10. 魔性の実『魔実』
「それより私は、リリムの疑問に答えてやれる」
「魔法が、使えない、理由?」
レアンがリリムの体を抱き直す。
大事に抱えて、耳に指を滑らせた。
「リリムは魔性の実『魔実』だ。『神実』と対を成す特別だよ。私たち『五感の護り』が守るべき、もう一人の果実だ」
咄嗟に脳が反応できなかった。
(魔性の実? とは、なんだ? そんなもの、小説には出てこなかった。そもそも僕は主人公に倒されるラスボスだぞ。対を成す特別って、何だ?)
しかも、レアンは『五感の護り』として、すでに覚醒している話振りだ。
レアンの覚醒は、森の中で偶然、カロンと出会った時に起こるエピソードのはずだ。
「私は『五感の護り』の目だ。リリムの胸の中に息づく果実が、良く見えているよ」
「そんな……、なん、で……」
全く理解できない。
自分の中に、小説には出てこなかった果実が存在することも。
レアンが既に覚醒している事実も。
何よりわからないのは、レアンがやけにリリムを大事そうに抱いて、うっとりと熱のこもった瞳で見つめている今だ。
「魔実に魔力を閉じ込められているせいで、今のリリムは魔法が使えない。私なら、リリムの魔力を解放できる。解放すれば、『魔実』として覚醒して、魔法が使えるようになるよ」
レアンの指がリリムの胸を這う。
くすぐったくて、ぞわぞわする。
「待て、なんで、僕に、果実なんか、あるワケ……」
さっきからレアンの拘束魔法のせいで、うまく話せない。
ぎこちなく話すリリムすら、レアンは愛おしそうに眺めている。
「リリムは努力をやめて特別を拒否した。だけど、最近のリリムはまた努力を始めた。リリムの中の果実は、すぐに育った。私は昔から知っていたよ。リリムは、いつか必ず特別な自分を受け入れる、とね」
「昔、から……」
どうやらレアンとリリムの間にも、小説にはないエピソードがあるらしい。
レアンの唇が、リリムの額に吸い付いた。
ドクリと大きく心臓が跳ねた。
(なんだ、何だ、今の……、体、熱い、息が、苦しい)
レアンが愛おしそうにリリムの喉を指でなぞった。
「苦しいだろう。果実が中途半端に覚醒すると、リリムの命を吸うんだ。しっかり覚醒させないと、死んでしまうね」
恐ろしいことをさらりと言ってくれる。
つまり今、レアンはリリムの中の果実を中途半端に覚醒させた、のだろうか。
「ちゃんと覚醒させてほしかったら、私の質問に答えて」
「な、に……」
体に力が入らなくて、呼吸すら苦しい。
果実の覚醒のせいなのか、レアンの拘束魔法のせいなのか、わからない。
だが、このままだと本当に死ぬかもしれない。
「お前は、誰だ? 二週間前までのリリム=ヴァンベルムではない。どんな魔法を使い、入れ替わった? 誰に雇われた? ヴァンベルム家を潰したいか? ミレニア王国の『神実』が欲しいか?」
突然、冷ややかな声音が響いて、胸に冷たいものが流れた。
レアンの手がリリムの顎を掴んで上向かせた。
「答えは慎重に選んだほうがいい。言うまでもないが、お前の命は、私が握っている。返答次第では、この場で溶かす。骨すら残さないようにね」
先ほどまでの熱っぽい目は、すっかり冷えていた。
あまりの豹変ぶりに、恐怖が追い付かない。
(レアンは、こんなキャラだったか? 主人公に寄り添う優しくて強い王子ではなかったか。品行方正で、裏の仕事なんか縁がない、真っ白な王子様だ)
少なくとも小説の中のレアンは、そういうキャラだ。
国家の害になりそうな異分子候補を秘密裏に始末するような汚れ仕事はしない。
(そういう仕事は、悪役令息である、この僕こそがふさわしい。光属性の第一皇子の仕事ではない。国は皇子に何をさせているんだ、情けない)
じわじわと腹が立ってきた。
リリムは力を籠めて、何とか右手を動かし、レアンの腕を握った。
「僕は、リリムだ。リリム=ヴァンベルムだ。僕を殺すべきはレアンじゃない。そういう汚れ仕事は全部、僕に回せ。僕がこの国の異分子を総て排除してやる。レアンは常に明るい場所にいろ」
レアンの腕を握る手に力を籠める。
「王位継承権を持つ皇子が、暗殺などに手を染めるな」
強い瞳で睨みつける。
レアンの目が見開いた。
「……あぁ、やっぱり、リリムは私の特別だ」
レアンの腕が、リリムの体を強く抱きしめた。
リリムの項に噛みつくと、強く吸い上げた。
「え? ……ぁ、ぁぁあ!」
体の奥にある何かを引き上げられるような感覚がした。
レアンの唇が吸い付いた項が、熱を増す。
体中に魔力が満ちて、体の外に吹き出した。
「もう、魔法が使えるだろう」
レアンの声が、普段に戻った。
吹き出した魔力を体の中に収める。
使い方なんか知らないはずなのに、練り方も収め方も、魔術の使い方も体感でわかる。
項に吸い付いたレアンの唇から、総てを流し込まれたようだった。
「何か、感じるかい?」
レアンの指が、リリムの胸を突く。
「胸の奥に、高揚した魔力の塊を感じる。これが、『魔実』か?」
「そうだよ。リリムは『魔実』として覚醒した。これで私と一緒に『神実』を探せるね」
レアンが嬉しそうに笑んだ。
その笑顔が確信めいていて、疑問を感じた。
「レアン、さっきの暗殺まがいの脅しは?」
「私のアドリブだよ。あれくらい追い詰めないと、リリムはまた果実を拒否すると思ったから。リリムが素敵すぎたせいで、私が我慢できなくて途中でがっついたけど」
レアンが嬉しそうに笑う。
何となく、レアンの雰囲気がいつもよりラフだ。
「また? 僕は過去にも、『魔実』……というのを、拒否したのか?」
「本当に、何も覚えていないのかい?」
レアンの問いかけに、リリムは頷いた。
「リリムは学院に入る前から自分が『魔実』だと知っていた。私はリリムに触れて目として覚醒したんだ。リリムは自分の中の『魔実』を覚醒させないために、努力をやめて怠惰になったんだよ」
呆気にとられて言葉にならなかった。
そんな話は小説にない。
それどころか小説の流れすら歪めかねない新設定だ。
「その話、他に知っている人は……」
「いないよ。私とリリムの秘密だからね。何故だと思う?」
レアンが意味深な問いを投げる。
「レアンが目で、僕の中の『魔実』を見付けた、から?」
「そうだけど、そうじゃない。やっぱり覚えていないんだね。全部、最初からやり直しか」
レアンが残念そうな顔で、リリムの唇を指でなぞった。
ドキリとして、動けなかった。
「けど、そのほうが私には都合がいいし、楽しそうだ。もう一度、最初からやり直そう。ね、リリム」
レアンが、リリムの頬に口付ける。
ビクリとして、体が固まった。
「今日はリリムの項に噛みつけたから、良しとするよ」
「噛み……」
ドキリとして、自分の項を手で覆う。
レアンが悪戯に笑んだ。
「リリムの『魔実』としての覚醒に必要な術だよ。『五感の護り』としての役目を果たした。現時点で『魔実』と『神実』を覚醒させられるのは、目として覚醒している私だけだからね」
レアンが、意味深な笑みを湛える。
なるようになると思っていたリリム夜神の努力が、予想しなかった方向に実を結び始めている。
至高の悪役令息、闇堕ちラスボスになる目標に罅が入る音が聞こえた。