4. カデルと剣の稽古
次の日から、リリム夜神の悪役令息修行が始まった。
リリムが在籍しているレーヴァティン魔法学院は、国が管理運営する特別機関だ。
魔法や剣技の指導に加え、礼儀作法など貴族としての嗜みも教育する。
基本は貴族の子息子女が試験を受けて入学するが、才があると認められれば平民から入学する者も珍しくない。
間口を広く設けている理由は、この学院の真の存在意義が『五感の護り』を選び見付ける場所だからだ。
数十年、数百年に一人、現れると言われる神の実である『神実』は、神が造った奇跡の果実と呼ばれる。存在するだけで豊穣と平和を約束する。
『神実』を見付けられるのは『五感の護り』と呼ばれる、選ばれた五人の守護者だ。『五感の護り』は『神実』を見付け出し、守護するために存在する。
『神実』と『五感の護り』が接触することで、双方が覚醒する場合が多い。
国の宝である『神実』を探し出すために、『五感の護り』候補を鍛え、育てる。その為の教育機関が、レーヴァティン魔法学院である。
国営で王族も通う格式高い学院は、入学できるだけでも誉とされる。
『五感の護り』に選ばれなくても、レーヴァティン魔法学院を卒業すれば、その後の人生が保証されるとまで言われる名門校だ。
というのが、ネット小説『魅惑の果実』に描かれていた魔法学院の設定だった。
(リリムも入学できたのだから、ポテンシャルはあるはずだ。性根が怠け者なだけだ)
ヴァンベルム家は伯爵家で、闇魔術師筆頭の家格だから、多少の裏金は動いたかもしれないが。
(そうだとしても、リリムの実力は、僕がこれからアップすればいい)
などと考えながら、リリム夜神は準備運動に勤しんだ。
今日はこれから、カデルに剣技を習う予定だ。
そのための準備運動を始めていた。
「本当に続けるんだな、リリム」
剣を持って練習場に来たカデルが感心した顔をする。
ラジオ体操をするリリムを半信半疑の顔で眺めた。
「まだ一週間だ。継続にしても、始めたばかりだ」
ラジオ体操の動きを止めずに答える。
「いや、充分だろ。毎日、俺より早く来て始めているくらいだ。正直、一日でやめると思ってたぜ。お前、本当にリリムか? いくら記憶がないとは言っても、変り過ぎて、同じ人間な気がしない」
仰る通り別人です、とは言えない。
「疑う気持ちは、僕にもわかる。皆の反応から察するに、以前までの僕とは、きっと別人、……のようだろうから。しかし僕は、努力すると決めた」
純然たる至高の悪役令息になるためには、どんなに努力しても足りない。
(主人公カロン=ラインは史上最高の『神実』という設定だ。今からの努力では遅いくらいだ)
最強の主人公に釣り合うラスボスになるには、リリムは強く、賢くなければならない。それが夜神が理想とするボスキャラだ。
「そうか。打ちどころが悪かったかと冷や冷やしたが、かえって良かったかもな!」
カデルが、カラカラと笑う。
彼のさっぱりした性格は、助かるなと思った。
「それより、毎回やってるそのダンスは、なんなんだ?」
カデルが不思議そうに指をさす。
リリムはラジオ体操をしながら答えた。
「ラジオ体操……、準備運動だ。全身運動だから、筋肉がほぐれる。練習前にやっておくと、無駄な怪我もしないし、体の動きもいい」
ラジオ体操をうまく伝えるのが面倒だったので、必要性だけ話した。
「面白そうだ。俺にも教えろよ」
「そうだな。カデルも、やっておいたほうがいい。もう一度、最初からやろう」
「途中からでも、いいぞ?」
「いいや、そういうやり方は良くない。やるからには、最初からだ」
剣を置いたカデルの前に立つ。
「足を肩幅に開いて、両手を開いて腕を伸ばす運動! はい! いち、に!」
リリムの動きを確認しながら、カデルがラジオ体操を始めた。
「全身を使うし、確かに筋肉がほぐれるな」
「そうだろう。ラジオ……、準備運動で体がほぐれたら、腹筋と腕立て、反復横跳びもする」
「反復……? なんだって?」
「やりながら教える。まずは、体操だ」
きっちりきっちり体操するリリムを眺めながら、カデルが吹き出した。
「やっぱり別人だな。以前のリリムじゃ考えられねぇ。お前にも、こういう生真面目な質があったんだな。意外過ぎだが、嫌いじゃねぇ」
カデルが可笑しそうに笑った。
その笑顔は昨日までと違って、好意的に感じた。
カデルを始めとする皆のリリムへの嫌悪は、理解できる。
小説を読んでいるから、『魅惑の果実』の中のリリムがどれだけ傲慢で怠惰な人物かも知っている。
確かに、別人の変わり様だろう。
(本来ならば、小説の中のリリムの性格に合わせるべきなのかもしれないが)
それでは、夜神が理想とする悪役令息にはなれない。
(皆には、小説の中のリリムは忘れてもらおう。リリム=ヴァンベルムは、僕が理想とする悪役令息に作り替える)
自分の行動が『魅惑の果実』という小説の内容に、どんな変化を与えるか。なんてことは、この時のリリム夜神には興味がなかったし、些末な末事だった。
(主人公カロン=ラインが入学してくるのは、約一カ月後。それまでに、彼を追い詰めるに値する至高の悪役を完成させなくては)
至高の正義に釣り合う、至高の悪役になる。
リリム夜神の目標であり、興味はその一点だった。
「さて、運動も終わったし、剣技を始めるか」
ラジオ体操、腕立て腹筋、反復横跳びまで終えたリリムとカデルは、剣を持った。
リリムは剣を左手に持ち、カデルに礼をした。
「今日も、よろしくお願いします」
「お、おぅ。こちらこそ」
毎回同じ挨拶をするのに、カデルは毎回同じように面食らった顔をする。
リリムとカデルは剣を構えた。
「いい感じに隙のねぇ構えが出来るようになったな」
「カデルに褒められると嬉しいが、まだまだだ。しかし今日は、カデルのほうが隙がある」
真っ直ぐに構えたまま、カデルに向かい、飛び込む。
リリムの剣を、カデルが受け止めた。
「いいねぇ、その反応! 今のリリムとの打ち合いは、楽しいぜ!」
「僕もだ。ワクワクする」
「その顔でワクワクしてんのか、鉄面皮だぜ。もっと顔に感情出しやがれ!」
大きく振りかぶった剣を避けて、カデルに打ち込む。
カデルに指導を受けてから、この世界に来て始めて握った剣が、楽しくなっていた。
カデルが楽しそうに剣を振るうので、余計に楽しくなった。
「もっと打ち込んでいいぜ! 遠慮すんな!」
「遠慮なんかしたら、カデルに勝てない。僕は、勝ちに行く!」
振りかざした剣を受け止めるカデルの顔が、高揚して笑った。
リリム夜神の心も興奮していた。