2. 実は穴に落ちてた【KK】
ネット小説を読みながら歩いていたら、穴に落ちた。
狭くて暗くて長いトンネルをひたすらに落ちる。
(なんで? どうなってんの? このトンネル、何⁉)
あまりにも長く落ち続けていると、頭がおかしくなるらしい。
不安と恐怖で気持ち悪くなった。
(まだ『魅惑の果実』の最終話、配信されてねぇのに。読めないで死ぬのか。夜神くんとも折角、友達になれたのに)
生真面目で優等生なクラスメイト。
生徒会長の彼は、学校内でも自分とは居場所が違う。
仲良くなったりもしないと思っていた。
(でも夜神くんは俺のこと、キモがったり変な目で見たりしなかった)
流れと勢いで勧めたネット小説を読んでくれた。
配信の後は、あれが面白かったとか、物足りないとか、二人で話すのが楽しかった。
(BLの話できる友達、初めてだったのに。もう会えないんだ)
ぎゅっと目を瞑ったら涙が上に流れた。
『神木はレアン推しなのか。なんというか、正義の味方っぽい王子様が好きなんだな。……僕? 特に推しは、いないけど。気になるのは、リリムかな。主人公周囲が強くて格好良い布陣なのに、悪役が物足りない。頑張ってほしい』
大変、夜神っぽい意見だと思った。
いつの間にか週二回の配信のあとは、放課後二人で会うようになった。
小説の内容より、夜神と話せる時間が楽しみになっていた。
『神木は陽向って名前なのか。なんというか、温くて良い名前だ』
そういう何気ない会話も、出来るようになっていたのに。
(夜神くんの下の名前って、なんだったっけ。聞いた気がするのに、思い出せない。落ちすぎて気持ち悪くなってきた。やべ、意識飛びそう)
意識を失ったら、このまま死ぬんだろう。
こんなに長く落ちているのだから、下に着いたら結構な衝撃だ。
(せめて死んだら異世界転生して推しと幸せになれますように……)
薄れゆく意識の中で、そんなことを考えた。
〇●〇●〇
鳥の囀りが聞こえる。
窓から差し込む光が顔を照らしているのがわかる。
(もう朝か。起きて支度しねぇと。今日、配信ねぇけど、声掛けたら夜神くん、付き合ってくれるかな)
ぼんやりと目を開ける。
見たことがない天井に違和感があった。
ガッツリ目を開けて確認する。全く知らない部屋だった。
(え? ナニコレ、どゆこと? ここ誰の家? てか、日本?)
レンガ造りの家にベッドが置かれ、窓の外には広大な自然が広がる。
アルプスを彷彿とさせる大地だ。
部屋の扉がノックされて、若い女性が入ってきた。
「カロン! 目が覚めたのね。良かった、本当に良かったわ」
「カロン……?」
恐らく自分を呼んだのであろうその名には、覚えがある。
「昨日、森に入って魔物に襲われたのよ。覚えてないの?」
無言で首を振った。
開いたままになっている扉の前に、人が立っているのが見えた。
「目が覚めて良かった。怪我はしていないと思うけど、体は辛くないかい?」
優しく声を掛けてくれた男性は屈んで身を低くすると、柔らかな笑顔を向けてくれた。
「レアン皇子殿下が偶然見つけて、助けてくださったのよ。その上、カロンを家まで運んでくださったの」
レアン、という名に、心臓が驚くほど跳ねた。
「偶然ではないのですよ、カミュラ。私は『神実』の守人、五感の護り、目です。この目が、守るべき世界の宝を見付けたのです」
どくどくと、鼓動が大きく早くなる。
カミュラが驚きの表情でレアンを見上げた。
「まさか、そんな……。カロンが『神実』だなんて」
言葉を詰まらせながらも、カミュラが感動した表情をしている。
その光景を、まるでドラマでも見るような気持で眺めた。
(これ、『魅惑の果実』の冒頭だ。カロンは木こりで、姉のカミュラと二人で暮らしてる)
いつもの通り森で仕事をしていたカロンが突然、魔物に襲われる。
『神実』の気配を感じ取ったレアンが森に入り、魔物を退治してカロンを救う。その出会いでレアンは、『神実』を見付ける。
カロンを『神実』と確信したレアンは、その事実を本人と姉に告げる。
まさにそのシーンが目の前で再現されている。
(待って、俺、本当に異世界転生したの? しかも『魅惑の果実』の主人公になったの?)
目の前の王子様をぼんやりと眺める。
整った顔立ちも笑顔も、高い身長も、纏う雰囲気も、想像していたレアンそのものだ。
(このままだと、本当に推しと恋愛できてしまう。推しに守られてしまう。穴に落ちて良かった)
小説の通りなら、主人公カロンは『神実』の番である種を選ぶ。
選んだ種との間に子をもうけて、神から授かった特別な力を継承していく。
カロンが選ぶ種が、ミレニア王国第一皇子であるレアン=ファクタミリアだ。
「君は『五感の護り』が守るべき特別な存在、神に選ばれた『神実』だ。私と共に来ていただけますか?」
片膝を付いて傅いたレアンが、カロンに手を差し伸べた。
(うわぁ! うわぁ! レアンが俺に手を差し出してる! この手、握っていいのかな。いいんだよな)
プルプル震える手を、ゆっくり伸ばす。
緊張する手をレアンが握り締めた。心臓がドキリと跳ねる。
カロンを引き上げて、抱き寄せた。
レアンの顔が近すぎて、思考が停止した。
「これから君は、誰よりも強い魔術を操り、民を守る特別になる。私たちと共に、学んでいこう」
「はい……」
美顔が近すぎて、胸板が逞しすぎて、レアンの言葉が全然入ってこない。
只々、この先の展開に期待しかない。
それしか考えられなかった。
神木陽向が主人公カロンに転生を果たしたのは、奇しくも夜神がリリムに転生した一か月後だった。
二人が再開を果たすのは、このすぐ後になるのだが。
リリムに転生した夜神が存在する『魅惑の果実』の変わり様に驚愕する羽目になろうとは、この時は思いもしなかった。