43. 笑った顔が好きだから
転移魔法で飛んできたレアンとカロンが、森の中に降り立った。
「大きな魔力を感じて急いで来たが。リリム、竜穴の封印を解いたのか」
レアンがリリムを睨んだ。
カロンが周囲を見回した。
「さっきまで感じていたクピドの気配もない。殺したの? それとも従魔に喰わせた?」
カロンが冷静に問い掛ける。
その目はやっぱり真っ黒で、リリムが知っているカロンではなかった。
少し目を凝らすと、カロンの胸にはまだ、矢が刺さったままだった。
「クピドを殺しても、恋の矢は消えないのか」
リリムの呟きに、ラスが首を捻った。
「変だねぇ。恋の矢は天使が個々人で扱う術で、扱う天使が死ねば術も消えるのに。もしかして、クピドってメロウの分身なのかな」
ラスが不思議そうにカロンを眺めた。
「クピドは分身で、アモルは違った、ということか?」
「アモルも分身だったのかもねぇ。憑依も洗脳も、カロンが自分で解いたよね。アモルが弱かっただけかも」
何気ない考察が、リリム夜神の胸にストンと落ちた。
「二人とも分身だったとすれば、今後、僕らを襲ってくる天使がいれば、メロウの分身と考えていいな」
「その可能性が高いね」
カロンが光の矢を作って、リリムに向かって放った。
飛んできた光の矢が、リリムの頬を掠めた。
「リリム、魔力が段違いだ。何をしたの?」
「その頬の印は、魔の印かい? まさか、魔王の契約を交わしたのか?」
レアンが両手に光魔法を展開しながら、険しい表情で問う。
「あぁ、そうだ。僕は……」
「何しているんですか、カロン、レアン」
立ち上がったフェリムが、絞り出すような声を上げた。
地を這うように響いた声は、明らかな怒気を含んでいた。
「リリムが魔王に堕ちたのなら、俺が殺す。大天使メロウ様は、それを望んでいる。『神実』と『五感の護り』は大天使メロウ様をお守りする下僕だ」
カロンの無味な目が、ずっとリリムを捉えている。
それが無性に悲しくて、腹立たしかった。
「私たち『五感の護り』は『神実』を守るために存在する。フェリムも守護者として覚醒したのだろう。早くこちらに来い。そこにいては、魔王に洗脳される」
レアンが必死に訴える。
カロンに刺さった矢の影響を確実に受けている台詞だ。
「何を、言っているんですか。リリムが大好きな二人の言葉とは、思えない。カロンとレアンの言葉が、全然理解できません」
フェリムが、リリムに並び立った。
「リリムに覚醒してもらったの? だから理解できないんだよ。フェリム、俺と感覚を共有して。俺と繋がれば、『五感の護り』の本当の役割を、ちゃんと理解できる。大天使メロウ様の神託を聴けば、魔王の洗脳が解ける」
カロンがフェリムに向かい手を差し伸べた。
フェリムが俯いたまま、唇を強く噛んだ。
「洗脳されているのは、どっちですか。私たち『五感の護り』は『神実』と『魔実』を守るための守護者です。互いを攻撃させるための存在じゃない。リリムとカロンは、いがみ合う立場じゃない!」
フェリムが強い目でカロンを睨んだ。
「私は、最初にはっきり伝えました。もし、リリムを裏切ったら、たとえカロンが『神実』でも、何をするかわからない、と」
フェリムの手がリリムの頬に触れる。
勢いが良すぎて、頬をぶたれたのかと思った。
フェリムが触れた魔の印から、リリムの魔力を吸い上げた。
「え? フェリム? 一体、何を」
フェリムのもう片方の手の上に、水魔法の塊が浮かび上がった。光属性に近いはずの水魔法に、リリムの闇の魔力が交じり合う。
黒い水の塊が大きくなった。
「絶対に、許さない。カロンとレアンの、馬鹿ぁ!」
叫びながら、フェリムが二人に向かって水魔法を投げつけた。
飛びながら二つに分散した水が、避けようとするカロンとレアンを追いかける。
その胸に思い切り、ぶち当たった。
「うひょぉ! 子供っぽい割に魔法は洗練されて強いねぇ。流石は『五感の護り』だ」
ラスが素直に感心している。
「それに、覚醒してもカロンの恋の矢に左右されない。リリムの魔力で覚醒したせいもあるだろうけど、中々に意志が強くて、ちょっと気に入ったかなぁ」
ラスが満足そうにフェリムを横目で流し見た。
「リリム、今ならカロンを正気に戻せるよ。濃い魔力、流し込んでおいで」
ラスに促されて出かかった足が、止まった。
「今のままが、良いんじゃないだろうか。そもそも『神実』も『五感の護り』も、神界に連なる存在だ」
カロンとリリムは対立するのが正しい世界で、『魅惑の果実』はそういう物語だ。
「神界じゃなくて、アメリアが生み出したアメリアの申し子ね。『神実』がメロウに良いように使われるのは、正常じゃない。アメリアは望まないよ」
「そうかもしれないが」
正常な意識を取り戻したカロンが、今更リリムを倒そうとするだろうか。
戸惑うリリムを眺めて、ラスが面倒そうに息を吐いた。
「リリムが良いなら、いいけどねぇ。今のままにするなら、カロンがメロウに玩具にされて悪戯されて乱されて、散々気持ち良くされちゃっても平気ってことだね」
「乱されて、気持ち良く……?」
ラスがムフフと笑った。
「だって、そうでしょ? カロンはメロウの下僕で玩具なんだよ? カロンがメロウに××されて、×××させられて、挙句、××××されちゃう姿、見たいってことでしょー?」
「そこの羽が生えた犬! 卑猥です! 発言が露骨すぎます!」
フェリムが顔を真っ赤にして怒っている。
「××されて、×××させられ……、その上、××××まで……?」
リリムの頭の中に、メロウに色々されちゃう、大変卑猥なカロンの絵が浮かんだ。
鼻血を吹きそうになって、思わず顔を抑えた。
「その相手は、僕では駄目なんだろうか。僕は今、魔王なんだし」
「え⁉ リリム? 何を言ってるんですか?」
フェリムが困惑の声を上げた。
「自分のものにしたいなら、恋の矢を溶かしてきなよ。あのままじゃ、どのみち光堕ちしたまま、カロンはメロウだけを愛する操り人形だよ」
操り人形と聞いて、リリムの足が動いた。
(それでいいはずがない。僕はカロンが、陽向が自分の意志で、心から笑う顔が好きだ)
フェリムの本気の攻撃を受けたレアンは、動けずに倒れている。
「ぁ、カロン……。私たちは、何を、して……」
レアンの洗脳が解けかけているらしい。
ラスが気を利かせて、レアンを動けないよう拘束した。
カロンの中の恋の矢も、小さく、薄くなっていた。
リリムは、倒れるカロンを抱き上げた。
「ぁ……、俺は、メロウ様の……」
眼が振戦している。
意識が混濁しているようだ。
(ちょうどいい。今なら、僕だとバレない)
カロンの胸に手を当てて、そっと唇を重ねた。
刺激にならないように、少しずつ魔力を流し込む。
同時に胸に添えた手を潜らせて、恋の矢を掴み上げた。
(こんなものをカロンの中に射った大天使メロウを、絶対に許さない。僕の陽向を傷付けたメロウは、天使だろうと原作者だろうと、僕が殺す)
強い気持ちで矢を握り潰す。
粉々に砕けた矢が、流し込んだ魔力で完全に掻き消えた。
「ぁ……、はぁ……、リリム……?」
カロンの目に光が戻った。
「カロン、僕が、わかるか?」
「リリム、……利睦、俺、俺……リムに酷いこと、した」
カロンの目に涙が滲む。
「ごめん、ごめんね、リム……、弱くて、ごめん」
カロンがリリムに抱き付いた。
目尻に溜まった涙を、ちゅっと吸い上げた。
(僕だとバレないように、するつもりだったのに。やっぱり陽向に名前を呼ばれるのは、嬉しい)
優しく髪を梳きながら、リリムはカロンを見下ろした。
「陽向は弱くない。カロンは、頑張っている。『五感の護り』は五人揃った。もう、同じような惨事はない。これから力を付ければいい。自分を責めなくていい」
「迷惑かけたのに、リリムに嫌なコトしたのに」
「嫌な想いはしていない。今こうして、カロンを腕に抱いている。それだけで、いい」
「リム、俺も……、リリムに触れている今が、嬉しいよ」
カロンの顔が、ほんの少しだけ笑んだ。
いつものカロンの、陽向の顔だ。
リリムの胸に驚くほどの安堵が降りた。
「元に戻って、本当に良かった。僕はやっぱり、陽向の笑った顔が、好きだ」
「利睦……、俺も、俺も!」
カロンの口を、もう一度、唇で塞いで言葉を奪った。
「だから、ここでお別れだ。さようなら、陽向」
耳元で囁いて、口付ける。
リリムはカロンから離れた。
「え……? 待って、なんで? リリム!」
竜穴の前に立つ。
岩窟の奥から竜が顔を出した。
その顔を撫でて、従える。
「僕は冥界の魔王、リリム=ヴァンベルム。竜穴の封印を解いたのは、この僕だ。女神アメリアが封じられた竜は僕の手中にある。無事に取り戻したくば、僕を倒しに冥界に来い」
竜がリリムを背に乗せた。
「待っているぞ、女神が選んだ『神実』、カロン=ライン」
リリムは冷たい視線をカロンに向けた。
カロンが、呆然とリリムを眺めている。
その姿から目を逸らして、リリムは竜と共に冥界へ飛び立った。




