42. 待ち望んだ闇堕ち
小天使クピドの転移魔法で、リリムとラスはマムーレの森の竜穴の前にいた。
「この中にフェリムがいるのか? どうやってフェリムを竜穴に閉じ込めた?」
「そんなの簡単~。僕の転移魔法は結界もすり抜ける。人間一人、結界の向こう側に移動させるのなんか楽勝だよ。天使だからね」
クピドが指を鳴らした。
竜穴の壁が空けて、中が見えた。
「フェリム!」
駆け寄ろうとしたリリムを、ラスが止めた。
「むやみに近づくと、封印が解ける! リリムは竜穴の封印、解けちゃうんだから、気を付けてよ」
「すまない、だけど……」
竜穴の入口付近で、フェリムが気を失って倒れている。
岩窟の奥には、大きな体の竜がいる。
赤い目を光らせて、フェリムを見詰めている。
「竜の中にはアメリアがいる。フェリムを喰ったりはしないよ」
ラスの言葉に、クピドが得意げな顔をした。
「どうだろうねぇ? 竜の本能を抑えれば、それだけ神力を消耗する。アメリア様、消えちゃうかもねぇ。消耗を恐れて気を抜けば『五感の護り』が一人、竜に喰われる。僕はどっちでもいいけどぉ」
クピドが心底楽しそうに笑った。
「助けるにはフェリムを外に出すしかないけど。僕は投げ入れることはできても、外側からこっちに引っ張る力はないんだよねぇ。つまり、リリムが竜穴の封印を解くしかないワケ。助けたいなら、だけどね」
悪魔より下衆な状況を作って、下衆な提案をする奴だと、もはや感心した。
「竜を外に出せば、暴れるか?」
リリムはラスに問い掛けた。
「竜って、基本はそういう生き物だからね。人を喰おうとするだろうね。アメリアが止めるだろうけど」
「アメリア様に神力を使ってほしくないな。ただでさえ弱っている。ラスの命令でも竜は従わないか?」
「従うとは思うけど、もっと確実な方法があるかなぁ」
ラスがリリムに目を向けた。
「巧くいけばカロンたちを助けて、大天使メロウを倒せちゃうかもしれない奇策を、思い付いちゃったんだけど、試す?」
「そんな良い策があるのか?」
驚くリリムに、ラスが嬉しそうに笑んだ。
「あるある~。リリムが本物の悪役になればいいだけ~」
「僕が、本物の? つまりはラスボスか?」
「そのラスボスって、よくわかんないんだけどさぁ。魔王になら、してあげられるけど」
「魔王? とは……、魔の王か」
いまいち、イメージが湧かないが。
神話の世界などでは、天上の神に相対する存在として、魔界や冥府に王がいるのは知っている。
「冥界の魔王が最近老齢で引退して、席が空いてんだよね。埋めてくれると、我も助かるんだけど」
そんな、退職した職員の穴埋め昇給みたいに言われても、困る。
「リリムなら良い魔王になると思うなぁ。魔王くらいの権限があれば、竜なんかペットに出来るし、メロウを神界から引き摺り降ろしたりも、できちゃうと思うよ」
「メロウを? それは、討伐のチャンスが作れる、ということだな」
「その通り~。その上、対等な力で渡り合える。条件として、悪くないっしょ」
だとすれば、迷う余地はない。
「もれなくカロンたちは敵になるけどね。正気に戻ったとしても、『神実』と『五感の護り』にとって魔王はこの世の悪、討つべき敵だ」
「そう、か……。それは、しかたが、ない」
今のままなら、ずっと敵だ。
天使をどうにかしたって、また同じように刺客が来れば、同じ事態にだってなりかねない。
(僕が魔王になって、メロウを討って、カロンやレアンたちを守れるなら)
元々、悪役令息で闇堕ちラスボスが、リリムの役割だ。
正しいポジションに収まるだけだ。
そう考えて、はたと思い付いた。
「よもや、これが、闇堕ち、では……?」
カロン神木は、この世界にリリムが堕ちる闇はないと話していたが。
世界が歪んでカロンすら知らない闇が浮かび上がってきたのかもしれない。
「まぁ、ある意味で闇堕ちだろうね。カロンの光堕ちの逆ヴァージョン的な?」
リリム夜神の心が興奮した。
当初の目標であった闇堕ちラスボスが、目前にある。
「ねぇ、相談終わったぁ? どれだけ内緒話しても、その可愛くない犬じゃ、何もできないよ。リリムの従魔になって、かなり力弱ってんじゃん」
クピドの指摘に、思わずラスを振り返った。
「弱くなったのか? ラス」
「本来よりはねぇ。従魔の力って主に比例するからね。だから、今の我だと竜が命令を聞くか微妙なトコなんだよね。リリムが魔王になったら、竜も従うだろうし、我も本来の八割くらいの力は出せるかなぁ」
「そうなのか……」
これ以上、迷うのは時間の無駄だと思った。
「わかった。冥界の魔王とやらになろう。大天使メロウは、僕が討ち取る」
「決まりだねぇ。リリムの思い切りのいい性格、好きだよ。じゃ、気が変わらない内に魔王の紋章を与えよう。それ」
軽い掛け声とともに、ラスがリリムの右頬に肉球パンチした。
むにっとされた頬に熱さと痛みが走る。
途端に、魔力が溢れて吹き出した。
逆巻いた魔力が周囲の木々を薙ぎ倒す。
「ちょっと! なんだよ、コレ!」
クピドが悲鳴に近い声を上げた。
溢れ出る力が大きすぎて、制御しきれない。
力に飲まれそうになる。
「気持ちが昂る。変な気分だ。ラス、どうすればいい?」
「今、どうしたい?」
「あの天使を殺したい。竜穴の封印を解きたい」
「どっちもしていいよ。ただし、自分を手放したら、魔王の紋に飲まれるから、気を付けてねぇ」
ラスに返事をする前に、手が勝手に魔力を放った。
「ひっ……、やめっ、ぁ」
闇の魔力に覆い尽くされたクピドが、存在ごと消えた。
それを確認することなく、リリムは竜穴の壁に手を伸ばした。
封印の膜に触れる。バリンと黒い稲光が走った。
稲妻を握り潰す。竜穴を覆っていた封印が粉々に砕けた。
岩の壁に闇の魔力をぶつける。岩が、どろりと溶けて消えた。
「フェリム……、フェリム!」
岩壁のすぐそばに倒れているフェリムを抱き上げる。
「ぅ……、ん」
小さく呻るも、目を開けない。
殺気を感じて、リリムは顔を上げた。
岩窟の奥に赤く光る眼を見付けた。
その目を強く見詰める。
「僕に従え、人を喰うな。僕と共に来い」
魔力を籠めた目を見開いて、命令する。
竜が首を垂れて平伏した。
「おぉ、さすが、リリム! 竜が暴れなければ、アメリアも神力を消耗しないよ」
「それなら、良かった」
リリムは腕の中のフェリムを見詰めた。
「本当はカロンにしてほしかったが、今の状況だと難しいからな」
フェリムの体を起こして、項を摩る。
髪を避けて、白い項に吸い付いた。
強く一気に魔力を吸い上げる。
「んっ……、ぁ、やっ……」
フェリムがリリムにしがみ付く。
必死に耐える体から、魔力が吹き出した。
「ぁ……、はぁ、リリム? これは、一体……」
目を覚ましたフェリムが涙目で問う。
「フェリムは『五感の護り』舌なんだ。これからは、カロンを守る特別になるんだ」
「私が、守護者?」
戸惑う顔がリリムに近付く。
頬に口付けると、フェリムの舌がリリムの肌を舐め上げた。
「本当だ、美味しい。リリムだって『魔実』なんでしょう。カロンだけじゃなく、リリムも、今まで以上に私が守れますね」
うっとりと見上げるフェリムに、リリムは首を振った。
「僕は、冥界の魔王になった。もう人の世には、いられない。フェリムとは、一緒にいられないんだ」
「魔王って、何ですか? まさかその、風変わりな衣装ですか?」
フェリムに指摘されて気が付いた。
なんというか、全体的に黒くてゴツゴツした衣装に、マントまでしている。
「それに、その頬の紋章……、魔の印がどうして、リリムの頬に」
フェリムが涙目で手を伸ばす。
その手が紋章に触れる前に、握って止めた。
「フェリムが触れていい紋章じゃない。学院まで送るから、これからは僕に変わってカロンを守ってくれ」
「そんな……、そんな大事な役目を、人任せにするんですか? 私は知っているんですよ。リリムにとって、カロンが特別だって。リリムは、カロンが好きなんだって!」
フェリムに指摘された言葉が、胸に刺さった。
(僕は、カロンが、陽向が好き、なのか。そう、かもしれない)
この世界に来る前から、ずっと。
来てからは、もっと。
好きだったのかもしれない。
「特別で大切だから、フェリムに任せる。僕には、やるべき役割があるから。フェリムが好きだと言ってくれたヒーローではないけど、僕にとっては格好良い役割だ。だから、応援して欲しい」
手を握って、額を合わせる。
「嫌、嫌です。リリムが遠くに行くのは、絶対に嫌です。行くなら私も一緒に行きます」
「ダメだ、フェリムはカロンの守護者だ」
「嫌だったら、嫌だ……!」
言葉を止めたフェリムが空を見上げた。
強い魔力を感じて、リリムも顔を上げた。
転移魔法で飛んできたレアンとカロンが、目の前にいた。




