05 軍事機関SAD③
この世界における移動手段といえば、主要なのは徒歩か馬車だ。
技術の発展により、他の乗り物も開発されてはいるものの、道の整備が出来ていなかったり、速度が出過ぎて危険だったり……あとは単純に庶民には高価過ぎるという理由であまり使われていない。
しかし、軍事機関の隊員ともあろう者が、徒歩や馬車でゆっくり現場に向かうなんていう悠長なことをしていてはお話にならない。
一刻を争う任務だって沢山ある。
そこで、軍事機関SADに属する者は任務中に限り、飛行船の使用が許可されているのだ。
任務内容や部隊の人数によって大きさや最高速度は異なるが、基本的に一任務につき一船を使用することが出来る。
というわけで、俺らは任務に必要な飛行船を借りるため、D支部から少し離れたSADの運航基地に来ていた。
借りるための手続きが終わって、今は待機中だ。
飛行船の離着陸を行う場所ということもあって、都会にしては土地が開けているためか、風が直に吹きすさび肌寒い。
「今日の目的地は?」
カルロスさんから貰った地図を眺めていると、長い髪を掻き上げながらリーテが体を寄せて覗き込んできた。
風に乗って彼女からはフワッと良い香りがした。
「今日はここだな。総合環境レベルはⅢ。カルロスさんから聞いた情報は船の中で話す」
地図の一点を指差してそう言うと、彼女は――
「了解。ラクそうだし、さっさと終わらせて打ち上げといこうか」
と張り切るのだった。
***
総合環境レベルとは、簡単に言ってしまえばその地区がどれだけ危険かを示すレベルである。
具体的には、"一般市民がもしその地区で丸一日過ごした場合、生存出来る確率はどの程度になるか"というものを階級ごとに分類した指標である。
総合環境レベルにはⅠからⅤまでがあり、数が大きくなるにつれて環境は悪化し、推定生存確率は順に100〜80%、80〜60%、60〜40%、40〜20%、20〜0%と低くなる。
なお、この総合環境レベルは基本的にはSE地区からの距離に基づいている。
というのも、SE地区は最も安全という話だったが、これは逆に言えば"SE地区から距離が離れれば離れるほどその地帯は安全から遠くなる……つまりは危険になる"と言えるからである。
さて、SE地区は世界で最も安全というだけあって、人間は勿論のこと、人間以外の生命体による襲撃も少ない。
SADの存在を認識出来ているとか、SAD設立者の亡骸が眠る地であるSE地区を恐れているとか、色々な説がある。どれが真実かは誰も知らない。
ともかく、SE地区からの距離が離れれば離れるほど環境レベルは高くなる、ということだ。
そのため、地図上における環境レベルの境界線は、SE地区を中心とした円状になっている。
ただし、例外も存在する。
人的要因や気候などの自然的要因で、総合環境レベルが変動することも少なくない。
例えば、距離的にはレベルⅡでも、大規模な犯罪組織がその地区で幅を利かせている場合は、レベルⅢになったりするというわけだ。
任務の内容的に、D任務は総合環境レベルⅠからⅤ、A任務は総合環境レベルⅠ付近、S任務はそれより先での任務が多い。
環境レベルⅤから先はSAD指定危険区域と呼ばれる区域が広がっている。
複数のSAD隊員が動員されても、全滅しかねない超危険区域だ。
少し進むだけで、危険な生命体の数や凶暴性は指数関数的に増加、強くなる。
一般人が立ち入ろうものなら、生存率はゼロだ。限りなくゼロに近いとかではなくゼロ。断言出来る。
それほどまでに並外れた危険が伴う区域だ。
そして、そんなSAD指定危険区域を徐々に開拓していくことこそが、まさにS任務の主たる目的なのである。
一見、そんなところへ行くことに何の意味があるのか、と疑問に思うことだろう。
実は、SAD指定危険区域にはその危険に見合った……いや、その危険すらも超え得るメリットが存在するのだ。
SAD指定危険区域では、通常区域――環境レベルが指定されている通常区域――では見られないような現象、生命体、物質、鉱石などで溢れている。
従来の物理法則に反するような物質、治療不可能と言われていた原因不明の病を完治させる植物……などなど。まるで別世界だ。
そして、それらが実用出来るようになれば、今までの技術発展を嘲笑うかのような急速な発展が可能になることは明らかだ。
実際、俺らが今から使用する飛行船の推進力に欠かせない気体だって、SAD指定危険区域にて初めて発見されたものなのだ。
要するに、危険を冒して探索すればとんでもないお宝が 発見できるかも……という話なのだ。
SAD指定危険区域がどこまで広がっているか……この世界がどこまで広がっているかなど、誰にも知ることは出来ない。
開拓すれば開拓するほど我々人類の生活が飛躍的に発展するのであれば、例え危険でも開拓せずにはいられない。
それが好奇心旺盛な人間という生き物の性なのだ。
***
やがて、貸し出された飛行船に俺たちは乗り込んだ。
二人での任務の際はほぼ毎回この飛行船を使っているため、もはや見慣れた船内である。
俺は、まず操縦室に向かった。
飛行船の操縦方法は入隊一年目に教わっている。
まあ操縦といっても、SAD隊員でなくても30分ほどで動かせるようになるくらいには簡単だが。
操作が必要になるのは着陸と離陸の時のみで、基本的には目的地への方角と距離を設定するだけで目的地へ辿り着くことが出来る。
当然誤差はあるが、そこは着陸前に少し操作すれば良いだけだ。
他の飛行船と衝突事故を起こさないことだけ注意していればほぼ放置でも問題ない。
目的地の設定を終えて一度操縦室から戻ると、そこには自分の家のようにくつろぐリーテの姿があった。
S任務のようにSAD指定危険区域を活動場所とする任務も少なくない。飛行船の往復だけで平気で半日かかることがある。
その上、長期滞在する場合も多い。
そんなわけで、飛行船内には食料、水といった生活に必要な備蓄は十分で、なおかつ一人一室使える寝室にトイレ、簡易風呂まで、設備がしっかりと整っている。
捕らえた犯罪者を一時的に入れておく牢屋まである。
リーテがくつろいでいるのは、そんな船内における居間のような空間だ。
鼻唄を歌いながら、ソファに脚を組み座っている。
「随分とご機嫌だな」
「まあね。キミ以外の隊員もいないし気が楽だよ」
「そうかい、そろそろ離陸するから暴れ回るなよ」
「子供じゃあるまいし暴れ回るわけないだろう……」
操縦室に戻った俺は、飛行船の離陸、諸々の設定を済ませると、再びリーテの元へ戻った。
「直進に入ったから、二時間は放置で良さそうだ」
「了解。ありがとう」
「さて、それじゃ先にカルロスさんから貰った情報とか話しておくか」
俺は机を挟んで彼女の向かいに座った。
「今回の目的地はここから東北東方向にあるラグフォレスト地区だ。総合環境レベルはさっきも言ったがⅢだ」
チラッと彼女の方に目を向けたが、真面目な表情で聴いている。
俺は話を続けた。
「事の発端は、隣の地区で発生した事件だな。カロン・ジョイナーという男が、二十人近くの地区警備隊を含む一般市民を殺害して逃走。そして、カロンと知り合いだったラグフォレスト地区の市民の一人が同地区内で奴を見かけたらしい。地区警備隊だけでは対処しきれないとのことで、SADに通報を入れたようだな。任務内容はカロンの確保で、いつも通り生死は問わないとのことだ」
「なるほど……。まずはそいつを探すところから始めなきゃいけないみたいだね」
「ああ、カルロスさんの話によると地区南西にある森を重点的に探すのが良いってさ。小動物が多く生息する上に水源があることもあって、食料と水に困らずに生活出来るみたいだ。カロンのような犯罪者が身を潜めるのには適しているんだと」
「てことは、キミが目的地に設定したのは――」
「ああ、ラグフォレスト地区の例の森だ」
田舎の方なので、飛行船の着陸は問題ないはずだ。
「追加でカロンの情報だ。奴は柄の長い刃物を武器にしていて、能力は不明とのことだ」
「了解、頭に入れておくよ」
「お前は覚えていなくてもいいけどな」
「まあ……そうだね。面目ないね、負担かけて」
「……別に負担になんて思っていない。言い方がきつく感じたのなら謝る。それに、お前が完璧だったら俺はSADに入ることが出来なかったんだから感謝しているくらいだ」
俺の問題点は万能なサポート能力の代わりに戦闘能力が低いこと。
ではリーテの問題点は何かというと、実は適性でも戦闘能力でもない。彼女は、その二つには秀でているものの、協調性が皆無なのだ。
SADの入隊試験では、優れた戦闘力を見せた一方で、他の無関係な受験者を攻撃してしまったことでトラブルになったという。団体での活躍を見る試験でも、随分と暴走していたらしい。
こういった協調性の無さは、複数人での行動が多いSADにおいてかなり致命的と言える。
敵の情報を与えても、いざ戦闘となると急に人が変わったかのようにのめり込んでしまい、周りが見えなくなる。
そのためリーテが任務に加わる時は、情報共有による連携が取れないため、彼女には一人で暴れるだけ暴れさせようという戦法をとることが多い。
と、まあそんなことをすれば味方にも被害が出てしまうことは容易に想像出来るだろう。
そこで、そんな彼女にぴったりのサポート能力を持つ俺の出番だ。
味方の隊員には被害を出させず、敵に攻撃が集中出来るように補助をする。それが俺の役目だ。
彼女本人からも動きやすいと言われているから、上手くサポート出来ているはずだ。
その分、俺が他の隊員以上に周りを見なきゃいけないし、情報もしっかりと頭に入れておかなければならない。
そのことが負担になっていないかを彼女は気にしているわけだ。
「うん。そう言ってくれると助かるよ」
申し訳なさそうに笑顔を見せるリーテ。
その表情を見て、少しばかり罪悪感を覚えた俺は、話題転換することにした。
「それにしても最近は寒いな。あとで個室から毛布持ってこようかな」
「ああ、全域で原因不明の気温低下ってよく聞くね。何か不吉の予兆じゃないといいけど」
「あんまり物騒なこと言うなよ……」
こうして、飛行船が目的地に着くまでの間、俺らは世間話に花を咲かせるのだった。