04 じゃじゃ馬vs過酷な運命
ヴィクター様との結婚が決まってからというもの、私は親友のユリアを頻繁に私の部屋の前庭まで呼び出していた。
今日は灰色の雲が低くたれこめ、庭の木々が不穏に揺れている。
私は落ち着かない気持ちで、ユリアの耳元に顔を寄せた。
「ユリア。明日、私はこの家を出るわ。殺人鬼と結婚するくらいなら、貴族としての暮らしを捨てた方が、まだ安全な気がするの」
迷いに揺れ動く心が、私の声を震わせている。私の言葉に反応するように、木々が騒がしくざわめいた。
ユリアは驚きの表情を浮かべ、私の顔を見つめている。
「エリカ、思いとどまってちょうだい。家出なんてしたら、それこそ悲惨な目に遭うわよ」
「大丈夫、うまくいくわ! 聞いて、私の計画は……」
家出の計画を話そうとする私を静止するように、ユリアは首を横に振った。
彼女の深刻な表情に、私は思わず口を閉じる。
ユリアはより重々しい声をだし、私に恐ろしい警告をはじめた。
「だめよエリカ。もし逃げ出せたとしても、問題はその後なんだから。身元を隠して生きるなんて、ろくな仕事にもつけないわ。路頭に迷って病気で死ぬか、最悪、奴隷にされる運命よ。あなたも聞いたことがあるでしょう?」
いつも朗らかなユリアの声が、ひどく低く抑えられている。
その声が教える現実は、貴族令嬢なら一度は聞いたことのある話だ。
続く言葉を失い、口を尖らせた私をまっすぐに見るユリア。彼女はとどめを刺す直前の殺人鬼のように、青い瞳をギラリと輝かせた。
「……それだけじゃないわ。ミドルトン家の名声は地に堕ちて没落。怒った公爵家の親族が血眼であなたを探すことになるわ。そのあとはもう、地獄絵図よ」
「ひっ、最悪ね。ユリア、私を脅すのがうますぎなのよ」
ユリアの迫力に怖気付いてしまい、私は大きなため息をついた。
家出が賢明でないことは、私にも十分わかっていた。逃げても結局殺されるなら、逃げない方がいいに決まっている。
私のせいで家が没落したのでは、あの世に行っても責められそうだ。
「あぁ! どうしてなの? こんなのってあんまりよ! 私ってきっと、不幸の星のもとに生まれてきたんだわ!」
私は天を仰ぎながら、自分の運命を呪った。瞳には涙が溢れてくる。
だけどユリアは、私が家出を諦めたとみると、満足したようににまりと笑った。
美しい薔薇の彩飾が施されたティーカップを手に、「やれやれ」と言わんばかりに、温かい紅茶を口に含む。
「エリカ。そんなに心配しなくて大丈夫よ。私は悪い話だとは思わないわ。公爵様の噂なんてきっとでたらめよ」
「どうしてそう思うのよ」
「だって、もしも公爵様が本当に殺人鬼なら、あなたをターゲットにはしないと思うから」
「えっ? どういうこと?」
私がユリアに向き直ると、ユリアはその上品な口元に、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「だって、殺すならあなたみたいなじゃじゃ馬よりも、お淑やかな令嬢の方が簡単じゃない?」
「ユリアったら、ひどいわ。親友がこんなに不幸なのに、どうしてそんなことが言えるのよ?」
傷心の私をからかうユリアに、私は唇を尖らせた。それなのにユリアは、少しも動じる様子がない。
彼女はティーカップをテーブルに戻すと、優しい笑顔を浮かべて私を見つめた。
「ねぇ、エリカ。あなたは不幸なんかじゃないわ。いまだってあなたは幸せなはずよ。ほら、もっと目を開いて、感じてみて? ここにだって幸せはあるわ」
「え? ここに、幸せが?」
「そうよ、よく見て。あなたの周りにたくさんあるわよ。ほぉら、ほら」
なんのことだか分からずに、私はキョロキョロと周りを見回した。
ここは私の部屋の前庭だ。広くて手入れもされているけど、小さい頃からなにも変わらない、ただ退屈な庭だった。
ユリアはどうやら、また私をからかって遊んでいるらしい。
私が顔を顰めると、ユリアはうふふと意味ありげに笑った。
「わからないかしら? あなたはいま、素敵な親友とティータイムを楽しんでいるじゃない? 自分だけの庭園で飲む香り高い紅茶と濃厚なチョコレート。これってすごく幸せなことよ。ほら、あーん」
ユリアはそう言うと、私の口にチョコレートをひとつ運んだ。甘くてほろ苦い味が口に広がる。
――やだ美味しい! とろけちゃう!
そのあまりの美味しさに、私は目を細めて口元を緩めた。
これは私がジェロムお兄様に頼んで買ってきてもらった、超人気店のチョコレートだ。
これを手に入れるため、お兄様は朝から二時間も並んでくれた。
――ムカつくけど優しいところもあるのよね。お兄様は。
もごもごと口を動かす私を、ユリアは満足げな顔で眺めている。
――はっ。しまった。
――あんなに不幸をアピールしたのに、チョコレートひとつで幸せになっちゃうなんて。
気恥ずかしさを誤魔化すように、私はわざと不満げな声を出した。
「ユリアったら、さっきから私をからかってばかりじゃない。親友の気持ちを分かろうともしない、わからず屋ね。こんなティータイムが私の幸せだっていうの?」
「あら、そんなこというと、呼ばれてももう来てあげないわよ?」
「うそよ、うそうそ。ごめんなさい! あなたとの時間は私の幸せ。認めるわ!」
「そうでしょ? うふふ」
ユリアはまるで百合の花束のように優雅に笑うと、両手で私の手を取った。
「私もよ、エリカ。あなたが居なくなってしまったら、私とっても寂しいわ。だから家出なんてしないでね。結婚相手は選べなくても、あなたなら幸せを見つけられるはずよ」
「そうね。わかったわ」
△
それからの私は、結婚以外の幸せを見つけるため、いろいろなことに挑戦していた。
あと数ヶ月もすれば、私はヴィクター様の餌食になってしまうのだ。残り少ない人生を、ただただ怯えて過ごしたのではもったいない。
そう思った私が、最近夢中になっているのが、自分の部屋の前庭を美しく飾ることだった。
「マリッサ、その地味な植木鉢は奥へお願い。目立つ場所には、華やかな薔薇を植えてちょうだい。それからローザ、もっと噴水を綺麗に磨いてね。石畳の汚れも残さないで。あ、アンナ! あなたはシダの手入れをしてちょうだい。枯らさないでね」
指示ばかり出しているのは、私が自分で動くわけにいかないからだった。
掃除をしたり土を触ったりしていると、お母様に叱られてしまう。
私が気軽に指示を出せる相手は、この三人の侍女しかいないのだ。
だけど私が次々に出す細かい指示に、侍女たちはものすごく不満げな顔をしている。
「お嬢様? どうして急に庭なんて触り出したんですか? いままでは庭師に適当に任せていたのに」
「だって、私の人生は短いし、思いどおりにならないんだもの。思いどおりになることだけでも、私の思ったようにするのよ。この庭は、私が幸せなティータイムを過ごすための場所なんだから、最高に幸せな空間にしないとね!」
「エリカお嬢様。薔薇なんて私には難しすぎます」
「わ、ドレスが汚れました」
「どうせすぐお嫁に行くのに、いまさらお庭なんて整えなくても……」
「あなたたち? 私のための幸せの空間なんだから、愚痴は禁止よ!」
あまり関係がいいとは言えない侍女たちは、私が止めても不満ばかりだ。
――私にとっては幸せのための空間でも、侍女たちにとっては違うのね。あんなに愚痴愚痴言われたんじゃ、私も幸せとは言えないわね。
――侍女たちにも、ここが幸せな場所だってこと、わからせてあげないと。
その日私は、侍女たちのためにお菓子と紅茶を準備した。彼女たちを喜ばせるため、キッチンからできるだけいいものを選んできたのだ。
「頑張ってくれたあなたたちにも、この庭を楽しむ権利があるわ。ゆっくり堪能して、自分たちの仕事にどれだけの価値があったか感じてちょうだい」
「まぁ! これはいつもエリカ様が独り占めしている高級クッキーじゃないですか! 私たちがいただいていいんですか?」
「もちろんよ。その代わり明日からも、しっかり頑張ってもらうわよ」
「素敵な庭でのティータイムは最高ですね。みんなでもっともっと庭を綺麗にしましょう!」
そうして私は、張り切りだした侍女たちとともに、屋敷中の庭を華やかに飾りつけた。
お母様が私の整えた前庭を見て、「他の庭もお願いね」と言ってくれたのだ。
ミドルトン家の庭は広大なため、新たな庭師や職人も雇った。
毎日彼らに指示を出したり、労を労ったりする忙しい日々だ。
屋敷中の庭が美しく彩られていく。私はその変化と充実感に、満ち足りた気分になっていた。
ヴィクター様がこの場所に訪れたのは、屋敷中の庭の改修がひととおり終わったころだった。
残り少ない人生を少しでも幸せに過ごそうと、庭を美しく飾るエリカ。
次回、彼女の庭についにヴィクターがやってきます。