01 じゃじゃ馬vs淑女教育
「お嬢様? 少しも改善がみられないのですが。先程私が申しあげたことを、もうお忘れでしょうか?」
今日も私の家庭教師、ミセス・ウェヴァリーの小言がはじまった。ここは昼でも薄暗い食卓だ。
動く銅像のような彼女の顔に、日増しに濃い皺が増え、それが虫のようにヒクヒクと蠢いている。
「『パティーヌは右端のフォークでお召しあがりくださいませ。それがレイセンフォル国のマナーでございます』ですわよね? もちろんわかっていますわよ。でもわたくし、左側のフォークがお気に入りなんですのよ」
私はにっこり笑って、彼女の皺をもう一本増やしてやった。
淑女教育は果てしない悪夢のようだ。こんなにマナーが多くては、せっかくの食事も味わえない。この古臭いお嬢様言葉にしたって、舌がつりそうになってしまう。
「お嬢様、あなたはミドルトン伯爵家のご息女であるというご自覚がないのですか? こんなことではまた、舞踏会で恥を晒してしまわれます。そして私が奥様から叱られるのです」
明日の舞踏会のことを思うと、私だって不安でいっぱいだ。令嬢としての振る舞いも食事のマナーも、こんなふうに怒られてばかりなのだから。
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まるで狂気のようなミセス・ウェヴァリーの視線に貫かれながら昼食を食べ終えると、午後はダンスのレッスンだった。
「お前はダンスの基本がなってないんだ。ほら、もう一度はじめからいくぞ」
練習相手をしてくれているのは四つ年上の兄ジェロム・ケイ・ミドルトンだ。
「そんなことでどうする! 舞踏会では皆の目が自分を見ていると思え!? その気の抜けた顔を引き締めろ! そうじゃない! 何度言ったらできるんだ! くっそー、このへたくそめ!」
普段は穏やかなはずの兄が、まるで呪術で操られた人形のように叫んでいる。どんどん辛辣になったあげく、最後には脛を蹴られてしまった。気を使う必要のない妹相手とはいえ、ひどいものだ。
部屋の隅では、待機中の侍女までが私を見て嗤っている。
自分ができないせいだとはわかっていても、こんなに怒られればだれだって、できることすらできなくなるだろう。
練習すればするほど足はもつれ、リズムもどんどんずれていく。
「はぁぁ……。なんでそうなる」
「お兄様、もういいです。どうせ私をダンスに誘う殿方なんていないんですから。こんな練習、意味があるとは思えないわ」
「そうだな。お手上げだ」
大きなため息をつきながら、お兄様は練習室を出て行った。
――もっと他のことなら、私だって頑張れるのに。
私はひとり涙を堪える。努力が足りないと言われればそうかもしれない。だけどどうしたって、苦手なものは苦手だった。
△
――やだ、気持ち悪い。なんなの? やめて……。
あれからどれくらい経ったのだろうか。
暗闇の中、意識が薄ぼんやりとしている私の顔に、いくつもの冷たい手が触れている。
重たい瞼を無理にこじ開けると、見知らぬ少女たちが無表情で私の顔になにかを塗りたくっていた。
髪を引っ張られる不快な感覚に顔を歪める。
「なんなの? あなたたちはだれ?」
「エリカお嬢様。なにを寝ぼけていらっしゃるんですか? いい加減起きてください。お召し替えをはじめますよ」
寝ぼけ眼を開いてよく見ると、私を触っていたのは三人の侍女だった。見知らぬ少女ではなくいつもの侍女だ。
勝手に化粧をされ、いつのまにか髪も整えられている。
そのあとコルセットをぎゅうぎゅう締められていると、ようやく目が覚めてきた。
「ちょっと? これじゃ息ができなくて死んでしまうわ!」
「我慢なさってください。淑女は命よりシルエットが大切なんです」
メチャクチャなことを言うアンにドレスを着せられ、私は鏡の前に立ち尽くした。
「なにこれ? おばあさまの肖像画じゃないの?」
「違います。お嬢様ご自身です」
「うそでしょ」
私が着せられていたのは、お母様が選んだ地味なクラシックドレスだった。飾り気もなく色合いも暗くて、まるで墓場から這いだしてきたみたいだ。十六歳の乙女が着るドレスには到底見えない。
――お母様ったら、私が失敗ばかりするからって、わざと目立たないドレスを選んだのね。
宮廷がどれだけ華やかな場所なのか、お母様は忘れたらしい。
こんな時代遅れなドレスを着ていては、逆に妙な注目を浴びてしまう。
「こっそり別のドレスに変えてくれない? いつも着てるような、リボンとレースがいっぱいの華やかなやつとか……」
「無理ですよ。これはミドルトン家の女性たちが代々受け継いできた価値あるドレスなんです。奥様はお嬢様がこれを着てこの家の伝統を学び、淑女として立派に成長されることを望んでおられます」
「やっぱりお婆様のドレスなんじゃない!」
私は絶望感に襲われながら、悲痛な叫び声を上げた。
だけどお母様は恐ろしく頑固者なのだ。文句を言っても、変えてもらえた試しがない。
また大きなため息がでた。
「これで奥様の指示どおり。準備は完璧ですわ、お嬢様」
「そうね……」
私が落胆と共に返事をしたとき、お母様が部屋に入ってきた。
「エリカ、準備はできたの?」
「はい。お母様」
「まぁ、なかなかいいじゃない。黙っていたら淑女に見えるわ! 今日は宮廷舞踏会なんだから、いつものお茶会とは訳が違うの。上流階級の方がたくさんいらっしゃるんだから。失敗なんて許されないわよ?」
「えぇ。わかっています」
素直なフリで頷く私。だけど私には、今日を乗り切る秘策があるのだ。
私はこっそりとドレスのなかに、準備していたバックを忍ばせた。
△
馬車が動き出すとすぐに、私はスカートのなかから秘密のバッグを取りだした。
着せられたクラシックな長袖ドレスは、大袈裟に肩が膨らんだ古臭いデザインだ。
「おやめください!」
侍女のアンが叫ぶのもかまわず、私はドレスの袖を引きちぎった。
ジェロムお兄様は言葉を失い、口を開けたまま固まっている。
だけど今時の令嬢たちは袖なし、いや肩出しのドレスで参加するのが常識なのだ。
長袖ドレスなんて目立ちすぎる。
カビが生えたような色のボンネも、くすんだパールのネックレスもポイだ。半泣きのアンが私を睨みながら、飛んできた小物をキャッチした。
大ぶりのリボンを渡すと、アンは鼻を啜り、手を震わせながらも髪をセットし直してくれる。
「嫌いです、お嬢様、大嫌いです……。馬糞で滑ればいいんです」
アンは私の見張りとしてこの馬車に乗せられたのだ。後でお母様に怒られることがわかっているのだろう。ひたすら呪いをかけてくる。
だけど、いまは構っていられない。ドレスを少しでも華やかにするため、私はゴソゴソとバッグを漁った。
取りだしたのはフリフリレースのオーバースカートだ。
地味でシンプルだったドレスが一気に明るい色のフリフリドレスに様変わりする。更にフワフワリボンのついたベルベットのベルトを巻いて挿し色とした。
最後に破れた袖を隠すため、華やかカラーのストールをブローチでとめてアレンジは完了だ。
「ばっちりだわ」
「腹立つけど似合ってるな……」
「こんなにいろいろ隠し持っていたなんて……。珍しく大人しくされていたので油断しました」
ガクッと膝をつくアンと、なんだか感心している様子のジェロムお兄様。
私はドレスの仕上がりに満足しながら、颯爽と馬車を降り会場に向かった。
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淑女になりきれない伯爵令嬢エリカ。大胆にもドレスを大改造してしまった彼女は、いったいなにに巻き込まれていくのか。
次回、殺人鬼公爵が登場します!