05 じゃじゃ馬vsヴィクター様
ヴィクター様がミドルトン家の屋敷を訪れたのは、屋敷中の庭の改修工事がひととおり終わったころだった。
私たちの結婚が決まってから、既に五ヶ月が経っている。
その間ヴィクター様からの私への直接的な連絡は一切なかった。
ハイデン家執事長のトムソンの話では、ヴィクター様はずっと、王国軍が行っている、軍事演習に参加していたらしい。
それでも結婚が決まった幼馴染の私に、手紙の一枚くらい出せないものだろうか。私からは何枚か手紙を送っていただけに、返事のないことが余計に恐ろしかった。
――どうしよう。ついにヴィクター様がきちゃったわ! こんなに無言で放置されて、私がどれだけ怖かったか!
――できるだけ思い出さないようにしてたのに。あぁ、神様……! 死にたくない!
彼の冷たい視線を思い出して、私は朝から震えていた。
だけど結婚しようが逃げ出そうが、私には死あるのみなのだ。
「エリカ? なんて顔をしているの」
「だって、お母様……」
「バカな噂ばかり気にしていないで、公爵様本人からしっかり話を聞きなさい。夫婦は相手を理解しようという気持ちが大切よ」
「わかりました……」
青ざめたままの私の背中を、お母様がぐいっと押し出した。
前庭に出ると、ヴィクター様は静かに辺りを見回しながら、私が出てくるのを待っていた。
私の思いどおりに造り変えた庭を背景に、つややかな銀髪が揺れている。
あまりに絵になるその光景に、私は怖がっていたのも忘れ、ついついヴィクター様に見惚れてしまった。
――きれい……。ヴィクター様がいると、お庭の完成度があがったみたい。
私の視線に気づいたヴィクター様が、ゆっくりと顔をこちらに向ける。
「エリカ……?」
「ヴィクター様……」
長い沈黙が、私たちを包み込んだ。私はもう、猛獣の前に差し出された子ウサギの気分だ。
なにも言えず固まっていると、ヴィクター様は視線を庭にもどした。
「……素晴らしい庭だね。少し懐かしい雰囲気も残っているが、昔よりずっと美しくなった」
「……えぇ。私のこだわりがいっぱいなんですよ」
「君は昔から、本当にセンスがいいね」
「まぁ! 本当に? そう思ってくださいますか?」
「ずっとそう思っていたよ」
ヴィクター様に褒められ、すぐに嬉しくなってしまう私。『センスがいい』は、私にとって最高の褒め言葉なのだ。
私はまた恐怖心を忘れ、彼のそばに歩み寄っていた。
「うれしいです。それなら、私のお気に入りの場所を案内しますね!」
「ありがとう」
私は得意になって、屋敷の庭を次々にヴィクター様に案内した。
彼は圧倒された様子で周りを見回しては、何度も庭を褒めてくれた。
そして私たちは、咲き誇る薔薇に囲まれた、白いガゼボにやってきた。
風に乗って漂う薔薇の香りが、柔らかく私たちを包んでいる。
「ついつい夢中になってしまいました。お疲れじゃないですか? 少しここで休みましょうか」
「そうだね。案内ありがとう、エリカ」
ヴィクター様は親しげに私の名前を呼んでくれる。それは子供のころ大好きだった、あの優しくて柔らかな声だ。
楽しかった記憶が蘇ると、じんわりと胸が温かくなってくる。
風に乗って漂う薔薇の香りに包まれながら、私はあのころと同じように、彼の隣りに腰を下ろした。
ヴィクター様は目を細めて、私の作った庭を眺めている。
「本当に美しいね。独創的で、華やかで、まるであの舞踏会の日の君のようだ……」
「ヴィクター様……?」
庭を眺めていたはずのヴィクター様が、いつのまにか私を見詰めている。その眼差しは、舞踏会の日の鋭い目つきとは違い、なんだかとても悲しげだ。
「エリカ……。あの日は本当にすまなかったね。いきなり声を掛けたりして、君を怖がらせるつもりはなかったんだ」
「ヴィクター様……、あの噂、思った以上に気にしていらしたんですね」
「当然だよ。最近は妹のダフネだけじゃなく、あちこちで令嬢を捕まえては殺していることになっているからね」
「先月も美しいご令嬢を、二人殺したと聞きました」
「私はこれ以上噂が広まらないようにと、男しかいない軍事基地で、ずっと演習に参加していたんだけどね….…」
「そうだったんですか……。あんまりですね……。ですが、こんなひどい噂を流されて、どうしてヴィクター様は、否定されないんですか?」
「あ、あぁ、それをまだ言ってなかったね……。実は、私はあの日の記憶がないんだよ。死んでしまったダフネの隣で、気を失っていたらしくてね。気がついたときには三日が経っていた。だから、私がダフネを殺したと言われても、はっきりとは否定できないんだ……」
「まぁ……!」
「だ、だが、私は、けして可愛い妹を殺した殺人鬼なんかではない……! と、自分では考えている。そして、けして君を傷つけるようなこともしないつもりだ。……君には信じて、もらえるだろうか」
目の前で私を見上げる彼の顔が、あまりにも悲しげでつらそうで、私の胸がずきりと痛む。
可愛がっていた妹を失っただけでもつらいのに、ヴィクター様はずっと自分を完全には信じられないまま、こんな心無い噂への対策に追われていたのだ。
王国軍の軍事演習も、恐ろしい噂で落ちてしまったハイデン家の名誉を回復するため、何度も参加しているという。
――私ったら、ヴィクター様がこんなに苦しんできたなんて考えもせずに、あんな噂に踊らされて……。
――この誠実な瞳を見れば、この人が嘘をついていないのは明らかだわ。私は二度と、この噂を信じない。
そう思った私は、彼の真剣な眼差しに応えるように頷いた。
「よかった。ありがとう、エリカ」
安心したようにそう言って、ヴィクター様は突然、私の前に跪いた。
「あの舞踏会の日、私は、遠くから一目、君の姿が見られれば……。そう思って出かけたはずだった。しかし、声を掛けずにいられなかったんだ……。久しぶりに見た君が、あまりに綺麗で……、君の周りにいた男たちに嫉妬して……」
「えっ!?」
私は顔が熱くなるのを感じて、思わずヴィクター様から顔を逸らした。
こんなに美しいヴィクター様が、あのダンス要員たちに嫉妬していたなんて、誰に想像できるだろうか。
――やだ。もしかして、それでずっと無言だったんですか……? ヴィクター様、可愛すぎ……。
真剣な瞳で私を見上げながら、臆面もなく甘い言葉を口にするヴィクター様。
その切ない声とどこか悲しげな表情に、私の胸がキュンキュンと締め付けられる。
こんなふうに謝罪され、彼の苦しみや努力、そして私への思いを知ってしまっては、もうとても殺人鬼だなんて思えない。
気がつくと私は、ヴィクター様の手を取っていた。
「私のほうこそ、急に逃げ出したりしてごめんなさい。だけどあれには、いろいろと事情が……」
私がお母様に着せられたカビ臭いドレスの袖を、馬車の中で引きちぎった話をすると、ヴィクター様は楽しげに笑みを浮かべた。
「ふふ。君もミドルトン婦人も相変わらずだね」
「昔からじゃじゃ馬だっておっしゃりたいんですか?」
「いや、そういう意味ではないよ。ただ、君の大胆さと自由な発想には、いつも驚かされていたから」
ヴィクター様の言葉に、私は少し照れくさくなってしまった。
私の前で膝をついたままのヴィクター様は、さっきまでよりもさらに真剣な表情を浮かべている。
「実を言うと、私は子供のころから、君との結婚を夢見ていたんだ。結婚の話がまとまって、私がどれほど浮かれているか、君には想像もつかないだろうな」
「まぁ……! ヴィクター様、さっきからお上手がすぎますよ?」
「そうではないよ。目の前に君がいると、私はおかしくなってしまうんだ」
眩しそうに目を細めて、私を見詰めるヴィクター様。思ってもみないことを言われ、私の胸が高鳴っていく。
この胸の高鳴りは、ヴィクター様への恋心のせいなのか、それともまだ心に微かに残る、彼への恐怖心のせいだろうか。
「君も知ってのとおり、私のおぞましい噂のせいで、ハイデン家の名誉は地に落ちている。
私には、君を幸せにすることができないかもしれない、そう思うと、なかなか結婚を申し込むことができなかった。
だけど、ジェロムから君の結婚の話がまとまりそうだと聞かされたとき、また居ても立っても居られなくなってしまったんだ。
こんな私の願いを、聞き入れてもらえるとは思わなかったが、私はもう、自分から君を諦めたくはないんだ」
ヴィクター様が私の手を握り返す。彼の瞳は不安げに揺れ、手には微かな震えが感じられた。
彼の言葉や行動を、私は信じていいのだろうか。だけど私には、彼を不審に思う理由が、まだ少し残っていた。
せっかくならいまここで、その不安を解消したい。
私は少し意地悪く口を窄めて、責めるようにヴィクター様を見つめ返した。
「ヴィクター様、もし、あなたが本当に、私を好いてくださっているなら、どうしてあんな冷たい書面で、結婚を申しこんだりしたんです?」
私がそう言うと、私を愛おしげに見つめていたヴィクター様が、表情を曇らせてすこし顔を逸らした。
「す……すまない。父の遺言で、私の書く手紙は、全て執事長のトムソンがチェックすることになっていてね。私がどんなに君への思いを綴っても、全て定型分のような文章に書き直されてしまうんだ。
いままでに君への手紙を、何枚破られたかわからないよ。紳士たるもの、節度をわきまえるべきだと言われてしまって……」
「まぁ! あの頑固そうなおじいさんが!」
厳しい顔で歩くトムソンの姿を思い出し、それが頑固なお母様の顔と重なって、私は思わず顔を顰めた。
どこの家も大変なのだと思うと、ヴィクター様に同情の気持ちもわいてくる。
「ふふ」「あはは……」
私たちはお互いに、顔を見合わせて笑ってしまった。
「……エリカ。私はこの結婚を承諾したのが、君ではないことを理解している。だからいま一度、きみの意思を確認したい。
もしどうしても君が嫌だというなら、私は君の意思を尊重するつもりだ。
エリカ・ケイ・ミドルトン伯爵令嬢、あらためてプロポーズさせてください。私と、結婚していただけますか?」
ヴィクター様は私の手を自分の方に引き寄せながら、懇願するように私を見上げる。
その美しい瞳に魅せられて、私は即答していたのだった。
「はい、もちろんです」
お読みいただきありがとうございます!
なにやらいろいろと事情があった様子のヴィクターに、あらためてプロポーズされるエリカ。
すっかり信じてしまいましたが、彼女は餌食になってしまうのか。
次回、エリカはハイデン城の状況に愕然とします。
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