03 じゃじゃ馬vsお母様
「なんて格好をしているの!?」
宮廷舞踏会から逃げ帰った私を見て、お母様は悲鳴のような叫び声をあげた。そのまま執務室へ引きずっていかれる。
しつこく事情を聞いてくるお母様に、正直に起きた出来事を話した。
貴族たちは、他人の失敗の話が大好きだ。黙っていたところで、すぐにお母様の耳に入るだろう。
「伝統あるドレスになんてこと……。しかも公爵様とのダンスの途中で、逃げて帰ってきたなんて……。あなたの振る舞いは、ミドルトン家全体の名誉に関わることなのよ?」
「だって、あんなドレスじゃ、恥ずかしくてお友達に会えないわ……!」
「大切なドレスを破っておいて、よくそんなことが言えるわね」
「でも……、だって……」
不満でいっぱいの顔で、私はドレスの裾を握りしめた。そもそもの元凶は、場の色に合わないドレスで送りだされたことにある。
私のドレスアレンジは会場の雰囲気に合っていたと、いまでも私は自信がある。
いつも頭ごなしに私の好みを否定するお母様は、ちょっと頭が硬すぎるのだ。
「だいたいね、しっかりダンスの練習をしていれば、公爵様の足を踏んで逃げるなんて、失礼をすることもなかったでしょう?」
「だっ、だってそれは、ヴィクター様が怖かったから……」
「エリカ……。まさかあなた、公爵様が『殺人鬼』だなんて、あんな噂を信じているの? 小さい頃はあんなに懐いていたのに」
「ち、違うわ。違うけど……」
ヴィクター様が殺人鬼だなんて、私だって信じたくない。だけど実際に、ヴィクター様は怖かったのだ。
ギロリと何度も睨まれたし、ダンス中も黙ったままで……。
「まったくあなたは。伝統を蔑ろにするから、そうやって噂や流行に惑わされるんです」
「でも、お母様……! もう少し、私の話を聞いて!」
「いいえ。もう十分です。あなたの結婚相手はじっくり選ぶつもりだったけど、このままじゃ貰い手がなくなるわ。これ以上ミドルトン家の名誉が傷つく前に、あなたには結婚してもらいます」
「えぇっ、そんな……! 私まだ、結婚なんて……」
「お黙りなさい」
お母様は恐ろしく鋭い視線を私に向ける。
結婚は家同士の同盟のようなものだ。貴族令嬢が自分で相手を選ぶことはほとんどない。
それはこの貴族社会では当たり前で、皆が受け入れていることだった。
それでも知らない相手との結婚は、女性にとって大きな不安の種になっている。私にとってももちろんそうだ。
だからもう少し、せめてもう二、三年くらい、先延ばしにしてはもらえないだろうか。
私はお母様に泣きついたけれど、どんなに必死に訴えても、お母様の気持ちを変えることはできなかった。
伝統や名誉、義務や責任、家族の安全に地位の向上、次々に正論を持ち出されては、私のような子供に言えることはなにもない。
「わかりました……。すべてお母様の決定に従います」
最後にはそう言わされて、私はお母様の執務室を後にしたのだった。
△
その後お母様は、私の結婚相手を本格的に探しはじめた。
すでに何人かの候補が上がり、家同士の交渉が行われた。
だけど結婚に際し、両家が提示する条件は本当に多岐に渡るものだ。
持参金の金額一つでも、交渉が決裂することは少なくない。
話が水に流れては、また新しい家との交渉がはじまる。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎたころ、ある人から結婚の申込書が届いた。
お母様が分厚い封筒を手に、差出し人の名前を読み上げる。
「あら? ハイデン公爵からだわ」
「え!? ヴィクター様が、私に結婚の申し込みを!?」
突然の意外な申し込みに、私の胸がトクンと高鳴った。
――うそ! あの舞踏会で手を振り払って逃げたこと、まだ謝罪もしていないのに。
――だけどまさか、結婚を申し込んでくれるなんて。じゃあ、あのときダンスに誘ってくれたのって……。ヴィクター様、もしかして私のことを……!?
子供の頃に見た、ヴィクター様の優しい笑顔を思い出す。
あれは暖かな春の日差しのもと、花の咲き誇る美しい庭でのことだった。
ダフネ様と二人並び、私はヴィクター様に素敵な物語が書かれた本を読んでもらった。
そのお礼にと、私はヴィクター様に栞をプレゼントした。摘んではいけない庭の花を、こっそり摘みとって作った美しい押し花の栞を……。
あの時はまだ幼くてわからなかったけど、あの日私が感じた優しい気持ち。あれはもしかして、恋心だったのではないだろうか。
そして実はヴィクター様も私をずっと好きでいてくれて……?
あの舞踏会の日のダンスは無言で怖かったけど、そういう理由なら納得がいく。
愛する女性をダンスに誘ってみたものの、彼は緊張してしまったのだろう。
――なんだ。ヴィクター様ったら、可愛いわ!
――いったいどんな、愛の手紙を送ってきてくれたのかしら。ずいぶん分厚い封筒ね。きっと八年分の愛が詰まっているんだわ!
お母様が選んでくる結婚相手候補は、みんな堅苦しいおじさんばかりだった。あんな人たちと結婚させられるくらいなら、私を愛してくださるヴィクター様と、ゆっくり愛を育くもう。
私はそんなことを考えながら、お母様が読みはじめた申し込み書を覗き込んだ。
だけどそこに書かれていたのは……。
――ん……? ハイデン公爵家の家系図に、所持している爵位の一覧、婚姻によってミドルトン家が得られる利益一覧……?
――こっちは軍事同盟の条件に、所有する商業の権利関係….…。
――ってなんなの!? この愛情を微塵も感じさせない事務的な書類は!? 愛の言葉はいったいどこなの!? 幼馴染としてのちょっとした情すら感じないんですけど!?
――冷たい……。心が冷たい……。心臓に穴が空いて風が吹き込んできたみたいよ……。
一瞬とはいえ、愛のある結婚生活を期待してしまった私にとって、この失望は大きかった。
やっぱりあの人は、きっと冷酷な殺人鬼なのだ。小さな疑念が確信に変わる。
「お母様、ヴィクター様だけは絶対嫌です」
「バカ言わないで。こんな好条件は他にはないわよ! あぁよかった。あなたの結婚相手はハイデン公爵様に決まりね!」
「え!? そんな!? お母様!?」
「すぐにお父様に連絡して、婚約の準備を進めるわよ」
「お母様! あんまりです……!」
私はまた必死に泣きついたけれど、お母様は聞く耳を持たなかった。
お父様も大喜びで承諾の返事を送ってしまい、敢えなく私の結婚相手は、ヴィクター様に決定してしまったのだった。
△
それから二ヶ月ほどがたち、私とヴィクター様の結婚に向けての話し合いは、本格的に進んでいた。
とはいえ、あの舞踏会以来、ヴィクター様は私の前に、一度も姿を見せていなかった。
代わりに結婚の話を進めているのは、ハイデン家の執事長トムソンだ。
白髪混じりの髪をポマードでかっちりと固めた彼は、品の良さと同時に、厳格な雰囲気を持っていた。
身体は影に消えいりそうなほど細く、その頑固そうに引き結ばれた口元と眉間の皺は、周囲に威圧感を与えている。
何度か顔を合わせたけど、私はまだ彼の笑顔を見たことがなかった。
それどころか、まるで品定めでもするように、鋭い眼差しで睨まれる。彼はもしかすると、ヴィクター様のために獲物を探す、影武者のような存在なのかもしれない。
彼の足音が屋敷の廊下に鳴り響くたび、私は身を縮ませた。
――こわい! きっとあの舞踏会でのことを、ヴィクター様は怒っているんだわ。
――このままじゃ私、ヴィクター様の餌食になっちゃう。こんな残酷な運命なんてないわよ!
お読みいただきありがとうございます!
殺人鬼と噂のヴィクターとの結婚が決まってしまったエリカ。何の情も感じられない結婚の申し込みに困惑です。
次回、エリカは家出の計画を立てますが……。