始まりの梗概 (2)
「 ボストーク湖遺構深境探査 」
「 氷床下キャンプ 」 は、 極高厚の氷床下にある ボストーク湖底の高圧環境下で、 12名の隊員が最大30日間滞在し、 探査作業が行えるよう設計されていた。
湖底は、 40万hpa 以上の高圧環境のため、液体の状態を保った 低温(約−3℃)の淡水が広がっている。
その過酷な環境下での遺構探査作業は 「 遠隔操作型無人潜水作業機 [ROV] 」 によって行われていた。
「ROV」は、 有線で 氷床下キャンプの 操作室と繋がっており、 3名の隊員が1組となって その操縦を行なう仕様であった。
新府島科学技術大学(NIFAS) からの出向研究員である 八首 高瀧 は、 同大学の客員教授であった 天曳 慎一 と共に、 遺構内で発見された 「 南極の少女 」 と名付けられた 「ホモ・インファン」 の特殊遺骸の調査を キャンプ内で行なっていた。
南極の少女 は、 死亡直後の状態が維持されている 「 屍蝋化遺骸 」であり、 その外見は、 10歳前後の人間 の少女のようであった。
この遺骸の頭部からは、 不定期に 微弱な「 電磁玄波 」 による信号が発せられていた。
2年前のボストーク湖遺構発見は、 地磁気観測中 データに紛れ込んだ この信号に端を発していた。
湖底探査作業開始から6ヶ月、 少女 が発見された空間の更に奥に、 「ROV」により 巨大地下空間 が発見される。
しかし、 空間への入り口は、「 構造塊 」 と名付けられた 複雑な紋様機構が立体的に刻まれた 岩塊によって塞がれていた。
調査を進めるうちに、 少女 の発している信号に、 構造塊の紋様が反応している事が判明する。
そこで、 天曳 の提案により、 少女 を構造塊に直接接触させることによる 構造塊との反応実験が行われることとなった。
少女 の搬送準備が完了、 反応実験の実施を翌日に控えた 10月13日、 事件は起きる。
突如、 謎の集団による襲撃を受け占拠される 「 氷上基地 」
緊急対処プログラムの誤作動による 進入坑の自壊封鎖により、 完全孤立状態となる 氷床下キャンプ
氷上からの ライフラインや通信が寸断され、 滞在研究員12名の生命維持が可能な期間は 長くとも後10日という状況に陥る。
緊急介入した 世界連環(WEL)の直轄組織 「 グループ [ G ] 」 の威力実行部隊により、 氷上基地 は解放されるが、
進入坑の応急復旧が完了し、 救助隊が 氷床下キャンプ に ようやくたどり着いたのは、 事件発生から 42日後のこととなった。
そこで、救助隊が発見したものは、 無人となったキャンプであった。
捜査を続けた末、 遺構内の 「ダークケーブ」 と呼ばれていた 小さな地下空洞内において 10体の 滞在研究員の死体が発見される。
その死体は、 全て綺麗な 屍蝋化状態であった。
しかし、 八首 と天曳 の 姿は 南極の少女 の行方と共に 不明のまま、最後まで発見されることはなかった。
宇宙(SF) のジャンルに置いていますが、
当分の間、宇宙関係の話はありません。
次回からは、舞台を日本に移して、ジュブナイル風の展開を進めたいと考えております。
“カクヨム” において投稿を進める予定の 並列ストーリー「 つくもぶね 」の方では、真っ当に 宇宙を舞台としたハード(風)SF を進めたいと考えておりますので、よろしければそちらもご覧ください。