04 軍事機関SAD②
翌朝、予定通りの時間に家を出発した俺は、D任務担当局――D任務に関する全てを一任されている施設――まで徒歩で向かった。
家からそれほど離れていないため、数分で着いた。
「相変わらず馬鹿デカいな……」
施設を見上げ、思わずそう呟く。
そう、D任務担当局は一機関の支部とはとても思えないほどに大きい。
ここまで大きい敷地を持つのには理由がある。
D任務には犯罪者確保という任務内容が含まれている。殺人、テロ行為……その他凶悪犯罪を犯した悪人を確保するとなると、彼らを収監しておく監獄が必要になる。
そう、D任務担当局はそんな監獄の役割も果たしているため、施設もその分余裕を持って大きめに造られているのだ。
まさに大監獄……そんな言葉の似合う施設だ。
当初こそ、「街中に犯罪者を収監しておくのは危険だ」という声もあったようだが、今ではそんな声はほとんど聞かない。
D任務担当局の構えるここ、セカンドイースター地区――通称SE地区は、"世界で最も安全な地区"として知られている。
この地区には、D支部のみならず、他の二つの任務担当局にSAD本部、最高機関Orderまでもが集中しており、何百人何千人ものSAD隊員が常駐している。
この地区周りで問題を起こせばすぐにSAD隊員が飛んでくる。
犯罪者がそんな監視網を掻い潜って逃走することは不可能というわけだ。
実際、現在に至るまで脱走者は出ていない。
試みた者は過去にいたようだが、街中に逃げるどころかD支部から脱出することすら出来なかったという。
住民たちは、例え監獄が街中にあろうと、SADが監視しているのであれば安心だということを理解した。
そのため、懸念の声も今となってはほとんど聞くことはないというわけだ。
犯罪者にとってSADという機関が如何に脅威かが分かるはずだ。
***
今日の任務は、俺と相方の二人のみで行うD任務だ。
ついこの間まで、難易度の高い任務が続いたためか、今日は比較的容易な任務となっている。
SADは隊員の層が厚い。
そのため、休みを貰ったり、簡単な任務を担当させてもらったりが可能になっている。
忙しい時期はそんなことを言っていられないが、普段はわりと融通の利く組織なのだ。
相方には、D任務担当局で集合が出来次第出発と伝えてある。
時間を見ると、待ち合わせまであと30分ほどある。どうやら早く着きすぎたようだ。
相方はいつもほぼ時間ピッタリに来ることを考えると、大分暇な時間が出来てしまった。
SADの隊員証を見せてD支部の中へ足を踏み入れると、空気はガラッと一変する。
子供たちが追いかけっこをしていたような平和な街並みから一転、局内はピリピリとした空気が漂っている。
それもそのはず、これから犯罪者と武力で対峙するのだ。そこには自分の命の保証などない。緊張はして当たり前だ。
俺だって、危険な任務に臨む際は緊張で腹が痛くなることも珍しくない。
1000人くらいは余裕で入りそうなくらいに大きな広間には、俺らとは別の任務を担当する者たちが既に集まっていた。
一つの任務に携わる人数にしてはかなり多い。加えて、各々真剣な面持ちをしていることから相当重要な任務であることが窺える。
現在は作戦会議中のようだ。
そんな彼らの中に見知った顔を見つけた俺は、邪魔をしないようその場を静かに立ち去った。
***
広間を後にした俺は、二階にあるD任務準備室に向かった。
まだまだ時間はあるので、相方が来るまでに出発に必要な準備を済ませてしまおうと考えたのだ。
D任務準備室とは、D任務を遂行するにあたって必要な情報や道具を提供してくれる場所である。
ベテランの隊員ともなると準備室に世話になる者は少ないというが、俺はまだ4年目の新人なので、任務前には欠かさず訪れるようにしている。
準備室の扉をノックしてから開けると、俺に気付いたとある男が声を掛けてきた。
「お、来たな! 待ってたぜ」
彼の名前はカルロス・アルバート。このD任務準備室の室長的な立場の人間だ。
かつては名うてのSAD隊員だったようだが、とある任務で大怪我を負って以来、こうして準備室で俺のような若手SAD隊員の補助に徹しているという。
「あれ、一人だけか? いつもの相方さんはどうした?」
「まだ来ていないんです。あいつが来るまでに準備済ませちゃおうと思ったので、今は一人です」
「なるほどな……一人で大丈夫か?」
「大丈夫です。簡単な任務と聞いたんで」
「おお、言うようになったじゃねえか」
彼は顎髭を撫でながらニコニコしている。若い隊員と話す時は、いつも嬉しそうな顔をしている。
気さくで話しやすいこともあって、彼と話すのは正直嫌いではない。
「驕っているわけではないですよ?」
「ああ、分かってるさ。こうして毎回律儀に準備室に来るくらいだからな。信頼してるぜ」
「ありがとうございます。あいつにもここで貰った情報は後で言っておきます。効果は薄い……かもしれませんが」
「ははっ、間違いない! 任務となるとお転婆娘だからな、あの子は」
SADの試験官も務めていた彼は、相方の戦闘する所を見たことがあるという。
その時の彼女に抱いた印象は、ベテランの彼にとってもかなり強いものだったという。
……良い意味でも悪い意味でも。
「それより、下でかなりの人数が集まっているのを見かけたんですけど……あれって何の任務なんですか?」
「ん? ああ、あれなら件の犯罪組織とやらを潰しに行くっていう任務だな。夕方くらいに出発するって聞いていたけど、もう集まってんのか。本当はお前ら二人にも参加して欲しかったんだが、キロの奴が不要だって怒るから不参加ってことになったんだよ」
「やっぱり嫌われているみたいですね……」
「うーん……まあ、あんまり気にしないことだな」
嫌われるのもまあ仕方のないことなのかもしれない。
1年目合格の二人で一人扱い、という特例だったこともあって、俺らはSAD内でそれなりに名前が知られている。
名前が知られたせいか、SAD隊員の中には興味を持って話しかけてくる者もいれば、嫌悪感を露わにした態度をとってくる者もいた。
「二人で一人なんて認めない」、「二人なんだから他の人よりは成果を出せて当たり前」といった声があることも知っている。
そんな、俺らに対してあまり良くない感情を持っている者の代表こそ、今話に上がったキロ・クラウンだ。
彼は1年目で合格、それも首席で入隊した本物のエリートだ。俺らみたいな譲歩ありで合格させてもらった紛い物とは違う。
そんなキロは、卓越した戦闘能力を誇るわけなのだが、実は戦闘においての役割は俺の相方と被っている。
相方と首席のキロとでは、単体性能を比較した場合に軍配が上がるのは当然後者になる。
だが、そこに俺のサポートがつくと話は変わる。
戦闘能力だけ見たらかなり優秀な相方だ。俺のサポート込みならば、二人のどちらが優れているかを断言することは難しくなる。
それが彼のプライドを傷つけた。
自分よりも劣っている者が二人セットになっただけで、戦闘面においては自分と同等の扱いを受ける……それが気に食わないのだ。
正直気持ちは分からなくもないので、触らぬ神に祟りなしといったところか……俺はあまり刺激しないようにしているつもりだ。
***
カルロスさんから情報、地図などの道具を受け取って準備室を出る。再び時間を見ると、集合時間2分前だ。
ロビーに急いで向かうと、そこには既に相方の姿があった。
俺が入り口扉からではなく、二階から現れたことに驚いた表情を見せている。
「あれ、もう来てたんだ?」
「ああ。待ち合わせより30分くらい早く来て暇だったから、先に準備室で任務の話を聞いていた。待たせて悪いな」
「なるほどね。ならキミが謝る必要ない。むしろ感謝するよ」
そう言ってはにかむ彼女こそが、俺のSAD任務における相棒、エンペリーテ・シュニレーゲンである。
名前が長いので、俺は"リーテ"と呼んでいる。
制服の背に描かれたSAD紋章を隠すほどに長く伸ばした、金色に輝くサラサラの髪。
吸い込まれそうなくらい深い色合いをしたオレンジ色の大きな瞳。
目鼻立ちがはっきりとした彫りの深い顔。
クリアーは贔屓目なしでもとんでもない美人と言えるが、リーテも引けを取らないくらいに美しい。
そして、それは顔だけではない。
男用の制服に包んだ体躯は、出るところはしっかりと出ており、身長も女性の中では高いというスタイルの良さだ。
儚げな印象を宿すクリアーとは対照的に、リーテには華、オーラがある。
すれ違った者が思わず目で追ってしまう……そんな容姿をしているのだ。
そんな容姿をしていることもあってか、彼女はかなり目立つ。
以前、「黒髪で長身のキミは人混みの中でも見つけやすいね」と言われたことがあるが、正直どの口が言うのかと思った。
俺の比にならないくらい、彼女には存在感がある。
今だって、彼女には広間にいる者から多くの視線が向けられている。
しかし、彼女はその視線に気付いているのか気付いていないのか、相手にすることはない。
「じゃあ早速出発しようか」
「ああ」
(それにしても、なんでこんな爽やか女軍官を地で行くようなリーテはクリアーを嫌うのだろうか……)
昨日のクリアーの話もあって、俺は彼女の後ろを歩きながらそう思案していた。
彼女は客観的に見ても、品格や良識の備わった女性であると言える。
それだけに、彼女とクリアーが喧嘩した時に見せた、刺々しさや意地の悪さがどうも腑に落ちないのだ。
そんなことを考えていると、前から声を掛けられた。
「どうかした? 何かやけに静かだけど……任務のことでも考えてる?」
「いや……なんでもない」
クリアーのことを言うと絶対面倒になると思った俺はそう誤魔化した。
ところが――
「ふーん……例のメイドに何か言われた?」
「……」
彼女は、立ち止まって振り返るとそう言った。
こいつ、無駄に勘が良い。俺が分かりやすいだけかもしれないが。
俺は、彼女には誤魔化しても無駄だと悟り――
「別に大したことは言われていない。入隊から3年も経つんだから、SAD側も合格時に課してきた条件を緩めてもいいのに、と……そう言われただけだ」
と白状した。
すると、リーテは「へぇ……」と呟き、目を細めた。そこには笑みはない。
雰囲気の変わりようは凄まじく、その険しい顔はまるで別人のようだった。
(美人がそういう顔をすると怖いな……)
口には出さないが、そう思う俺であった。
「……今度彼女に会う必要があるかも、ね」
口を開いたかと思えば、底冷えするような声でそんなことを言ってきた。
「また俺の胃が痛くなるから駄目だ」
「ボクをキミから引き離したいという魂胆が見え見えのくだらない発言を二度と出来なくさせるだけだよ。喧嘩にはならない」
またそんな物騒なことを……。
「なあ、お前らってなんでそんな仲悪いんだよ。そろそろ教えろって」
「……ナイショだよ」
「またそれか……」
何回聞いてもこれだ。
クリアーといいリーテといい、秘密の多い女達だ。
そんなに内緒内緒って、もしかして俺をハブっているのか?
実は裏では超仲良しで、険悪な雰囲気の中慌てる俺を見て心の中で笑っているとか?
もしそうだったら陰湿極まりないが、仲悪いよりはそうであって欲しいくらいだ。
「はあ……。お前らには、二人を仲介する俺の気苦労を少し考えていただきたいものだな」
「最近はキミの言う喧嘩らしい喧嘩はしていないと思うけどね」
その言葉を聞いて、俺はここ最近を振り返る。
確かに彼女の言う通り、ここ最近は喧嘩になっていない気がする。
最後に一悶着あったのは、もう数十日も前のことだ。
確かあれは……
――毎日同じ任務に行くのだから、ボクもキミの家に暮らしていいかい?
クリアーの目の前で、わざとらしく彼女に聞こえるように、そうリーテが訊いてきた時だ。
あの時のことは思い返したくない。
クリアーを怒らせてはならない、そんなことを学んだ一日だった。
……結局、リーテの一緒に住もう云々の発言は、クリアーを挑発するための冗談だったようだが。
本気じゃなくてよかった。
あの二人が同じ屋根の下で生活すると考えただけでゾッとする。きっと毎日喧嘩が勃発して、毎日胃薬を飲むことになるだろう。
ていうか本気じゃなくてもそういうことは言わないで欲しい。
……思い出したらなんだかムカついてきた。
(いっちょあの時の仕返しをしてやるか)
そう思った俺は彼女に――
「で、クリアーに言われたその話なんだが――正直言う通りだなって思ったんだよな。今度SADに言ってみようかなって思うんだ」
と、何でもないことのように言い放った。
「……は?」
彼女はポカンとした顔になった。
いつも引き締まった表情をしている彼女のそんな情けない顔を見られただけでも、仕返しをした甲斐があるというものだ。
そして彼女は我に返り、慌て始めた。
「ち、ちょっと考え直した方がいいんじゃないか? ね?」
「まあ、さっき二階でカルロスさんとその話してきちゃったんだけどな」
「…………」
ネタバラシの結果から言うと、俺はクリアーを怒らすよりもリーテを怒らす方が悪手なのではないか、そう思うのだった。
仕返ししたのを後悔したことは言うまでもない。