逢魔時の葬式
『氷河時代の葬式』の続編です。ぜひよければそちらも。
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いつの間にか、あの恐竜男の姿はなかった。私もこの惨状に気付いた誰かが来る前に退散しなければと思い、万が一を考えて夏奈と自身の『ルンルンポーチ』を持ってそそくさと退散することにした。
自分でも酷いと思う、涙など一切出なかったのだから。
突拍子もなく私の非日常は始まった。きっかけは隣人の女子中学生である夏奈が魔法少女としてウォンバットのような何かと共に化け物と対峙しているのを見かけた時だ。その場の助っ人として魔法少女となって以降、芋蔓式にその活動に参加するようになった。
自分で「私は魔法少女なんて続けないからね」と口癖のように言っていたが実はその力に魅了されていたのだろう。数日だけあの五月蝿い小動物がいないからと無意識に得意になっていたのだ。なんと情けない。
帰宅してもそこには誰もいない。相変わらず、両親は仕事に夢中なようである。
鍵を閉め、一目散で自室に向かう。電気も点けずにベットに身を預けると重力感がいつも以上に私の全身を襲う。
いいなぁ、お前らは奪う側で正義感に浸れて
本当にその通りだ。ナナには、エミには、あの怪物には私が滑稽に映っていたのだろうか? もしかしたら助けることができたのではないだろうか? 私だけ生きていて許してくれるだろうか?
私はそのまま脳裏に走る残虐な光景と無力感によって何もやる気など起きず、あの二人がいない日を過ごすことになった。警察に話を伺われたがわずかに残った魔法で凌ぐことができた。これでもう魔法少女にはなれない。
ナナの葬式が終わったその日、魔法の力を授けたウォンバットが私の元に訪れた。私が謎の存在によってあの二人の死と組織の壊滅が起こったことと私がもう変身できないことを伝えると目の前の小動物は無慈悲にもナナの使っていた『ルンルンポーチ』を使えと言うのだ。なんの戸惑いや曇りもなく言うのだ。そういう存在だと言うことには気付いていたが気味が悪いものである。
それから数ヶ月、心機一転ともいかず変身中、解除後の吐き気に耐えながら新たな仲間と共に新たな脅威に立ち向かっていた。
「じゃあね、プリズムピンク。先に失礼するよ」
変身が解除される前に桜色のベレー帽を被った少女(多分、ナナと同じ中学生だろう)の前から姿を消し、早急に高校に戻る。
「おえぇ」
今日も今日とて悪は休んでくれない。今日は昼休み中に変身し悪を倒す。悪? 誰が悪だって、生き残ってしまった私の方が悪ではないか。
自分には似合わない桜色のドレスと髪に変貌するたびにフラッシュバックする。あの男はどこに行ってしまったのだろうか。なぜあの時殺してくれなかったのだろうか。
口に付着した吐瀉物をハンカチで拭い、教室に戻る。さっき食べたはずの昼食が腹から消えてしまったのはかなりのデメリットである。
そんな日々を過ごしていたある日、プリズムピンクは私に一つ、嫌悪している提案をよこしてきた。
「カレイドスカイさん、最近かっこいい店員さんが入った喫茶GiRa2ってところに行ってみませんか? 普通の学生としてもお会いしたいですし」
「親睦を深めるのはいいことプクゥ!」
「親睦ね」
嫌な言葉である。確かにそういうのは魔法少女の活動において大切なことだが、私にとっては呪いでしかないだろう。友情とか仲良しとか魔法少女にとってキーとなる言葉からは彼女らのことを思い出さざるを得ないし、自分が情けなくなってしまう。どうにも彼女らの体重が私にかかっているようである。
「一度だけ、今日でいい?」
「うん! 私はユズ、スカイさんの名前を聞いてもいいですか?」
「ナナ、よろしく」
咄嗟に嘘をついてしまった。
これを機に彼女との関わりを断とうと、屍になった彼女を想像しながら誰にも聞こえない声でそう呟いた。
プリズムピンクの通う私立中学の前で待ち合わせすることになり、放課後になって足早に向かう。十六時半。予定時刻である。
「ええっと、ナナさんでいいんですよね」
「ああ」
睡眠不足の隈に整っていない髪はどう考えてもヒロインのそれではない。もっとも、私からしてみれば魔法少女でいるのはただの苦行でしかなく、今は亡き者の方がお似合いなのだと思っている。さらに言えば私自身が屍なのだろう。
「成り行きだよ、成り行き。友人が元々魔法少女でね、彼女が窮地に陥った時に助っ人として魔法少女になったらズルズルとね」
彼女の背を追い。目的の喫茶店に向かう。
「その方はどこで活動なさっているんですか?」
カリナは口を一文字にして返そうとしない。少しの緊張感が二人の間に走り、ユズの口さえも結んでしまう。
「あの子のことは知らない方がいい」
「でも——」
「——これから先、魔法少女を続けるのが苦になる。私みたいになるな」
目の前の少女は禁忌に触れる寸前だと悟ったか、目的地に到着するまで振り向くことなく歩みを進めた。『Gira2』の目の前を通るとガラスの向こうにいる既視感のある店員がコーヒーを運んでいた。
彼女は身長が高く、極めつけに銀髪なのだから忘れるわけないと思いながらも脳内のモヤが晴れる事はなく、どこか不安に思うのであった。
思考に浸りすぎたのか、自分が店内に入ったと認識したのは席に案内された時だ。従業員の数が少なく、案内されたのがその某である。
「ルカワさん、ココアとコーヒーをお願いします」
ルカワさんと呼ばれた彼女は口を結んだまま、伝票に注文を書く。こちらを見つめると一つ礼をして厨房の方へ向かおうとする。私はその目線に違和感をもち咄嗟に彼女を引き止めてしまう。
「あの、どこかで会ったことありましたか?」
「いや、俺はあなたに会ったことはないですけど」
俺、低めとはいえ女性のものであるその声でその一人称には違和感でそれでも喋り方には違和感がなく、元は男なのではないかと思うほどだ。
「そう、ですか。すみません、引き止めてしまって」
「ああ、まあ」
ルカワさんはそのまま厨房の方に消えていってしまった。
「不思議な人ですよね、ミステリアスって感じで」
「そんなものか?」
彼女のあれはどちらかというとミステリアスとかそういう感じではなく、何かひた隠しにしているようで、なぜだか自分自身を重ねてしまう。あの二人の真相を、そこから逃げた私を。いつになったら解放してくれるのだろうか。
「……ええっと、ナナさんは趣味とかあるんですか?」
「最近はあんまりそういうことができてなくて、何もない日は勉強漬けかなぁ」
それも現実逃避の一つでしかないが。
ユズは親睦を深める気で私を誘ったらしい。それがあまりにも無鉄砲なおかげで沈黙が続いてしまい、両者の間に気まずい空気を支配したその時にやっと注文したドリンクが到着した。
「ご注文のココアとブラックコーヒーです」
ありがとうございます、とユズと私は口を揃えるとすぐにルカワさんは身を引いた。彼女が私を観察するように目を向けていたのは気のせいだろうか。
ユズとの会話はすぐに行き詰まるようになり、長針が一周もしないうちに解散することになった。二人あわせて八百五十円、高校生には少なからず痛い出費である。
「八百五十円です、ちょうどお預かりします。こちらレシートです。それとセーラー服の方、お話があるのですがよろしいですか」
幸か不幸か、私は頭一つ飛び抜けた雪女のような女性に引き止められたのである。ユズの方は私の特別扱いが気に食わなかったのか頬を膨らませて彼女にくってかかるのだが、当の本人はそれが面倒なのか徐々に口調が和らいでいき粗悪なものに変貌していく。
「そうは言ったってなぁ、俺には彼女に用があるから声をかけている、それだけだ。今の君に話す義務も義理もない。すまないが帰ってくれ」
「それだけだ……それだけだ?」
どこかで聞いた言葉である。またも引っかかる何かがあり、その隠れた何かは不穏であまり近寄り難いものだと根拠もなく思う一方、その正体に興味を唆られてしまうのだ。
ユズは一つため息をすると何もなかったかのようにして手を振降りながら分かれた。相変わらずできた人間である、本当に羨ましい限りだ。
「さて、ここからは二人で話そう。……話す、話せ? まあ君もわかってるだろうからあまり回りくどい話はよそう。この光景に覚えはあるか?」
彼女がエプロンのポケットから取り出した黒いケースに入ったスマートフォンに映っていたのは私とナナとエミが一人の女性と対峙しているもので、かつて三人組で活動していた時の写真であろう。
「この女性が私の母だ。忘れるわけがないだろう、君だってここに映っているのだからね」
「私たちがあなたの母親を殺した」
私の言葉にルカワさんは何も言わずゆっくりと頷いた。間違いないのだろう。それがわかった途端、俯いて永久に彼女の顔を真っ直ぐに拝むことができなくなってしまった。
「すまないね、否が応でも君たちの言葉は耳に入ってしまったんだ。顔を見てまさか、とは思ったが本当に君とは思わなかったよ。私はルカワアラタ、呼びたいように呼んでくれ。今はただの無戸籍だ」
「ええっと、フクズミカリナです。見ての通り高校生です」
カリナは自分が座っているのか横になっているのかよくわからなくなり、脳がぐわんぐわんと揺れるようでテーブルの上に肘を立てて頭を抱えてしまう。
「フクズミ、君は今、どうしている?」
蓋を開けてみれば、ルカワさんとの会話は私への非難ではなかった。悩みはあるか、とか。今は魔法少女として活動しているのか、とか。彼女の目的や接触した動機が見えることはなく、単刀直入であるのかどうかを疑ってしまうものだった。
ルカワさんのことも端的に説明してもらった。彼女——もとい彼は私よりもかなり酷なものを背負っているようである。その原因も私にもあるのだ。そう考えると彼があの道に走ったのも、彼の性が変わり尚且つ自分の痕跡が消えてしまったのも私のせいである。
「私、もう限界なんです。あなたに殺されたいぐらいです。ひた隠しにするのは辛い、独りは」
「いやだね。絶対に殺さないし死なせない。俺は君を一生恨む、だから生きるのなら開き直ってくれてもいいさ」
顔を見れなくても声色からルカワさんの表情は柔かなものだと容易に予想できてしまう。あの鉄仮面が外れる姿は想像できないけれど。
「ルカワちゃん、年下の子をいじめちゃだめよ。そのぐらいの歳の子は繊細なんだから」
「ハナさん、俺は別にいじめる気もないですし恨んでいるからと言ってこれ以上どうしようなんてことはないですよ」
奥の方からルカワさんと同じクリーム色のエプロンをつけた寛大さを感じる女性が姿を現す。
「どうやっても消えるものではないですし」
と、ルカワさんが付け足すように私への呪いを空中分解させるとハナさんを一目見てみようと彼女の方に目をやると彼女の方も私の視線に気づいたのか目を合わせてくる。
「私はルカワちゃんから聞いたと思うけど、ここのオーナーのハナ。よろしくね」
私もルカワさんにしたのと同じように自己紹介を済ませる。ハナさんはルカワさんの母親の元同僚らしく、それを聞いた途端背筋が凍るような思いをしたがそれはあまり気にしていないらしい。
ハナさん曰く死ぬべくして死んだともともと死にそびれた体なのだと言う。そんな穏やかな彼女の雰囲気からは想像もできないことを口にしておりそれに見合った深淵のような目でこちらを見つめているのは確実である。
「あなたに恨みがあると言うわけではないのだけれど、魔法少女と聞くとやっぱりね。私はヒメノみたいに割り切れるぐらい優しいわけではないからねぇ」
死体蹴りされた気分であるがこれも自分の行いの報いと思えば当然なのだろう。ハナさんは私と敵対する組織に所属していたのだからその溝は間違いなく浅くはなく埋めることは難しいのだ。
「でも、あなたがあいつらとは違うって言うのはわかっているつもりだから。何かあったら手を貸すよ、アラタちゃんがね」
ハナさんはアラタさんの肩を持って満面の笑みを浮かべる。彼はハナさんの発言を否定するもその言葉は明らかな拒絶ではなかった。
「まあ、この子も根は悪くないから。何かあったら頼りなさい」
ハナさんと話すようになったのは良いもののもう長針と短針で子午線が引ける時間になってしまったので解散することになった。連絡先が増えたことに歓喜と共に罪悪感が湧き上がってきたのは言うまでもない。
気がつけば、もう二人の一周忌である。何も変わることなく高校二年生にまでなってしまったが、既知の後輩は存在しないし親しい間柄もいないしであまり変わっていないようであった。
「結局、私は成長できていないしナナに手をかけた人とも仲良くなってしまったよ」
線香の香りが制服に染み付いているようである。去年の葬式もこんな感じだったと落胆していると私の存在に気づいたのかナナの母親がこちらに近寄ってきた。
「カリナちゃん、今日はありがとうね。高校生も大変でしょう、もうお開きになったから帰ってもいいのよ」
とナナに似てフレンドリーな母親はそう呟く。
真実を打ち明けたらナナの母親は許してくれるだろうか。そもそも信じてくれるかわからず、気が狂ったと認識されてはこちらも困るだけなので一生私が抱き抱えることになるのであろう。
そろそろ帰ろうと話を締めようとした時、カリナの携帯電話が私を呼び始めた。それに気づいたナナの母親は一礼をしすぐに去っていった。カリナも一度会釈をしてからすぐに会場を出て液晶を耳に近づけた。
『ナナさん、かなり強い敵です。四天王と言っているのですが全然歯が立たなくって』
「すぐに向かうよ」
なんとも忙しない一日である。最短で目的地に向かうため、すぐに物陰へ隠れ『ルンルンポーチ』を展開し、私の紺色のセーラー服はピンク色のドレスに一瞬で変化する。それに舌打ちをして十数メートル上昇すると、煙が上がっている場所を見つけすぐさまそちらの方に飛行した。
ほんの十数秒で砂まみれになりところどころ破れた衣装のユズを目視できるまでに近づけた。彼女の視線の方向には大柄の男ぐらいの大きさで二足方向の龍——平たく言えば西洋の伝説で登場するドラゴン——が仁王立ちしていた。その姿を見て私の肺中の空気が抜けてしまう。
一年前のあれを思い出してしまう。今度は私の番か、とため息をつくも目の前の龍は刹那の休息も許すことはなく私の足元から大きな火柱を上げた。間一髪で避け、ユズのもとに寄る。
「貴様は、少しはわかっているようだな」
「今日、死ぬかもしれないって思っただけ。あなたが私と戦うなんて役不足もいいところだし、帰ってくれたりしてくれないかな?」
私は地下に流れる水を感じ取り、そこにパワーを流し込む。私が持っている水を操る能力、それはナナの『ポーチ』を使っても変わることなく存在するが、いかんせん私専用の『ポーチ』ではないため、どうにも時間がかかってしまう。
「お前の話を素直に飲み込んで大人しくするほど私も馬鹿ではない」
あの時と同じように目の前の龍は懐にまで迫る。カリナはすぐに腕で十字を組むが拳の重さに耐えられずに吹っ飛んでしまう。そのまま塀、ビルを貫通しその中のソファにぶつかってやっと勢いが抑えられた。カリナの口の中に酸味が広がり、それをその辺に吐き飛ばすと黄色い液体が円形に広がった。
「……がぁっ」
鳩尾の痛みがナナを連想させてくる。これ以上どうにもできないことは明白であるが、一抹の正義感と多量の罪悪感が後ずさることを拒否している。リビングデッドのように節々の痛みに耐えながら穴の空いた方向に戻るとすぐさまあの龍がこちらに気づいてまたもこちらに近づいて、今度は殴打の連続である。
「弱い、何故こんな奴らに我らは負けたのか? わかるか? 勝てもしない勝負に真っ向から挑む愚か者よ」
「さあね、たかがトカゲに私の心を解せるのかな?」
口の中を切ったのか今度は鉄の味が広がっている。さらにもう痛みは節々とは言えず痛くないところの方が少ないまであるのだ。
「あまり人を茶化すものじゃないぞ」
軋む体に鞭を打ってなんとか立ちあがろうとしたところで今度は無理やり右脚を掴まれ、持ち上げられる。ちょうど手が地につくかどうかのところで宙ぶらりんになる。
そして龍は右腕の指を揃えて親指を折り、吊られている脚の根本にそれを勢いよく当て、まるで研いだばかりの刃物のように彼の手はカリナの肉体をいとも容易く二つに分割したのである。
「っがあああ————!!!」
もはや声すら出ない。ナナがそうだったように変身を解くと死んでしまうことはすぐに予想できたので能力で切断部分に能力で作った人の頭ぐらいの大きさの水滴を漬ける。
痛みは引かないが、これで幾分か出血は免れるであろう。
最後の力で崩れたコンクリートの真下にパワーを注ぐとその塊がグラグラと震え出す。すぐにアスファルトの隙間から砂と水が混ざった柔らかなそれが顔を出し勢い余って噴出してきた水に乗り、敵味方関係なく彼方まで吹っ飛ばした。
流星のごとく吹き飛んだカリナは錐揉み回転で放物線を描き一切被害のない場所まで飛ばされ生ぬるく鈍い音が響く。
「君は……」
切断された部分が何故だか冷たい。
その感覚を最後にカリナは意識をそこに沈めた。
——ちょっと、起きてよ。話したいことは山ほどあるんだから
瞼を開けると真っ白な空間に自分が横になっていることに気づいた。体を起こすが眼前にある五体満足なことを忘れるほどの大きな衝撃がカリナの脳を襲った。
「ナナ、どうしてここに。というかここは? まさか天国じゃ」
見渡す限り無限に続く白はカリナの疑問を加速させるばかりである。
——天国じゃないよ、カリナちゃんと話したくて魔法の力でひょいってしたらできちゃった感じ。うーん、なんていうのかな。カリナちゃんの精神世界みたいな感じかな、死んではいないよ。死んだら、ほら。
ナナを自称する彼女は上着をたくしあげるとそこには何も存在せず強いていうのであれば彼女の断面が見えるだけだ。
——死んだらそのまま。だからカリナちゃんはまだだよ。
「それでナナの話したいことって何?」
——ずっと私のことを引き摺ってるでしょ。カリナちゃんは責任感があるからね。今日もそう、ずっと私のこと考えてた。そりゃ嬉しいけどさ、私のせいで辛くなるのは嫌だなぁ
カリナは口を開かずに立ち上がり、ナナに一歩迫る。カリナの目は潤むこともなく「当然存在するように」目の前の存在を凝視する。その目は今は亡き者を見る憐れみではなく、偶然点いていたテレビに映っているくだらない番組に目を向けた程度のものであり、当然ナナを注視するものではない。
「じゃあ、私の前に出てこないでくれ。眩しくて眩しくて仕方がない」
——じゃあ、私のことは忘れちゃってよ。
ナナは変わらぬ満面の笑みをこちらに向けてくる。それにカリナは声もあげず口角を上げ、溜息を吐く。
「せめて呪ってくれる方がまだいいんだけどなぁ。エミの方はどうしてる?」
私の質問にナナは口をもごもごとするばかりで返答する様子がない。何かやましいことでもあるのだろうか、それともルカワさんに粉々にされたことに関係があるのだろうか?
——ええっとね。私たち、今地獄みたいな場所にいるの、本当にあるとは思わなかったけど。死人の罪を洗い流すとかなんとか、地獄って言っても構わないよね。
——魔法少女になって怪人を倒すのは地獄曰く人殺しに当たるらしくて結構な苦行を強いられているんだ。私も無理やり抜け出してきたからちょっとやばいかも。だから私もエミもそこでなんとかしてる。
「じゃあ、ナナはどうしてここに?」
——私がここに来ることができたのはカリナちゃんが私の『ポーチ』を持ってくれたおかげだよ。
「他に話すことはある?」
——そんなに急ぐこともないじゃん! 私も一言だけ伝えられればよかったし、これ以上はないんだけど。
「じゃあ最後に、私は魔法少女を続けるべきだと思う?」
——それは私が決めることじゃないよ。カリナちゃんはカリナちゃんとして決めて。
白色の風景が発光し、ナナの姿は白に埋まっていく。
目を覚ますと、天井から吊るされたファンが回転しながら私を見下ろしていた。
「起きたか。フクズミ、その脚は何があってそうなった?」
私は腕の力でなんとか起き上がると足は意識を落とす前と変わらず無くなっているが切断面には氷が張り巡らされていて感覚が完全になくなっているのがわかる。目の前の銀髪の長身の彼女は私の覚醒に気づいたのか、奥の方からすぐに姿を現した。
「ルカワさん、ここは?」
先程のナナは夢だったのか、訳もわからず周りを見渡すと彼はテーブルにお茶を置いて状況を話し出す。
「『Gira2』の前に君が倒れていたんだ。足もそうなっていたし、もしかしたら俺みたいに他者に言えない事情があるのかと思ったからひとまず介抱した。ハナさんに言ってないから安心してくれよ」
あの人が見たら君は叱られるだろうからな。
「それで、これからどうするんだ? その様子だと魔法少女がらみだろうが、負けたんだな」
「ええ、まあそうですけど。事情は聞かないのですか?」
彼はふと顎の辺りに手を添えて少しの間斜め上の方を見つめると霧雨のようにポツポツと語り出した。
「これは俺の問題じゃない、君がなんとかする。ただ、それだけだ」
部外者として生きる、これ以上に楽なことはない。
「しかしフクズミ、君はこの問題に立ち向かっても逃げてもいい。元来、君が持ち出した問題じゃないからな。これは俺が数ヶ月考えてもち出した持論だが、俺たちはあの浮遊する小動物らと化け物どもの対立に巻き込まれているだけなんだ。勝手にあいつらが地球を戦場に変えているだけなんだ」
彼はもう一度顎に触れてあらぬ方向に目を向ける。
「それを聞いて君はどうする? それでも戦うのか、それとも退くのか。君の選択に俺は口出しはしない、自分を助けてくれるのは自分自身だけだ」
彼は笑わずも怒らず、氷のように冷たい無表情でそう言う。
私はどうすべきなのだろうか。あの龍が敵の頭とは限らない。私たちが幹部と戦っていた頃、彼らとはギリギリの戦いだったのだからルカワさんが割り込みしていなければ私も無事では済まなかっただろう。
もう無いはずの脚の痛みがする。
なぜ、私はこんな痛みを負わなければならないのだろう。私が何をしたというのだ、私が彼らに害したとでもいうのか。そういえばあのウォンバットは何をしているのだろうか、ナナとエミが死んだのを私の口から聞かされてからあの小動物の姿が見えない。まさかなんの責任の云々なしに逃げたのだろうか。
許せない。あいつは私のことをただの駒だと思っていたのだろうか。あの二人は廃棄処分当然の扱いだったのだろうか。私はなんのために戦っているのだろうか。
疑問は尽きない。しかし、色々考えている間になんだか沸々と怒りが込み上げてくる。
「私、戦います。あいつらに一発かましてやらないと気が済みません」
「そう、そうか。形はどうであれ、立ち向かうんだな。……ちょっと待っててくれ」
ルカワさんはそう言って裏の方に進んでいってしまった。その途端、私の周囲は閑散とした空気に満ちてしまってポケットに入っているスマートフォンに目を通すしかなかった。数十件の通知のほとんどはゆずであり、かなり心配して暮れているようである。既読をつけるだけでもあれなので『ごめん』とだけ返信することにした。残りの一件である母親には友人宅に泊まるという旨だけ連絡し電源を落とした。
チリンと、正面入り口のドアが開く。
「ちょっと、アラタちゃん。勝手にお店閉めないでもらえないかな、ってカリナちゃん。こんな時間にどうしたの?」
そんな疑問を投げかけてくるハナさんは私の切断面を発見した途端に唾と一緒にその言葉を飲み込む。
「それってもしかして……やられた?」
「ええ、まあ。アラタさんが介抱してくれたんです。ほら、こうやって」
私は横になっていた状態から正面に座り直し目の前のハナさんに切断面を見せる。私は何も口にすることもなく二人で氷の屈折によって白く光っているそれを見つめる。
そうしていると真白の化粧箱のようなものを持ったアラタがハナに一言謝罪を述べてからテーブルにその化粧箱を置く。
「あの、ハナさん。これ使ってフクズミの脚を治したりできないかな?」
「できないことも無いだろうけど、アラタちゃんはそれでいいの?」
白銀の彼女は一度深呼吸をすると何も言わずに頷く。
「それだけじゃ足りないからカリナちゃんのそれも借りることになるけど……ひとまず説明するよ、二人とも嫌だと思ったら断ってね」
ハナさんが説明したのはこういうことだった。そもそも魔法少女に変身した時の状態は新しい肉体を形成しているらしく(私の場合は何度も変身したため結びつきが他人より強くなり、生身にも影響があったのだという。)、ハナさんはそれを利用し魔法少女になった状態を生身に重ね合わせることで脚を復活させるらしい。詰まるところ、移植をするのだ。
私の持っている『ポーチ』にある肉体はすでに脚を切断されているので『ポーチ』の力を利用してルカワさんの『それ』を私に埋め込むことになる。
「それで、アラタちゃんはそれを失ってしまうし、カリナちゃんは私たちと同じ存在になる。それでも大丈夫?」
「俺は問題ない」
こういう重大な選択をする時は信頼している人間を参考にするのが吉なのだろう。それが最善の選択だと疑うことなく進むことができるし、万が一失敗してもその人のせいだと自分に責任はないのだと信じ込むことができる。生憎、私にはそのような存在はいないのでこういう時は血に抗えず、愚策に走ることになるのだ。どうにも後先を熟考せずに行動しているところは母親に酷似してしまう。
「私も大丈夫です。やりましょう」
決まり次第、私たちはルカワさんとハナさんの後を追い彼女らの住処(とは言っても厨房の奥なのだが。)でそれは行われることになった。いつの間にかハナさんには蔦のようなものが巻き付いており頭の上には見たことのない花が咲いていた。
「じゃあ、カリナちゃん。ここで横になって」
私の『ポーチ』を受け取ったハナさんはそれを手に『化粧箱』を私の下腹部に置く。その上に二人の手が乗り、私に温かな感覚が流れた後脈打つように鈍器で衝撃を受けた時のような痛みが響き、徐々にその痛みの大きさが強まり、間隔が狭まっていく。
「……っがぁ、あああぁぁ!」
「カリナちゃん、辛いなら止めていいのよ」
「絶対に、止めないで、ください」
苦痛は私にとって試練となるべきものだ。そう思うことで今までをなんとか乗り越えてきたのだ。そうすることしかできなかったのだ。それでもそのおかげで成長の一歩を辿ることができたので悪いものではなかっただろう。
「うぁぁぁぁ——!」
それでも痛みに慣れるなんてことはない。それは常に私を私として認識させるだけなのだから。
カリナはすぐに意識を落としてしまった。
再び瞼を開けたとき、私は七時間半の睡眠を終えた時のような快感を一身に受けた。平易を用いるならば生まれ変わった気持ちということになる。
「おお、カリナちゃん。起きたんだね」
「はい、足も生えていてピンピンです」
視線を落とすとどんな素材とも言えない黒色の物質が脚の付け根から生えていることに気づいた。それは天井のLEDを反射して黒光りしており、爪には赤いペディキュアが塗られている。いつの間にか腕に金色の腕輪がついているが腕輪と腕の間にルーズが無いがそこに装着している感覚はなく不思議に思ってしまうのだ。
「念を押しておくけどカリナちゃんはもう私たちと同じなのよ。忘れないでね」
そんな一言を告げる目の前にいるハナさんは今までの温かさとは無縁であり私の背筋を凍らせる一言だった。私はその彼女の一言は私が後悔するように脅迫しているように思え、私はそんな彼女の確固たる闇の一面を突っぱねるように「私にとっては軽すぎる代償です」などと言ってのけてしまうのだった。
「……それにアラタちゃんから聞いたわよ。魔法少女を続けるのだってね、私には理解できないわ。どうしてそんなことになってまで」
「こんなことをされたから続けるんです。私は結構根にもつタイプなので、自己犠牲とかそういう高潔なものじゃありませんから。私はあなたたちと変わらないんですよ」
あなたは人間を気高いものだと勘違いしている。いくらなんでも買い被りすぎだ。
「やっぱりよくわからないわ、どうしてこうも……。いえ、これ以上考えても
どうにもならないわよね」
私はそれからすぐに『Gira2』から出ることにした。返せるものがないのだからせめてこれ以上居座るのは悪いと思ったからだ。
自宅を目指そうと携帯電話の電源をつけるとふと、一つの違和感に気づく。周りに人っこひとり存在しないのだ。いくつかの予想を立てながら歩き回っていると一つ、大きな振動が起きる。すぐに危険を察知した私は飛び上がり民家の屋根に飛び上がって乗り上げる。
「あれはユズか?」
いつもの数倍も鮮明にフリルのドレスを着て、ステッキを持った彼女が宙を舞う姿を捉える。
「やっと見つけたプクゥ。カレイドスカイ! この前あんなことになったのは知ってるけど、この前の敵にユズが負けそうなんだプクゥ。だから、助けてほしいプクゥ。——プクッ!」
私がユズのマスコットの存在に気づいてそちらの方に黒目を向けると浮遊するそれは睨まれたウサギのように硬直してしまう。
「そ、そのオーラは——」
「——それ以上言うな。私は今からユズのところに向かう。しかし、一つ。交換条件だ、金輪際一切私と関わるな。わかったなら向かうぞ」
ほんの一蹴りでジェットコースターのような速さにまで到達し、一直線に彼女のもとに向かう。カリナは格段に上がった身体能力を駆使して空中のユズを捕まえ、地面に着地すると少し遅れて彼女の相棒も到着する。
「プクすけ! ナナさんを呼んでくれたのね」
カリナはユズを降ろすとマスコットが擦り寄っていく。カリナは彼女を数歩下げさせると手首のものに触れる。
「とりあえず、ユズちゃんは逃げて。私がなんとかするから」
「お前、生きていたのか。脚を捥がれて戦意喪失したと思っていたが……貴様、正義を語る側からこっち側に来たのか」
「そんなもの一年前に捨てたよ。今はただの鬱憤解消だ。脚を取られた分、返してもらおうか」
どこからか大型のリボンが展開し、カリナの体に巻きついて繭のようなものになる。最後にリボンが結ばれるとリボンが徐々に黒色化し腐るようにして液体のように音を立てて落ちていく。
中からは黒いレースのドレスを着用し、先が赤くウェーブがかかった黒髪を一本のポニーテールでまとめているカリナが現れる。首と脇の下を通った桃色の羽衣のようなものが現れ、一瞬でドレスも解けて、足元の黒い液体と共に体にぴっちりと張り付く。ライダースーツのようなそれは頭、手足を除いて体を覆っており全身が黒くなっているせいか羽衣がより一層目立っている。
「名乗りはもう必要ないか。とりあえず、お前をぶっ潰す。それだけだ」
口癖が移ってしまったと鼻を鳴らしながら一歩、二歩と猛獣のように憎き相手に迫っていく。あと二メートルというところで立ち止まると、両者が脚を上げ交差する。その勢いで瞬間的な強風が辺りを吹き飛ばしていく。
「うし」
心の中で拳を握りながら軸脚を回転させながら逆方向から突き出すように蹴りを入れると今度は龍の腹に蹴りが入る。
数歩よろけた龍の瞳に羽衣が自律するように右腕に巻き付いていく姿が映る。カリナは一息も置かずにボディーブローを入れて龍の足を地から離す。
「がはぁ、これは……お前の力か? 力が抜ける感じはどちらかといえばあの少女らの力ではないか」
「さあ、わからないね。こっちも結構必死なんだ」
まだ慣れない肉体だということもあるが今まで魔法に固執して肉体を駆使することがなく、力の扱いに困っている。この羽衣も何物なのか一切不明である。しかし、今はそんな隙を見せている場合ではない。この羽衣が効いたのか、拳が効いたのか不明だが攻められるうちに攻めるべきである。
「今以上に最大の好機はない!」
拳を一つ、二つ、三つと当てると龍は僅かに怯み、そこに羽衣を巻いた右足で蹴りを入れるとやはり宙に浮き壁にめり込む。龍は地面に落ちると一度痙攣してから立ち上がると背後に穴を開けて新たな空間が姿を現す。
「我はこんなところで、やられるわけには……いかん!」
ゆっくりとこちらを睨みながら片足ずつ背後の空間に踏み込んでいく。
「逃すかよ」
カリナは十数メートルの助走をつけて飛び上がり、両足を揃えるとその勢いのまま向こう側にいる龍の背中を蹴り付けると彼女もその穴に突入する。
私はその勢いを足を滑らせることで止める。龍の方は壁に衝突して息を切らしている。
「ああ、我はここで終わるのか」
声の方を見ると下半身の方から塵に変わっていく龍が目の光を失っていく姿があった。
「お前がそう思うのならそうなんだろ」
「我は、我は龍だ。こんな小娘になど負けてはいられないのだ。我が負けようと主様が必ず貴様を始末する。ここはもはや我らの領地、すぐに我の消滅に気づくだろう。……なぜ笑っている、そんなに我の痴態が面白いのか」
今までとは違って少し弱々しい口調で目の前の男は崩れていく。彼の遺言に驚いたカリナは一歩退いて自分の少しだけ釣り上がった口角を抑える。
「アタシはやはり人では……」
目の前には灰の山しか残っておらず、カリナの言葉はそれを撫でるだけだった。
「カレイドスカイ! あの怖いドラゴンさんを倒したプクね」
「関わるなと言ったはずだが、それともぶっ殺せないとでも思っていたのか。随分信頼されてないみたいだな。……それともお前と相対する存在になったからか」
感傷に浸る暇なく、ユズのマスコットがどこからか現れて私に嬉々としてそんなことを呟くも私の言葉によって眉を顰めてしまう。
「何か辛いことでもあったプクゥ?」
「今はあまりアタシのことは掘り下げないでくれ。それよりも誰かが来るかもしれないしれない、ひとまず戻ろう」
カリナはその後、T区に戻りユズに顔を合わせずに黒いその場を後にした。変身を解いても髪色と髪型は戻らなかったのでやはりフクズミカリナは人でなしになったのだと痛感してしまう。
「フクズミ、ここで働けばいい。それでも行くのか?」
カリナは目の前の氷像のような人にただ一礼し、踵を返す。
フクズミカリナは何がしたかったのだろうか、と心の中で何度も反芻する。あの龍を殺してもナナは生き返るわけもないし、ユズに思い入れがあるわけでもない。脚を取られ、事故と称しそのまま一般人として生きる道もあったはずだ。龍を吹き飛ばしたときの高揚感が頭から離れない。これ以上どうすることもできない。詰みである。
結局、アタシはこの街から出ることにした。母親やユズ、それにナナの母親には合わせる顔がないし、あの二人を貶すようで申し訳ないが人間社会にはバケモノは混じるべきではない。孤独に、ただ孤独にこの星にいるのなら人との関係を断ち、自らの存在に疑問を持ちながら歩き続けるしかないのだ。