滝の水をスパにしてしまうとは、儂も驚きましたぞ。儂が魔王だった時分には思いつきもしなんだ」
冥界の瘴気の原因は、魂が落とした汚れ、つまりは穢れだった。
穢れを流すのがあの滝の水の役割だというので、スパを数か所、作って汚水を一か所に集めた。
「フェリムがいなければ、出来なかった術です。フェリムは水魔法の魔術師で『五感の護り』ですから」
リリムの隣でフェリムがニコリと笑んだ。
「リリムの闇魔法を混ぜなければ成立しない術ですよ。カロンとレアンを浄化したのと同じ術ですから」
「あれは、浄化と呼べるのか?」
天使の恋の矢で洗脳されていた二人に向かい、リリムの闇魔力を混ぜた水魔法を投げつけたフェリムの魔術は、確かに効果があった。
「闇は癒しの力です。癒しは時に浄化ですよ」
納得してしまいそうな理屈だが、素直に頷き難い。
「あとは花ですな。滝の水を吸い上げた水仙が穢れを溶かす水を含んだ気を流す。お陰で冥界の空気が綺麗になりました」
「水仙の花を大量に提供してくださったのは、ハデス様ですから」
スパの周囲と汚水処理場の周囲に大量の花を植えたことで、瘴気を減らせた。
フェリムの水魔法とリリムの闇魔法を混ぜた球体を作り、汚水処理場に沈めてある。向こう数百年は穢れを溶かし続けてくれるだろう。
それもこれも、前任の冥界の魔王であったハデスの知恵と助力がなければ成り立たなかった。
「リリム様~!」
二人の男の子が駆けて来て、左右からリリムに抱き付いた。
「オズ、オセ、どうした?」
「五か所目のスパが完成しました」
「六か所目の、大きなお風呂が半分くらい出来上がりました」
二人がそれぞれに報告してくれた。
「二人とも、お疲れさまでした。魂ごとに好みもあるだろうから、好きなスパで穢れを落とせるように、誘導してくれ。大きなスパはミケに使う予定だから、頑丈に作ってほしいと伝えてくれ」
「わかりました~!」
オズとオセが良いお返事をする。
二人は元々、ハデスに使えていた悪魔だ。ハデス不在の間は、二人が冥界の魂を誘導していたらしい。
姿は子供だが、リリムより何百歳も年上だ。
新米魔王としては、とても頼れる先輩だ。
「二人とも、お菓子がありますよ。座って紅茶もいかがですか?」
「わぁい! お菓子~!」
「僕、ミルクティが良いです、フェリム様!」
オズとオセが席について待機する。
フェリムが席を立って準備し始めた。
「わかりました。待っていてくださいね」
いつも通りの優雅な時間だ。
「ミケの穢れを落としてやるのは賛成ですが、ミケは竜ですからなぁ。程々がよろしいでしょう」
「そうですね。ミケの力が弱ると、アメリア様にも影響しますから、慎重にしないと」
ミケは、魔窟の竜の名前だ。
最近は前より懐いて、顔を擦り付けて来たり、じゃれたりする。
昔、家で飼っていた猫に似ているので、同じ名前を付けた。




