36. 天使の皮を被った悪魔【KK】
ルカの部屋は寮の中でも最上階にあった。
内装も広い。天蓋付きのベッドと大きなソファやテーブルなどの調度品を置いてもスペースがある。
バルコニー付きの部屋はロイヤルルームで、最上階の部屋は王族専用らしい。
部屋に入ったカロンは、ルカにベッドに座らされた。
どんなに頑張っても声が出せない。指一本、自分の意志では動かない。
「ふ……、ふふっ、あはは! やっぱりお前、チョロいな。本当に『神実』なの? 魔力も全然少ないし、優秀な『魔実』とは大違いだよ」
髪を掴まれて、顔を上向かされた。
目だけは何とか睨んで見せた。
(やっぱりコイツ、ルカじゃない。ルカは毒舌だけど、こんな言い方しない。何かがルカに憑いてるんだ)
ルカの顔をした悪魔に、頬を撫でられた。
寒気が走って、ゾワゾワする。
「顔だけは可愛いねぇ、お前。お人形にする前に、遊んでおこうかなぁ。お前も最後に気持ち良くなりたいでしょ? 悔しい顔して泣きながら僕に犯される姿、想像するとゾクゾクする」
耳を舐められて、怖気が走った。
「お前はこれから、意思のないお人形になるんだ。メロウ様の意のままに動く可愛い人形になって、『魔実』を殺すんだよ」
流れ込んで来た言葉に、びくりと体が震えた。
「魔実を、殺、す……?」
「あれ? ちょっとは力、あるんだ。僕の術にかかって話せるなんて、やるじゃん」
掴んでいた髪を乱暴に投げ捨てられる。
体がベッドに倒れ込んだ。
「この世界は『神実』と『五感の護り』が壊すんだ。ぐちゃぐちゃにして、歪めて、壊して、更にする。女神アメリアの申し子であるお前が壊すんだよ、カロン」
カロンの顎を掴んで、ルカが顔を寄せた。
おおよそルカとは思えない、歪な笑みが迫った。
(大天使メロウを様付けってことは、コイツ、メロウのパシリか)
「なんで、そんな、……ことっ」
顎を掴んでいた手が、首にかかった。
細い指が、有り得ない力で首を絞める。
息が止まって、声も出せない。
「女神が間違っていると示すためだ。『神実』であるお前が間違えば、女神は憎まれる。馬鹿な人間どもは女神を殺せと叫ぶだろう! 女神が死ねばこの世界が終わるとも知らずにね! 愚者の思考を操るのは、易いよ!」
息が出来なくて、体が小刻みに震える。
苦しくて目に涙が溜まった。
(これが、大天使のやり方? こんなのまるで、悪魔だ。小説の中じゃ、アンドラスが吐く台詞だ)
アンドラスは自分が作った竜を使って人間を襲う。
自分が悪である事実を隠さない。
その上でリリムを誘惑する。
(アンドラスのほうが、まだマシだ。ずっと潔い。目の前のコイツのやり方は、質が悪すぎる)
カロンは毅然とルカを睨みつけた。
「そのためには『魔実』が邪魔だ。魔性の実は悪魔が作った果実。神界の力が及ばない。だから、お前が殺すんだよ、カロン」
ルカの手が離れて、大量の酸素が入り込んだ。
「はぁ! ……はぁっ、はぁ……」
離れた指が、首を滑って項を撫でた。
「果実の印、お前は『魔実』に貰ったんだろ。情けないね。神の実が魔性に印をつけられるなんて。僕が、塗り替えてあげようね」
ルカの唇が、カロンの項に吸い付いた。
強く吸われて、体がビクビクと震える。
「ぁっ! ……やっ、やめっ、ぁぁっ!」
腹の奥が一気に疼いて、股間が反応する。
気持ち良さが背中を駆け上がる。
「だって、腹が立つだろ。『五感の護り』は、本当なら全員がカロンの虜だったはずなのに。レアンとシェーンとフェリムはリリムに夢中だ。この世界は既に歪んでいる。思っていたのと、全然違っただろ」
ルカの声が頭の中でグルグル回る。
(ちょっと、待って。コイツの言い方……。まるで、ここが『魅惑の果実』の中だって、知っているみたいな)
この世界が小説の世界だと言っているような発言だ。
「お前、何者? メロウは、天使じゃないの? 外の世界から、来たの?」
自分や夜神のように、異世界からの転生者なのだろうか。
(メロウが本当に原作者なら、俺たちと同じだけど……)
リリム夜神と話していた時に思い至った推論を、思い出した。
「お前やメロウが、新キャラ……? 今のこれが、新展開?」
ルカが表情を落とした。
「あー、マジで詰まんない。萎えるんですけど。お前に賢さも敏さも求めてないよ。『神実』だから、中途半端に神力に耐性あるのかな。もっと強く流すか」
ルカの手が項に掛かる。
熱い神力が大量に流れ込んだ。
「ぁっ、ぁあああ! ぁっ……、ぁ……」
頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなった。
「いいよ、いいねぇ、その顔だよ。強い力に踏みにじられて絶望すらできない。抗い方もわからない、そういう顔が良いんだよ。ねぇ、カロン」
ルカがカロンの項を舐め上げる。
体がビクリとしなった。
「何も考えらんないのに、体だけ反応してんの、動物って感じで最高!」
ルカの手が股間に伸びた。
熱くなったモノを撫でられて、ビクビク体が震える。
「カロンはレアンが好きなのに、レアンはカロンを愛してくれない。悲しいよね。奪い返したいだろ? 奪っていいんだよ。だってレアンはカロンの種なんだから」
言葉が耳から流れ込んでくる。
(そっか、レアンは俺のだから、欲しいって思っていいんだ。奪って、いいんだ)
聞こえる言葉は、すべて正しい。
この声に従えばいい。
これは大天使の言葉なのだから。
「レアン、欲しい。俺の種」
ルカが嬉しそうに笑んだ。
「そうだよ、そう。その調子で、覚えるんだよ。大天使メロウ様だけがカロンの味方だ。カロンを守ってくれるのはメロウ様だけだ。メロウ様の命令は絶対だよ」
「大天使メロウ様の命令は、絶対」
繰り返す度に、それが正義だと脳に刻まれる。
自分は大天使メロウのために存在する果実だ。
「レアンを取り戻すために、メロウ様のために、邪魔な悪を排除しよう。カロンが『魔実』であるリリムを殺すんだ。それが物語の正しい結末だ。カロンは自分の手で、リリムを殺すんだ」
「リリムを殺す。俺が、この手で、リリムを……」
真っ白い頭の中に、リリムの顔が浮かんだ。
『……陽向』
『呼ぶなら、陽向が良い』
『温くて、良い名前だ』
夜神の声が、脳に響いた。
(リリム……、夜神、くん)
元の世界では、笑った顔をあまり見たことがなかった。
この世界に来てから再会したリリム夜神は、前より笑う。
(頬にキスされたことも、抱きしめられたことも、なかった。この世界に来たから、リリム夜神だから、してくれる、全部)
今の夜神には、この世界に来なければ、出会えなかった。
(俺はリリムの立ち絵、見てるのに。この世界に来ても、リリムは夜神くんでしかない。夜神くんを、……利睦を俺が殺すの?)
手が、無意識に動いた。
目の前のルカの顔を鷲掴みにする。
「さっきから勝手なコトばっか、言ってんな。ルカの顔で、悪魔以下の下衆発言してんじゃねぇ」
「は? なんで、術が解けてんだよ。順調に洗脳されてただろ!」
ルカの顔が恐怖に染まる。
掴み上げた顔を持ち挙げて、思い切り投げつけた。
ルカの体から、別の誰かが浮かび上がった。
「手前ぇらメロウ陣営が、最低な下衆天使なら、やり易い。手段、選ばなくていいからな」
ルカから浮かび上がった体を、髪を掴んで引き摺り出す。
「いやだ! 止めろ、出すな!」
白い衣を纏い、背中に羽が生えた生き物が、ルカから飛び出した。
ルカの体が床に倒れ込んだ。
「ルカ!」
ルカに駆け寄り、抱き上げる。
(良かった、息してる。怪我とかなさそうだけど、後でちゃんとレアンに診てもらわなきゃ)
「ふざけんなよ、脳みそ空っぽのガキのくせに。大人しく大天使様に操られてろよ!」
天使らしきものがカロンに飛び掛かった。
咄嗟にルカを投げだして、掴みかかってきた天使を受け止める。
「俺の目を見てろ、カロン。俺の名はアモルだ」
顔が近すぎて、うっかり目を見てしまった。
体が強張って、動かなくなる。
アモルに馬乗り状態にされたまま、フリーズした。
「何回でも洗脳してやるよ。どのみちお前はリリムを殺す羽目になるんだ。アイツは最終的にお前らの敵になるんだからなぁ!」
リリムは悪役令息だ。
順当にいけば、そうなんだろう。
「なら、その物語は俺が書き換えてやるよ。クソ天使をぶっ殺す、最高に面白い物語を俺が作ってやる。この物語の主人公は、俺だ!」
懸命に腕を伸ばして、アモルの首を掴まえる。
「あー、もう面倒くせぇ。口から直接、神力流し込んでやる。頭バグって大人しくなってろ」
アモルの顔が近付く。
唇が触れそうになった時、声が響いた。
「陽向! ……、カロン!」
思いっきり陽向と叫んだ後で、カロンと呼び直したリリム夜神の声だ。
「リム! こっちだ! 俺はここにいる!」
どこから聞こえた声かわからないが、返事した。
次の瞬間、クソ天使の顔面にリリム夜神の拳がめり込んでいるのが見えた。




