33. ルカの異変
小説なら、目次を読んでページを捲れば、新たな事件が起きるのだと予測できる。
物語の外側から、起こる事件をハラハラしながら読み進める。
実際に物語の中にいると、予告も目次もページもない。
事件は突如として、自分たちの身に直接、襲い掛かる。
この世界に外側は存在しない。
カロンとリリムが突然の惨事に見舞われたのは、カロンが学院に入学して二週間ほどが過ぎた頃だった。
「なかなか、うまくいかないね」
カロンは、しゅんと肩を落とした。
「まだカロンが入学して二週間だ。これから頑張ればいい」
カデルが『五感の護り』として覚醒して以降、ルカとフェリムにも声掛けする機会をうかがっているのだが。なかなかうまく話を振れないでいる。
「カデルには自然に話せたのにな」
「それはまぁ、カデルは、うん」
リリムにしては煮え切らない返事に、その横顔を覗く。
何となく、不機嫌そうに見えた。
「とにかく、今日は僕も積極的にルカに話を振るから。二人掛かりでいこう」
「わかった。俺も頑張るけど、リリムのリードに期待する」
拳をぶつけ合って決意を新たにした。
今日はこれから、ルカとシェーンとアフタヌーンティだ。
お茶の作法を始めとした礼儀作法を教えてもらう。
シェーンにガッツリライバル宣言されているから、最初は怯えていたカロンだったが。普段は取り立てて怖い言動や行動はなく。普通に接してくれるので、安心していた。
「やぁ、いらっしゃい。今日もリリムとカロンは仲良しだね」
シェーンがリリムの腰を抱いて額にキスしている。
あまりに自然で咎める気持ちにすらならない。
「いつも一緒にいるよねぇ。時々、部屋にも遊びに行ってるでしょ?」
ルカが、じっとりとした視線をカロンに向けた。
「わからないコトだらけだから、リリムに色々教わってて、だから……」
「なら、僕にも聞きに来てよ。僕も教えられるコト、たくさんあるよ」
腕を引かれて、カロンはルカの隣の椅子に腰かけた。
「それはいいかもしれない。僕では不足な部分をルカに補ってもらえたら、カロンも助かるな」
リリムが早速助け舟を出してくれた。
「うん、そうだね」
「やったぁ! ならさ、授業が終わったら、僕の部屋に来てよ。カロンとやってみたいコト、たくさんあるんだぁ」
ルカがカロンの腕を抱く。
圧が強くて、思わず仰け反った。
(ルカのこと、嫌いじゃないけど。最近、俺に対して、やけに圧が強い。好いてくれんのは、嬉しいんだけど)
カデルのような好意とは、また違う何かを感じる。
一瞬、ルカの後ろに黒い靄が降りた。ルカの肩にこびり付いた靄に無意識で手を伸ばした。
カロンが触れると、靄は霧散して消えた。
「どうしたの? カロン」
ミルクティを出して、シェーンが不思議そうに問う。
「いや、今、ルカの肩に……」
「僕に抱き付こうとしてくれたの? 嬉しいなぁ。お礼に僕が、ぎゅってしてあげるね」
ルカが、カロンに抱き付いた。
瞬間、背筋に寒気が走った。
(なんだ、この感じ……。前にルカに抱き付かれた時は、こんな感じしなかった。なんで……)
カロンを見上げたルカの目が細く笑んだ。
その目がおおよそルカらしくなくて、カロンは咄嗟にルカの腕を掴んだ。
カロンの腕を制するように、ルカが捕まれた腕を掴み返した。
「ねぇ、カロン。これから僕の部屋に行かない? 僕、カロンにお洋服を選んであげたいんだ。お洒落したら、カロンはもっと可愛くなれるよ」
耳元で、ルカが囁く。
腕を掴まれているだけなのに、動けない。
(待って、これって、どう考えても普通の状態じゃないよな。このままじゃ、ヤバい。何かヤバい、夜神くん!)
リリムとシェーンは紅茶を嗜みながら、二人で世間話に興じている。
ルカとカロンの異変には気が付いていない様子だ。
「リリ……」
突然、喉が締まって声が出なくなった。
「騒いじゃ、ダメだよ。僕はカロンと遊ぶって決めたんだから。一緒に、僕の部屋に行こう」
何とか腕を動かそうと、もがく。
ルカの腕を振り払おうとしたが、抑え込まれた。
「あれぇ、魔法の効きが悪いなぁ。もっとチョロいと思ったのに」
ルカが、ニタリと笑んだ。
「チョロいって、何だよっ」
何とか声を絞り出す。
身を捩るカロンに、ルカが覆いかぶさった。
「だってお前、『魔実』より弱いじゃん。だからさ、直接『魔実』を殺すより、『神実』を乗っ取るのがいいと思ったんだよね」
どくり、と心臓が下がった。
ルカの手が、カロンに向いた。
掌から打ち出された白い気が矢のようにカロンの腹を射抜いた。
「ぁ……」
力が抜けて、ルカの体に倒れ込んだ。
カロンの体をルカが抱く。
「一緒に僕の部屋、行くよね?」
「……うん。俺もルカといっぱい、遊びたい」
口が勝手に言葉を紡ぐ。
(ヤバイ、ヤバい、何だこれ。思ってないコト、勝手に話す。体が、勝手に動く)
意志とは無関係に、言葉も体も動き出す。
ルカに操られているようだ。
「カロンがどうしてもって言うから、これから僕の部屋で遊ぶね。邪魔しないでね」
ルカに手を握られて、カロンは立ち上がった。
「リリム、ルカの部屋に行ってくるね」
カロンの口が、また勝手にしゃべった。
(違う! これは俺の言葉じゃない。ルカに何かが憑りついてるんだ。俺、操られてるんだよ! リリム、シェーン、気付いて!)
カロンを見上げていたリリムが頷いた。
「わかった。僕はシェーンと引き続き、お茶を楽しむことにする」
リリムが、あっさり承諾した。
(何で気が付かないの、ねぇ! リリム! リリム!)
ルカが、カロンの手を引いて歩き出した。
「あれ? どこかに出掛けるの? お茶会は終わりかい? 出遅れてしまったかな」
テラス席のほうに歩いてきたレアンが、ルカとカロンに声を掛けた。
「カロンが僕と遊びたいっていうから、これから着せ替えごっこ、するんだよ」
「あぁ、なるほど。カロンに服を選んであげたいって、前から言っていたね」
レアンが、爽やかに返事している。
(そうじゃないんだよ、レアン! お願い、気が付いて! ルカは今、変なんだ! 俺も自由に話せないんだ!)
そう思うのに言葉が出ない。
かろうじて目だけが、レアンの目を捉えた。
目が合ったレアンが、カロンをじっと見詰めた。
(もしかして、気が付いた? レアン! レアン!)
レアンの手が、カロンの肩を撫でた。
「楽しんでおいで、カロン。ルカはセンスがいいから、きっと楽しいよ」
ニコリと笑んで、今度はルカの肩をレアンの手が撫でた。
「ルカ、あまりカロンに負担をかけないようにね。慣れないと洋服選びは疲れるから」
「心配ないよ。休みながらゆっくりやるから。じっくり選びたいから、邪魔しないでよね」
「邪魔なんかしないよ。ゆっくり楽しむといい」
レアンが二人に手を振る。
カロンはルカに手を引かれたまま、連れて行かれた。
(レアンも気が付いてくれなかった。どうしよう。俺だけじゃ、何もできないのに、どうしよう)
不安と焦りだけが膨らむ。
なのにカロンの足は、ルカの示す方向にだけ、動いた。




