15. シェーンの覚醒
目を開いたら、近くにシェーンの顔があった。
艶を帯びた瞳がリリムを見下ろしている。
(僕が覚醒さても、害はないのか? カロンとの絆に障りには、ならないのか?)
リリムはシェーンに手を伸ばした。
紅潮した頬に触れる。
「シェーンは、我慢しているのか? 辛いのか?」
シェーンの目が泣きそうに歪んだ。
「我慢……、してるよ。ずっと、してる。最近は特に、辛い。そろそろ耐えられそうにないって、思う。だからリリムに会いに来たんだよ」
シェーンが自分の額をリリムの額に、こつんとあてた。
(そんなに、辛かったのか。全然、わからなかった)
もしかしたらシェーンは、自分が『五感の護り』だと気が付いてリリムに相談にきたのかもしれない。
(これだけ辛そうな顔をしているんだ。シェーンも限界なんだ。僕がこの場で、覚醒させてやれば、楽になれるかもしれない)
仮にカロンとの絆に支障が出たら、その時は自分がフォローする。
アンドラスの話が本当なら、『魔実』は『神実』の力になれる。
(きっと、大丈夫だ。僕が何とかしてみせる。今は、シェーンを救わなければ)
リリムは頬に添えていた手を、シェーンの首に回した。
「これが正しいのか、僕にはわからないんだが。少しでもシェーンが楽になってくれたらいいと、思う」
「リリム……」
シェーンの首を引き寄せる。
髪を避けて、項に唇をあてた。
「ぇ……、そんな場所……、ぁっ……!」
魔力を吸い上げるつもりで、強く吸った。
リリムにしがみ付くシェーンを抱き寄せる。
ビクビク震える体を支えて、項に吸い付く。
シェーンの中の大きな魔力が吹き出したのを感じた。
「ぁ……、そんな……、リリムが、『魔実』なの?」
リリムにしがみ付くシェーンが、驚愕している。
「僕は『魔実』だ。シェーンは『五感の護り』:耳だ。僕との触れ合いで、シェーンは覚醒した。わかるか?」
シェーンが驚きながら、頷いた。
「わかるよ。体の中に、魔力を感じる。リリムの声が、今まで以上に特別に響く」
シェーンがリリムの頬に手を伸ばした。
「ずっと特別だった、リリムの声。子供の頃から、ずっと。間違ってなかったんだね。やっぱりリリムは、俺の特別だよ」
シェーンがリリムの頬に口付ける。
唇が触れた場所が、熱い。
(リリムは特別って、レアンと同じ言葉を、シェーンも言うんだな。覚醒の合図なのかな)
リリムの頬に何度か口付けたシェーンが、体を強く抱きしめる。
中々、離れようとしない。
「シェーン、あまり強くするのは……」
「早速、約束を破ったね、リリム。お仕置きが必要かな」
レアンの声が聴こえたと思ったら、いつの間にか目の前にいた。
いつものにこやかな笑みがすっかり消えて、不機嫌な顔をしている。
レアンにしては珍しい表情だと思った。
「どうやって、部屋に……」
「学院内で転移魔法なんて、もしかして、かなり慌てて来た? レアン」
リリムを抱いたまま、シェーンが嬉しそうな笑みをレアンに向ける。
「あれだけ大きな魔力を感じたら、慌てもするよ」
レアンが不機嫌に大きく息を吐いた。
「そんなに大きな魔力が溢れたのか?」
「かなり膨大で強い魔力が、この部屋から溢れていたよ。気が付いたのは私だけでは、ないはずだ。『五感の護り』候補なら、感じ取ったかもしれない。覚悟するんだね、リリム」
レアンの目が、とても怒っている。
(それは、そうだ。内緒にしてくれとお願いしたのは、僕だったのに。自分から立場を明かすような真似をした)
リリムはレアンに向き直り、頭を下げた。
「すまない、レアン。レアンは僕を気遣ってくれたのに、内緒にしてほしいとお願いした僕が、約束を破った。レアンが怒るのは当然だと思う」
『神実』が見付かるまで、リリムが『魔実』である事実は伏せなければならないのに。今のシェーンの覚醒で気付かれた範囲は、見当がつかない。
王室への報告すら保留にしてくれているレアンの誠意に背く行為だ。
「それも問題なんだけど。私が怒っているのは、そうじゃなくてね」
レアンが頭を抱えている。
「シェーンは、覚醒しかけていたんだ。本人もそのせいで、とても辛そうだった。このままにしてはいけないと、思った。だけど、それは、僕の言い訳だ」
レアンが顔を上げた。
何かに驚いた顔をしている。
リリムの肩を抱いているシェーンも、よくわからない顔をしていた。
「えっと……、リリム? 俺が辛そうって、『五感の護り』として覚醒しかけているから、辛そうだって、思ったの?」
シェーンが確認するように問い掛ける。
リリムは普通に頷いた。
「シェーンも、もう耐えられそうにないって、言っていたから。辛いなら覚醒させるべきだと、判断した」
アンドラスもシェーンに我慢させるのは無意味だと話した。
だから思い切ったのだが。
(アンドラスのことは、レアンやシェーンには話さない方がいいだろう。二人は本来、『神実』であるカロンの守護者だ。悪魔の話はできない)
特にレアンは光属性で、神に近い魔法属性だ。
絶対に話せない。
シェーンとリリムを眺めていたレアンが、ぷっと吹き出した。
「つまりリリムは人助けのつもりで、シェーンの項に噛みついたんだね」
「人助けというか、シェーンが『五感の護り』なのは知っていたから……、気が付いたから、一番良い解決だと思った」
さりげなく言葉を言い直す。
リリムが知っていてはいけない事実だが、『魔実』であるリリムが気付く分には問題ないだろう。
「そうだよね。今のリリムは、そんな感じだよね」
シェーンが残念そうに呟いた。
何となく、がっかりして見える。
「駄目だったろうか。シェーンの辛さは、楽にならなかったか?」
シェーンが微妙な顔をリリムに向けた。
「うーん、前より辛くなったというか、楽になったというか。でも、リリムが俺の項にキスしてくれたのは、嬉しかったよ。護りの印を俺に付けてくれたのがリリムで、嬉しいよ」
シェーンがリリムの頬に口付ける。
「護りの印?」
「我々、『五感の護り』が覚醒する時にもらう印だよ。私の項にもある」
レアンが自分の項を見せてくれた。
確かに、紅い痣が残っている。
(ハートみたいな形だ。可愛いな。ということは、あれはリリムが付けたのか)
そんな設定あっただろうか、と小説の内容を振り返る。
小説ではキスではなく強い抱擁で覚醒という設定だったから、なかったんだろうか。
レアンが、がっかりした苦笑を零した。
「あーぁ、どこにキスするのか、気が付いてしまったね。こうならないように、わざと教えなかったのにな。どうして、気が付いたんだい?」
気が付いたというか、何となくではあるが。
「魔法訓練の時、レアンが僕の項に噛みついたから、同じにしてみた」
「あぁ、なるほどね。果実の印も同じ場所だからね」
やっぱりレアンが、がっかりしている。
シェーンが慌てた様子でリリムの項に指を滑らせた。
「本当だ、ハート形の印がある。どうして今まで、気が付かなかったんだろう」
「リリムに果実の印をつけたのが数日前だから、というのもあるけど。見えないんだよ、普通は。シェーンは覚醒したから見えているんだよ。ちなみに、リリムを覚醒させたのは、私だからね」
レアンが得意げな顔をする。
シェーンが、悔しそうにレアンを眺めた。
「レアンは先んじて覚醒していたわけだ。まさか、十歳のリリムに項を噛まれたの?」
「そうだよ。私とリリムは昔から、そういう仲だからね」
レアンがリリムに目配せする。
リリムは首を傾げた。
十歳の頃のリリムとレアンの関係を、リリム夜神は知らない。
残念そうにするレアンを、シェーンが笑った。
「ダメだよ、レアン。リリムは何も覚えていないんだから。覚えていても、今のリリムには期待できないよ」
「わかっているよ。全部、最初からやり直しだ。だからシェーン、今後は抜け駆けは、なしだ」
レアンが、いつもは見せないような冷めた目をシェーンに向けた。
「へぇ、もしかして本気になってる? レアンなのに珍しいね」
シェーンが挑戦的な視線をレアンに投げた。
何となく、緊迫した空気だ。
「先に抜け駆けしたのはレアンなんだから、文句を言われる筋合いはないよ。とりあえず、二人でどこに行こうとしていたのか、教えて欲しいかな。抜け駆けナシ、でしょ?」
リリムの肩を抱いて、シェーンが笑んだ。
シェーンとリリムを眺めて、レアンが深い息を吐いた。|