02 じゃじゃ馬vs舞踏会
宮廷の舞踏会は、煌びやかなシャンデリアの光が煌めく広間ではじまった。
私はこれでも伯爵令嬢だ。人前に出る時は堂々と、淑女らしく振る舞わなくてはならない。
なんて意気込んでみたけれど、会場内に足を踏み入れてみても、私が特別な注目を浴びることはなかった。
――よかったわ。変に目立ったりはしてないみたい。うまく会場に溶け込めたわ!
――三曲だけ踊ったら、あとは会場の隅で友達とおしゃべりよ。
この宮廷舞踏会には、最低でも三人の男性と踊らなくてはいけないというルールがある。
だから私は、一緒に踊ってくれる男性もこっそりと準備してあった。
なんだかんだで私に甘い兄のジェロムと、男爵家の四男ジュリオ、それから子爵家の三男ニールだ。二人とも前に参加した舞踏会で出会った男友達だ。
私はこのジュリオとニールに自分の得意なステップを伝え、そのステップだけでリードしてもらえるよう、事前にお願いしてあるのだった。
「ジュリオさん、ニールさん! ごきげんよう」
「こんにちは。エリカお嬢さん! お元気そうですね。今日も華やかで素敵です」
「ありがとう! ダンスの件、お願いしますね」
「エリカお嬢さんと踊れるなんて光栄ですよ。まかせてください」
「うふふ。今度ジェロムお兄様がお礼するわね!」
「え? なんで俺が……?」
そんな感じでダンス要員たちの受け入れ態勢を確認し、ホッと胸を撫でおろす。
そこに今度は、爽やかな水色のドレスを纏った美しい令嬢が近づいてきた。
彼女はミドルトン家と親交の深いフォンテーヌ家の令嬢ユリアだ。
親しい友人の登場に、私のテンションがグンとあがった。
私が今日ここに来た目的は、彼女とのおしゃべりが九割だ。
「ユリア~! ごきげんよう!」
「うふふ、ごきげんよう、エリカ。皆さんもごきげんよう」
「ねぇ、聞いて聞いて! お母様の用意したドレスが地味すぎて大変だったのよ」
「あら……。あなたもミドルトン夫人も相変わらずね。でもさすがよ。とっても素敵にアレンジできてるわ」
「そうでしょう?」
私が数日ぶりに会ったユリアと、楽しく会話をはじめようとしたそのときだった。
突然周囲がざわめきはじめ、会場中が同じ方向に視線を送る。
その視線の先にいたのは、息を呑むほど美しい銀髪の青年だ。
「あれって、ヴィクター様……?」
「舞踏会へ来るなんて珍しいな」
ユリアたちが驚いている。彼はミドルトン領を含む広大な領地を治める、ハイデン公爵家の当主、ヴィクター・フォン・ハイデン様だ。
「なんて美しいんでしょう。絵画から抜け出してきたみたいだわ」
「背も高くて本当に素敵」
令嬢たちは彼の姿にため息を漏らす。だけどその囁きのなかには、暗い影のある話もちらほらと混ざっていた。
「でもやっぱり怖いわ。あの冷たい眼差し、本当に殺人鬼みたい……」
「殺人鬼? あの美しい方が?」
「ハイデン公爵家のお屋敷には、誰も足を踏み入れることのできない場所があるって話、知らない?」
「行方知れずになった令嬢たちの死体がたくさん埋められてるとか、夜な夜な誰かの悲しげな泣き声が聞こえてくるとか……」
「まぁ!怖いわ。でも、あんな美しい殺人鬼になら、ちょっと襲われてみたいかも!」
冗談めかして話す令嬢たちの声が聞こえてくる。
『ヴィクター様は冷酷な殺人鬼』
そんな恐ろしい噂話は、八年も前から囁かれていた。
その発端は、彼の妹のダフネ・フォン・ハイデン様が突然失踪した事件にある。
小さなご令嬢の失踪からしばらくのち、領地内外に不気味な噂が広がった。
『ダフネ様は兄のヴィクター様に無残に殺され、その冷たい死体は、人目に付かない隠された庭に埋められている』というものだ。
ヴィクター様はその噂に、一切の否定も肯定もしなかった。その沈黙が人々の心に、さらなる疑念や恐怖を生んだのだろう。
噂は徐々に尾ひれをつけ、いつしかヴィクター様は『残酷な殺人鬼』として、広く知られるようになっていた。
その美しい容姿や高い地位にも関わらず、彼がいまも独り身なのは、この噂が原因のようだ。
――殺人鬼だなんて、なんて怖い話をしてるのかしら。そんなのウソに決まっているわ。
そう思いながらも、背中にブルっと悪寒が走った。私は子供の頃から怖い話が苦手なのだ。
『殺人鬼』なんて恐ろしい言葉は、聞いただけで怖くなってしまう。
けれどダフネ様が失踪する前は、家同士の親交の会が頻繁にあり、私はヴィクター様に、何度も遊んでもらっていた。
ミドルトン家の屋敷はハイデン公爵家の領地内にあり、屋敷もわりと近くにあるのだ。
私はダフネ様と同い年だし、ジェロムお兄様もヴィクター様と同い年で、仲良くなるのも早かった。
――子供の頃のヴィクター様はとても優しい方だったし、ダフネ様をとても可愛がっていたのに。
――だけど昔に比べると、ヴィクター様の表情は硬くなったわね。昔はもっとさわやかな笑顔が眩しくて……。
そんなことを考えながら、ヴィクター様を目で追っていると、彼と目が合ってしまった。刺すようなグレーの瞳が私に向けられる。
それは幼い私と遊んでくれた、優しいお兄さんの表情ではなかった。
――え!? 睨まれてる!? というか狙われてる!?
怖い噂話のせいだろうか。まるで鷹に狙われたウサギのように、体がビクンと飛び上がった。
――いけない。こんなに睨まれるなんて、不躾に見過ぎてしまったかしら。みんなも見ていたからつい……。
慌てて目を逸らす私。だけどヴィクター様はまっすぐに、私に向かって歩いてきた。戸惑う私の前に立ち、彼は片手を差し出した。
「エリカ・ケイ・ミドルトン伯爵令嬢。初めのダンスを私と踊っていただけませんか?」
「え? え……?」
彼が私の名前を呼ぶと、会場は一瞬静まり返り、続いて驚きの声がわきあがった。会場中の注目が私たちに集まっている。
ヴィクター様は物凄く恐ろしい形相で私を睨み見下ろしていた。状況が理解できず固まる私を、お兄様が後ろから小突いてきた。
『なにしてる、早く了承しろ。ハイデン公爵からのお誘いだぞ』
『え? でも』
『いいからいけ!』
お兄様の怒りの小声に押し出され、私は一歩前に出た。いっきに不安が押し寄せてくる。
――どうしよう! 今日は目立たないように、会場に溶け込むつもりだったのに。ものすごい注目を浴びちゃってるわ!
――それに私、誰とでも踊れるわけじゃないの! 知ってるくせに! ジェロムお兄様のバカ!
さらに三秒ほどかたまっていると、会場中の空気もかたまり始めた。お兄様が無言で足を蹴ってくる。さっきの仕返しのつもりだろうか。
「よ、喜んで……」
小さな声で答えると、周りがまたざわついた。
ヴィクター様は無言で私の腕を取り、そのままダンスフロアに進み出た。周囲の貴族たちの囁き合う声が聞こえてくる。
『殺人公爵様が踊るみたいよ……』
『エリカ様、次の犠牲者に選ばれたのね』
『おいおい、物騒だな』
囁き声が耳に届く。こんなにひどい噂話にも、ヴィクター様は表情ひとつ変えない。
――ヴィクター様、こんなことを言われてつらくはないの……?
昔の彼を知っているだけに、少し心配になってくる。私は思わず彼を見あげた。
作り物のように整った顔。銀色の髪の奥にあるその瞳は、冷たい光を放っている。
彼の表情からは、なにひとつ読み取ることができなかった。
噂の真相はもちろん、私をダンスに誘う理由もわからない。
妙な緊張に震えながら、私はヴィクター様に手を引かれ、必死に下手なステップを踏んだ。
周りの視線が気になりすぎて、基本のステップですら混乱してしまう。
――足がもつれる……。こんなことならもっと練習しておけばよかったわ!
まるで酔っているかのように、周りの景色が歪んで見える。美しいはずの音楽も、まるで不協和音のように聞こえた。
ますます動きが悪くなる私をギロリと見下ろして、ヴィクター様はリードを強める。幸い得意なステップばかりだ。
だけど彼は終始無言で、腰に触れる手にもものすごい力が入っている。私の手を握る手はすごく冷たい。
――ヴィクター様? 自分から誘っておいて、どうしてなにも言ってくれないんですか? なんだかすごく怖いんですけど……。
――まさか本当に、私を狙う殺人鬼なんですか?
恐怖に怯えながら踊っていると、ヴィクター様の足を踏んでしまった。
「うっ……!」「あぁっ!?」
「えっ……?」
――カランカラン……――
倒れかけた私を支えようと、ヴィクター様が手を伸ばす。その手が胸元のブローチに触れると、ストールが肩から滑り落ちた。
ストールを留めていたブローチがはずれたのだ。
ちぎり取られた袖があらわになると、周囲の空気が静まり返った。
『まぁ、なんですの? あのドレス……』
『破れてるみたいじゃないか……?』
――あぁっ! 最悪!
憐れむような囁き声が耳に届き、頭の中が真っ白になる。固まってしまった私の顔を、ヴィクター様が覗き込んだ。
「エリカ……」
「ごめんなさい! もう無理です!」
夢のように豪華な会場。華やかな貴族たちが踊るダンスホールで、私はヴィクター様の手を振り払った。涙がどんどん溢れてくる。
「おい。エリカ!」「エリカ!」
ジェロムお兄様や友人たちが私を呼ぶ声が聞こえる。
それでも私は振り返らずに、会場から走って逃げ出した。
――ひどいわ! 全部お母様とお兄様のせいよ!
――もう恥ずかしくて外に出られないじゃない!
私は泣きながら馬車に乗り込むと、勝手に御者に指示を出した。
そうしてお兄様とアンを置き去りに、そそくさと屋敷へ帰ったのだった。
お読みくださりありがとうございます!
殺人鬼と噂の公爵は、不幸な事件をきっかけに、疎遠になってしまった幼馴染のお兄さんでした。
彼は本当に殺人鬼なのか、舞踏会で失敗したエリカの運命は……?
次回、エリカはお母様にこってり絞られます。