37. 天使の皮を被った悪魔【LY】
準備を整え、リリムたちはルカの部屋に向かった。
隣の部屋の扉が開いて、カデルが手招きした。
「リリム、こっちだ」
小さな声で手招きする。
リリムたちはカデルの部屋に入った。
「結界が張られていて、扉からは入れない。破れそうな場所を探してみたが、難しそうだ」
レアンがルカの部屋側の壁に触れた。
「強い神力だね。相手が天使というのは、間違いなさそうだ」
リリムも同じように触れる。
バリン、と電気が走った。白と黒の小さな稲妻のように見えた。
「僕なら壊せそうに思うが、無理に破るのは危険だろうか」
三人を振り返る。
「ルカとカロンを人質にとられているようなものだからね。中に入って状況を確認できるまでは、相手を刺激しないほうが、良さそうだよね」
シェーンが御尤もな意見をくれた。
「のんびりしていると、カロンが天使に洗脳されちゃいそうだけどねぇ」
ラスの指摘に、皆の気が尖った。
「ラスには見えるのか?」
「見えるというか、感じるというか。そもそも、大天使メロウの目的が『神実』と『五感の護り』を取り込むことなんだから。カロンを扱いやすいお人形にするのは、順当な発想じゃないのぉ?」
怠く流れたラスの声に、全員が息を飲んだ。
「二人とも助ける~とか、天使は生け捕り~とか。生温いこと言ってるから、全部失う羽目になるんだよ。これだから人間は愚物だっていうのさ」
リリムはラスを鷲掴みにした。
「洗脳するには、どうするんだ? されてしまった場合、解けるのか?」
「さぁねぇ。自力で解く奴もいるけど、今のカロンには無理じゃないの? 一気に神力流しこまれたら、抗えないでしょ」
ラスが、ムフっと笑んでリリムを眺めた。
「ちなみに、一番濃い神力を流す方法は、口移しだよ。口から流し込まれたら、光堕ち確定だね」
「つまり、キス……。光堕ちとは、なんだ」
ラスが、ムフフっと笑った。
「カロンが大天使の玩具になるって意味だよ。好き勝手遊ばれちゃうかなぁ。カロン、可愛いから、いっぱい悪戯されちゃうかもねぇ。気持ち良くなれるから、いいかもだけどぉ」
「気持ち、良く……」
リリム夜神の頭に、カロンの卑猥な光景が浮かんだ。
一瞬にして血の気が引いた。
「レアン、シェーン、プランC決行だ。カデル、準備できているな」
「あぁ、この壁に、準備してあるが」
カデルが戸惑いながら、指さした。
レアンがリリムを抱きかかえた。
「ライバルとして、カロンの危機は見過ごせないね。この状況はフェアじゃない」
「一番、賭けに近いけど、今なら一番確実かもね」
シェーンが、レアンとリリムに向かって手を翳した。
「飛び上がったら、頼むよ」
「了解」
レアンとシェーンが短いやり取りで打ち合わせを終えた。
「準備いいかい? リリム」
「いつでも、大丈夫だ」
「じゃぁ、行こう」
リリムを抱えたレアンが軽く飛び上がる。
後ろからシェーンが風魔法で突風を浴びせた。
レアンの転移魔法が加速した。
「煽り過ぎだぞ、ラス」
「あれくらい言わないと、思い切らないでしょ。あながち冗談でもないしぃ」
カデルとラスのやり取りを後ろに聞いているうちに、目の前の壁が消えた。
「陽向! ……、カロン!」
必死過ぎて本名を呼んでしまったが、今はそれどころではない。
『リム! ここだ! 俺はここにいる!』
カロンの声が聴こえた。
リリムは声のほうに手を伸ばした。
バリン、と膜が破けるような感覚がして、体に強い圧が掛かった。
一瞬、瞑った目を開ける。
背中に羽が生えた生き物が、カロンに馬乗りになっている。
気が付いたら駆け寄って、その顔面に拳をめり込ませていた。
羽の生えた生き物が部屋の隅まで吹っ飛んだ。
「カロン! 大丈夫か? 意識はあるか? 口移しはされていないか?」
カロンの体を起こす。
首に赤い痣が付いている。締められたのだろうか。
「大丈夫、ちょっと触れた程度だよ」
カロンが自分の唇に指で触れた。
「ちょっと、触れた……?」
「ん、でも神力流されたりはしてないか、らっ!」
「リリム⁉」
遠くでルカを保護していたレアンが声を上げた。
カロンの体を抱き寄せて、唇を重ねていた。
あの羽が生えた生き物の唇が触れた感触を消すように、舌で唇を舐め上げる。
「ん、ぁ……」
声と共に薄く開いた唇に舌を割り入れた。
口内を舐め回して、舌を絡める。
カロンの手が、リリムの腕をぎゅっと掴んだ。
「ぁ……、は……、リムぅ」
甘えるような声がカロンから漏れて、我に返った。
慌てて唇を離した。
「ぁ……、ごめん、いや……」
咄嗟に謝ったが、謝るのは違うと思った。
「僕の魔力なら、天使の神力も、消毒できるから」
「消毒……?」
「そう、消毒、解毒だ。洗脳されないように」
ぐっとカロンの腕を握る。
「うん、わかった。ありがと」
リリムの圧に押されて、カロンが仰け反った。
「あー、ムカつく。天使の顔面にグーパンとか、どういう神経? マジ今すぐ殺してぇ」
転がっていた羽の生き物が起き上がった。
自分で天使と名乗ったので、天使なのかと思った。
「あれが天使か。僕には酷く醜悪な生き物に見える」
実際、美しさも可愛らしさもない。只々、醜い生き物だ。
「悪魔が造った魔性の実なんか体に宿している奴には、僕たちの美しさは感じ取れないよ」
誇らしげに宣う天使の体に、土の帯が巻き付いた。
「悪いけど、お前の何処が美しいのか、僕にもわからないよ」
レアンに介抱されていたルカが起きていた。
ルカの土魔法とレアンの光魔法の合わせ技で、拘束したようだ。
「リリム! 急ぐんだ!」
レアンに急かされて、リリムはカロンに向き直った。
「今からあの天使もどきを捕縛する。カロンと僕の力を合わせるんだ」
「合わせるって、どうやって」
「考えていたんだ、カロンに一番似合う武器は何だろうと」
リリムは手の中に弓を再現した。
室内であることを考慮して、闇魔法でクロスボウを作る。
「僕の闇魔法とカロンの光魔法で、矢を作る。それを、あの天使に打ち込む」
「矢を、イメージするの?」
「そう、イメージだ。あの天使を捕縛するための矢だ」
カロンの目が天使に向いた。
天使の目が嘲るようにカロンを見下す。
「はぁ? お前らみたいに覚醒したばかりの素人が僕に敵うと思うの? その自信はどこから湧くワケ? 勘弁してよ」
「できた」
カロンが光魔法で矢を作った。
「あのクソ天使ヤるための矢だったら、すぐ作れる」
カロンの中にも相当怒りが溜まっているらしい。
リリムはクロスボウを構えた。
光と闇の矢を二本、番える。
「ちょっと、ちょっと。射るってわかってて避けないとでも思うの? 馬鹿も大概にしてよ。こんな拘束、すぐに解ける……」
突風にのった火が天使を覆った。
白い羽が火に巻かれて燃える。
「えぇ⁉ 何だよ、この火!」
部屋の扉を開けて、カデルとシェーンが普通に入ってきた。
「自分が張った結界が消えたのすら気が付けないようじゃ、まだまだだねぇ、小天使様」
「修行が足りないんじゃないのか? アモル」
光魔法で固めた土の拘束と、風で逆巻く火に炙られて、天使が悔しそうに顔を歪ませた。
「ふざけるなよ。『魔実』に味方するような真似して、ただで済むと思うなよ。『神実』も『五感の護り』も神界の所有物だ! お前らは最初から大天使の管理下なんだよ!」
小天使アモルが叫び声をあげる。
「ならば最初から、命じて従わせればいい。カロンを洗脳しなければならない意図はなかったはずだ」
レアンに毅然と指摘されて、アモルが歯噛みした。
「お前らが言うコト聞かないからだろ。だから従わせてやってんだよ!」
「根本から間違ってんだよ、お前」
リリムと一緒に、カロンが弓を構えた。
「俺らは誰の所有物でもない。この地上で生きる人間だ。従う相手も守る相手も、自分で決める。手前ぇらは、俺の敵だ」
力いっぱい弦を引いて、狙いを定める。
同時に、矢を放った。
「ひっ……、やだ、その矢は、嫌だぁ!」
逃げようとするアモルを矢が追いかける。白い衣をまとった胸に深く、突き刺さった。
「ぁ……、力が、メロウ様の神力が、漏れる……」
アモルの体が見る間に縮んで、小さくなっていく。
あっという間に掌大にまで縮んだ。
「へぃへーぃ、いっただき~」
飛んできたラスが嬉しそうに言いながら、自らの体を大きくした。
部屋にギリギリ収まるほど体が大きくなった。
ラスが大きく口を開けた。
「ひぃぃ、終末の悪魔!」
「その呼び名は間違ってもいないが、我は滅亡の悪魔。終末のラッパを吹くのは天使の役割だろう。無論、吹かせはせんがな」
大きな顔が近付いて、アモルが大袈裟なほど震えあがった。
「あ、やだ、いやだ、たべない……で、あ」
ラスが迷うことなく、ぱくりと天使を喰った。
ごくりと飲み込んで、満足そうに笑んだ。
「悪党ほど美味いものだが、天使が美味いとは、世の歪みも大概だ」
元のサイズ感に戻ったラスが、ぺろぺろと前足を舐めて毛繕いしている。
その姿はただの犬のようなのに、さっきは格好良かったなと思った。
「ごめん、リリム~、うっかり食べて消化しちゃったぁ」
てへっとしながらペロリと舌を出す顔は確信犯だとわかった。
だが、怒る気になれなかった。
きっと、この場にいる皆がそう思ったのだろう。
誰もラスを咎めなかった。




