11. リリム夜神の苦悩
レアンと魔法訓練をした次の日。
リリム夜神は自室のベッドに横たわっていた。
今日はカデルとの剣の練習も、フェリムとの勉強会も、ルカとシェーンとのお茶会も断った。
授業も休んで部屋に引きこもっている。
落ち込んでいる訳でも自暴自棄になっている訳でもない。
一度冷静に、現状を整理したかった。
昨日の魔法訓練で、リリムはレアンに半ば強引に『魔実』として覚醒させられた。
この状況で『五感の護り』候補と接触すれば、覚醒させてしまう可能性がある。
(しかし、それは僕の役割じゃない。それは主人公である『神実』カロン=ラインが成すべき役割だ)
今日の引きこもりは、無駄な接触を避けるためでもあった。
(昨日の段階で、僕の『魔実』としての覚醒はレアンと二人だけの秘密にした。レアンは約束を守ってくれる、はずだ)
レアンの話では、リリムが『魔実』だと気が付いたのは十歳の時、なのだそうだ。
リリムに触れたレアンが『五感の護り』目として覚醒した。
覚醒しそうになったリリムは、それを拒否した。
(果実を覚醒させないために、怠惰になったとレアンは話していた)
その話は、フェリムやシェーンの昔語りとも合致する。
ヒーローだったリリムが怠惰になった、きっかけだ。
(僕が理想の悪役令息になるために努力したから、果実が育って、覚醒した。物語は今後、どうなるのだろう)
カロン=ラインはまだ入学していない。
それどころか、レアンはまだ見付けていない。
つまり物語は、始まってすらいない。
なのに、カロンとの接触で覚醒するはずのレアンは既に『五感の護り』として覚醒している。
(始まる前から原作にない設定が追加になった。そもそもリリムという人物は、小説の中の存在とは少し違った)
学院でのリリム=ヴァンベルムは小説の人物設定のままだ。
しかし、主要メンバーである『五感の護り』が話す幼少期のリリムは別キャラだ。
真面目で格好良い正義の人、ヒーロー。しかも魔性の実である『魔実』という特別だ。
(小説には一文字もなかった設定だ。僕が転生したから、リリムの幼少期の設定が追加になった? というか、子供の頃の僕に、とても似ている)
今でこそ冷静沈着な生徒会長と呼ばれる夜神だが、子供の頃はやんちゃだった。リリムとは違う意味で変わったと言われる。
(僕はこの世界で生きていたのだろうか。前世の記憶を、思い出しただけなのだろうか)
と思うのはきっと、考え過ぎだろう。
レアンはじめ、登場人物たちだって微妙に性格が違っている。
夜神が転生した悪役令息リリムに多少の変化があっても、不思議ではない。
(最終的に、悪役令息の僕が闇堕ちしてラスボスになり、カロンに倒されれば、問題ないだろう)
という結論に至った。
「そういえば、闇堕ちとは、どういう意味だろう。調べておけば良かったな」
悪役令息は調べたのに、闇堕ちを調べていなかった。
ネット小説など滅多に読まないから、よくわからない。
「物語を読んでいる中では、落ちるべき闇らしき描写はなかったと思うが。ラスボスになるための闇のような場所が、あるのだろうか」
物語の中でも、リリムが闇っぽい場所に堕ちた描写はなかった。
『魅惑の果実』独自の設定という訳でもなさそうだ。
「彼がいたら、聞けるんだけどな」
未だに思い出せない、かつてのクラスメイトを想う。
彼が紹介してくれた小説に転生したせいが、時折、存在を思い出す。
思い出すのに、顔も名前も浮かんでこない。
「……会いたいな」
ぽつりと呟いたら、やけに懐かしくなった。
コン、コン……。
控えめに扉をノックする音が響いた。
「リリム、いますか? 体調は、大丈夫ですか?」
フェリムの声だ。
そういえば、いつもならこの時間はフェリムと勉強している。
今日は先んじて勉強会をキャンセルしたはずだ。
心配して様子を見に来てくれたのだろうか。
「居るし、大丈夫……、いや、ダメだ。とても駄目だ」
大丈夫といったら、扉を開けないといけない。
フェリムに接触したら、『五感の護り』として覚醒させるかもしれない。
「とても駄目⁉ どうしたんですか? 何があったんですか? お手伝いできることは、ありますか」
フェリムが扉の向こうで慌てている。
リリムはオロオロしながら扉に近付いた。
「駄目なのは、だから……、フェリムに会うのが、ダメなんだ。今……、風邪! 風邪をひいているから、うつすかもしれない。だから、今日は、勉強は休みで」
「勉強会は、良いんです。リリムが一人で辛いんじゃないかと思って」
「僕は大丈夫だ。寝ていれば、治るから」
「レアン皇子に声をかけましょうか? 光魔法の治癒術なら、風邪くらいすぐに治してもらえますよ」
「風邪くらいで魔法は贅沢……」
と言いかけて、リリムは思い付いた。
「レアンに、声を掛けて欲しい。部屋に来てほしいと、話してくれるか?」
フェリムたちとの接触を恐れて、引きこもり続けるわけにはいかない。
打開策を考えたいが、一人では良い案も浮かばない。
今は、事情を知っているレアンを頼る他にない。
「わかりました。声掛けしますね」
「ありがとう。手間をかけて、すまない」
「いえ……。私が水魔法以外も使えたら、リリムを治してあげられたのに」
残念そうな声音が響く。
「来てくれただけで助かった。ありがとう、フェリム。少し心細かったから、嬉しいよ」
何となくナイーブになっていたから、良いタイミングだった。
「……今すぐに扉を開けて、抱きしめたいです」
扉越しのフェリムの声が小さく聞こえた。
近付いて風邪を貰ってくれるつもりだろうか。
昔のフェリムはリリムの子分だったらしいから、まだそういう性分が残っているのかもしれない。
大変、よろしくない。
「……風邪はうつすと治るというが、フェリムにうつすわけにはいかない。フェリムは子分じゃなくて友人だ。自分を傷付けるようなやり方で助けて欲しいとは思っていない」
「そうじゃない……。伝わってないんだ」
フェリムが何か言っているが、扉越しのせいで小さい声が聴こえない。
リリムは扉に寄った。
「……すぐにレアン皇子に声を掛けますから、待っていてください。……私も光魔法を使えたら、扉を開けてすぐにでもリリムに……」
足音と声が遠ざかっていく。
「ありがとう……」
多分もう聞こえないだろうなと思うながら、リリムは礼を言った。
リリムは自分の胸に手を当てた。
胸の奥に、確かに『魔実』の拍動を感じる。
「どうしてリリムは、果実の覚醒を拒否したのだろう」
自分という人間の性格を曲げてまで、覚醒させたくなかった理由が知りたくなった。
考えれば届きそうな場所にある答えに手を伸ばすのは、今は少しだけ怖かった。